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Twitterで、僕の教え子(学部生)が「川瀬先生、思想が強くない?」と呟いていて、まあまあファボられているのを発見。ファボったのはおそらく彼の同期生とかだろう(鍵付きのアカウントが多くて、推測だが)。
確かに僕は政治的なイシューも多く呟くから、そう思われても仕方ないとは思うが、僕がどんな話題を出した時に彼がそう思ったのか、が結構問題。現政権批判、反維新、反原発、反差別など、「反抗的」であるのを大雑把に「思想が強い」とまとめる感性には「年長者」として「じゃあ、君はどう思うの?(思想はあるの?)」と問い掛けねばならないだろう。まあ、まだ直接は言わない。しつこく「思想の強い」態度や姿勢を見せて、少しは己のことを考え直してくれれば、それで十分だと思っている。

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 1980年代のフランスではWWII中のホロコーストと反ユダヤ主義の包括的な関係について、注目が集まり、その関連で「歴史の記憶」論なども活性化した。

 C.ランズマンの「ショアー」(1985)などが大きな反響を呼んだのもその文脈である。また哲学界ではリトアニアのアシュケナージである、E.レヴィナス(1906生)への再評価が急激に高まった。

 レヴィナスの哲学の中心概念は「他者」と「倫理」であり、この点、デリダはともかく、ドゥルーズ=ガタリやフーコーとは完全に立場を異にする。

 日本では80年のポストモダニズムの後、レヴィナスが導入されたので、90年代のポストモダニズム少年(「俺偉い」の男子中2病の群れ)は、これに激しく反発。

 浅田彰もこの中2病の集団を支援し、「レヴィナスの顔(他者の隠喩)なんて、殴っちゃえばわからなくなるからね」なとど煽っていた。

 レヴィナスの哲学はフッサール、ハイデガーの影響が強いこともあり、サルトル研究者にとっては必読だが、如何せん「政治」の次元が抜け落ちているのが弱点。

 いずれにしても、レヴィナスのを援用すれば、今のイスラエルにとっての「他者」とは「餓死していくパレスティナの子供」になる。

 90年代の日本にとっては「従軍慰安婦」の人々がまさに「他者」だった。

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ネイチャーに査読頼まれて「私は研究機関から給料もらっていないので対価をいただけたらやる」と編集部に返事したら2度と頼まれなくなった。オープンアクセスなところや学会でやっているノンプロフィットな雑誌の査読は私も無料で査読をやるが、稼ぎまくっている商業学術誌に無料奉仕するのは異常だと思っている。超有名ジャーナルの査読で「ハクが付く」という余禄はあるが、それが商売を成り立たせているビジネスモデルで学術の権威主義を強化しているので、そんなものに貢献するのは拒否である。

東京地裁、札幌高裁で同性婚禁止は「違憲」との判断が出たのは、まずはめでたい。同性婚に対しては世論調査でも過半数が許容していたはず。政府が述べる「国民の家族観」とかは既に反対の理由にならないのは明白。子ども云々の(再)生産性の問題なんか後付けに過ぎない(僕なんか子なしの夫婦で、家族の控除がないだけ。子どもを育てない同性婚カップルも同様にすればいいだけ)。
そう言えば、女性同士のルームシェアをしている知り合いに聞いたのだが、例えば一方が手術をする時の家族の同意書とかは、名字が違っていても女性同士ならスルーされて、家族のフリしてサインしちゃうとか聞いたな。これは夫婦同姓婚が強制されている日本ならではのライフハック(というか穴だが)。結婚制度そのものとかモノガミーに対して疑問に思っている人もいるかもしれないが、病院の付き添いとか、死後の遺産とかの「人権」を守るために、やはり同性婚の法制化は必要と思います。

原武史さんの「象徴天皇制を問い直す」というインタビュー記事。これは読み応えもあったし、問題提起も重要なものを含んでいたと思う。特に左派(リベラル)が「平成流象徴天皇制」に「依存」しているとの指摘。

