横浜国立大学名誉教授で、美学者の室井尚さんが21日に亡くなられた。僕の従姉妹が室井さんの妻なので、僕は「姻戚」ということになる。
昨日の本葬は、僕が卒業式と謝恩会だったので欠席し(母と姉は出席)、その前日にご自宅に伺い、お顔は拝見した。
専門が違うので、学問的な議論を戦わせたようなことはないが、昔から本を送っていただいたりして、一応「読者」ではあったつもり(いわゆる「ニューアカ」も、室井さんから得た情報だった)。あとは結構「戦闘的」なブログを愛読していた。あ、思い出した。1992年の正月、祖母の家に行った時、僕は東大文学部の宗教学科に進学することが内定していて、そのことを室井さんに話したら「え、宗教学なの?」と一言何か言われたはず。多分室井さんの東大宗教学のイメージは、中沢新一先生経由でしょうけど(笑)。
ある意味、生前最後の講演(3月12日)にお邪魔できたのは幸いだった。魂は向こうに行っても、本は残っている。改めて、これまで書かれた本から今後のさまざまな「ヒント」をもらおうと思っている。RIP。
なんか、Twitter上で少し炎上気味になっているので、こちらでちょっと呟くことにする(長くなりそうだし)。
要するにこの人は「地方国立大出身」と言いながら実は阪大出身で(阪大を卑下して「地方国立大」と言っても、誰も幸せになれない)、しかも現在は関西の某有名私大の教授。一言で言えば「なんだかんだで恵まれたあなたがそんなことを言うなんて」という反応が、アカデミシャンからも結構見られるし、僕もそれはある意味正しいと思う。しかし、下を見ればきりがないように、上を見てもきりがないわけで、例えば東大に入ろうが、その者の自尊心が満足するとは限らない。そもそもぽっと出の秀才は、三代続く良いところのお坊ちゃんの「天真爛漫さ」と「博識さ」に打ちのめされるってのが「文化資本」な訳で、そんなの、本当の坊ちゃん、嬢ちゃん以外はその手の感情を持つんだから、いい加減、自分のある種に「承認欲求」を沈める方向に行くべき、と僕も思う。
そういえば、ノムさんこと野村克也は高級腕時計収集が趣味だったが「俺は貧乏やったから、こういう下品な方法で気持ちを満たすしかない」と、そのような行為に走る自分を皮肉な目で自己分析していたな。
https://twitter.com/sakamotoharuya/status/1638142504167174146?s=20
本当に良かった。けど、杜撰な捜査と捏造すら疑われている証拠などで、一人の、いや、周りの人も含めて、多くの人生を狂わせてきたんだから、関係者は「ごめんなさい」くらい言えや。謝っても死なないから。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230320/k10014013721000.html
中野先生、とりあえずお疲れ様でした。
「世耕氏の“いきなり訴訟”は遺憾」裁判所が異例の見解 統一教会との関係投稿した教授側「ほぼ勝訴だ」 |弁護士ドットコムニュース | https://www.bengo4.com/c_18/n_15777/
国際政治学者のみなさんは少しは個人のことを見てほしいな。日韓関係なんて被害者をいつも保守政権どうしで無視するから改善しないのにそれを見ないからおかしな解説になる。
Colaboへのバッシングは在特会のヘイトと比較されやすいけど、私は七生養護学校事件(バックラッシュのなか苛烈な性教育バッシングの標的にされ、裁判で勝訴しても名誉回復しなかった。その後、性教育の現場の萎縮を招き、日本の性教育のガラパゴス化の一因となった)を想起している。
ツイッターでも書いたのだけど、素敵なカフェ、いい感じのバルやビストロというところの大半は車椅子は松葉つえでの利用が難しいデザインばかりで、自分が車椅子生活になったら今行っている店のうち何件いけるかな…とシミュレートしたら一部のファミレスと
一部の路面店以外は皆無だった。健康な人にだけ配慮した設計であふれた街で、障碍者の方の努力や交渉に「迷惑を掛けるな」というとき、その「迷惑を掛けるな」に込められた強者の権力性に私たちはあまりにも無頓着すぎるな、と
上野千鶴子先生の件、この方のツイートだけで必要な情報が分かってありがたい(まあ、大体分かってはいたけど、確認、という意味で)。話は飛ぶが、大昔、貴乃花と宮沢りえが婚約した時に、数学者の森毅先生が「力士より女優の方が長くできる職業なんやから、りえちゃんがおかみさんになるとかより、将来、貴乃花がりえちゃんのマネージャーやるとかを考えてもええんちゃうの