はばかりながら、「リベラルがリベラルな天皇の大御心に甘えて来た」との意識は僕も持っており、その「解決策」をどうするべきかずっと悩んでいる。ついでに言うと、「憲法9条」という世俗法に乗っかっている宗教教団の平和運動に、似た感慨を持つこともある。

asahi.com/articles/ASS3C6KGBS2

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改正「案」を「閣議」で決めただけなのに、あたかも既定事項のように報じるこのやり方、なんとかならんのか。

www3.nhk.or.jp/news/html/20240

山本圭さんの『嫉妬論』(光文社新書)読了。嫉妬 envy という言葉を軸とした政治哲学入門、といった趣もあった。僕は本書でも紹介されているルネ・ジラールの「羨望(欲望)の三角形」理論に昔ハマって(『欲望の現象学』)、それ以上の考察をしてこなかったな(あれはフロイトの「エディプスの三角形」と相似形の理論だから、精神分析にハマっていた僕にはドストライクだったのよね)。
昔の自分(特に学部生時代)を考えると、R.ジラールの理論もそうだが、M.フーコーの「生権力」論、L.フェスティンガーの「認知的不協和の理論」とかフロイトの「無意識(及びトラウマ)」理論という、ある意味何にでも当てはまる「でかい理論」の入口に立っただけで満足してしまい、思索を深めてこなかったな、と反省しきり。要するに、哲学的な形而上的議論よりも、目の前の現象を快刀乱麻に切ってくれる「ツール」としての大理論を探していたんだよな、僕は。
kobunsha.com/shelf/book/isbn/9

数ヶ月に一度宗教の総合情報紙『中外日報』に書いているエッセイです。オウム真理教について、ちょっと学生時代の思い出も記しました。/ [時事評論]加害者家族と宗教 被害・加害双方へ関わり方は

chugainippoh.co.jp/article/ron

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Threadsを見ていたら
「ここ10年くらいでインターネットは過去の情報をアーカイブ化したり文脈化したりするのではなく、目の前の刺激に急激に反応してはすぐに忘却されていくという、より消費速度の早いマスメディアみたいな場所に急速に変化してきているような気がする。」
という投稿が流れて来て、ここ10年くらいなのかは分からないけど、俺がインターネットを始めた25年前くらいの時は個人が少しずつ持ち寄った情報が集積されて誰でもアクセス可能な膨大なアーカイブが誕生すると思っていたのだけど、いま過去の事を検索しても運営者が居なくなったりなど様々な要因で過去のデータは綺麗さっぱり無くなっていたりで紙に印刷された情報よりも耐久性がないのかもと愕然とするこの数年ですわ。

某議員が書籍代を山盛り申告したことで思い出したことが一つ。大昔、某財団法人で事務のバイトをしていた時、聞いたこともない団体から、藪から棒にめちゃくちゃ高価な雑誌が送り付けられたことがあった。定期購読を促す手紙と振込用紙と一緒に。確か季刊で、年数万円はしたはず。まあ、そういうヤクザな「商売」ですな。受取拒否して返送した。某議員が「義理堅く」て、そういう雑誌をたくさん購入させられていたら、少しは同情する(嘘)。

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群馬でも京都でも他のとこでも、半分以上は選挙行って無い事に絶望するべき。

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マスコミは「『コメントを差し控えたい』と述べた」ではなく、ちゃんと「回答を拒否した」と書くべきだと思う。
「野党が反発した」とかは平気で主観入れるのに、なんでそこだけICレコーダーみたいになるのか。

差別はするは、学術活動にいちゃもんつけるは、「裏金」は作るは…なぜこの人物がまだ議員をやれているのか。恥を知らない人及び政党は度し難い。/ 杉田水脈議員は1564万円訂正 自民安倍派からの寄付不記載 | 2024/1/31 - 共同通信

nordot.app/1125386593894236620

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山本一太氏が「ルール」とか言ってるのって、ただの揚げ足取りでしかないからな。単に奴が日本の朝鮮人虐殺という犯罪行為を否認したいがために恣意的に、自分の意に沿わない意見を「政治的だ」とレッテルを貼って追い出そうとしているだけ。
間接的に表現の自由を制限している行為であって、普通に考えたらルール違反をしているのは山本知事の方だ。

このニュースを見た瞬間の感想は「ある意味、見事な最期」というものだった。長年潜伏し、死ぬ間際に正体を明かして、そのまま死ぬなんて、なかなかできることではない(テロリズムが許されない、なんてのは前提の上で)。
www3.nhk.or.jp/news/html/20240

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www3.nhk.or.jp/news/special/ji
弁護士は繰り返し、裁判所に相嶋さんの保釈を請求しました。しかし、認められることはありませんでした。
その理由はいつも決まって、「罪証隠滅のおそれ」でした。

これ、一番悪いのは保釈を認めなかった裁判官だと思う。検察は相手を悪だと思いこんでなんとか有罪にするのが仕事だから、いろんな手で容疑者を追い詰めようとするが、だから自分たちに都合の悪い保釈を防ごうとするが、それを公平な目で見て判断して却下するのが裁判官の役目なのに、強い検察の意のままに保釈を却下し続けた裁判官が一番悪い。自分のやるべき仕事をしていない。自分しかできない仕事だったのに。だから、今回の国と都を訴えた裁判で、裁判所が責任を認めることはないだろうな。

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BT
沖縄は植民地だ、と言うと選挙権もあるし国籍だってあるから植民地的扱いであっても植民地ではないと言われる。

ではその選挙結果は反映した事があるのか、同じ国籍を持つ人に向けて「(琉球人は)日本から出て行け」と言うのはなぜなのかを考えれば植民地だからとしか言いようがない。ある意味違う民族であったことを沖縄人より理解しているのが日本人だ。

いやいや、選択肢だって平等に与えられているでしょと思う人がいたら考えてほしい。

コンビニに自家用ジェット機が販売されていたとして、それを自分が持つ選択肢の一つだと思えるか。選択肢というのは入手できる状態(この場合お金)があることが大前提で、その前提がなければ選択肢があるとは言えない。

沖縄には日本人向けのマンションやサービスが充実してきている。表立って沖縄人を排除しているわけじゃないけど料金設定を見れば実質観光客や移住者に向けた「選択肢」でしかない。

琉球・沖縄にとって絵に描いた餅なのは憲法だけじゃないのよ。選挙権も国籍も、植民地という事実を伏せるために与えたふりをしているだけ。他のマイノリティを差別させるために与えられた空っぽの「権利」しか持っていない沖縄だから何の決定権もないのだ。

完全な植民地。それを認めてしか変えられないことばかり。

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能登半島地震を受けて、人口過疎地の住民を移住させようというツイートが時々流れてくる。現代人の生活を成り立たせるためにはそれなりに高度なインフラが必要であり、その維持コストを考えるとやむを得ない部分もあるかもしれないと思う一方、いまだ孤立している被災者がいる段階でその話をする必要ある?などと思ったりもする。

でも、家屋の倒壊や道路の寸断が起きているまさにこのタイミングだからこそ、そういう話が出てくるのか...などと考えていたら、なんかこの手の話を、どこかで聞いたことがある気がしてきた。

そこで思い出したのが、ナオミ・クラインが言う惨事便乗型資本主義(ショック・ドクトリン)。大惨事につけこんで市場原理主義的な改革を一気に押し進める動きがでてくるという議論。クラインの議論は、そういう改革が行われる以前の状態を美化しすぎなんじゃないかと思う一方、なるほど惨事に便乗するというのは、こういうことなのかという納得感があった。

特にオチのある話ではないんだけれども。

つい、「同業者」のニュースは気になるもので、不倫報道がされたM氏(社会学者)について、仲のいい同期(社会学者)とチャットをしてしまった。一番びっくりしたのは、「90年代、君はM氏のことを田中康夫の言葉を使って『ペログリ社会学』とか言ってたよ」という友人の証言。
え、俺、そんなこと言ってたっけ?まあ、言いそうではあるな(ブルセラ社会学呼ばわりはされていたと思うが、それより酷い悪口だな、我ながら)。M氏の理論の切れ味には魅力を感じたけど、それ以上に違和感があったのだろう。予言的ではあるか。
僕自身は不倫なんてことを殊更あげつらう気はサラサラないけど(大人として身を処せばいいだけ。まあ、教え子に近いのに手を出すのは、それこそ僕の「倫理」に悖るけど)、敢えて下品なことを言いますが「東大出だけどヤリチンです」みたいな「アイデンティティ(裏返しのコンプレックス)」から逃れられなかったのかな、とも単純に思いますね。これ以上は言及しません。ただ、25年ほど前の自分の言葉に驚いたので、少し記録のつもりで書いておきます。

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東日本大地震の被災地の視察行った菅直人元首相。被災者に詰められる菅氏にネトウヨは「無能」のレッテルを貼って喜んでいるそうだが、これがもし安倍晋三だったら、ネトウヨは烈火の如く被災者バッシングをしていたんじゃないかと思う。そして、それを放送するテレビ局も「反日」呼ばわりしたと思う。

何が言いたいかというと、民主党政権時代は「報道の自由」がここまで保証されていたと言うこと。この映像は「電波止めるぞ」と脅す自民党との違いだと僕は捉えている。
youtube.com/watch?si=5cok2Gq6R

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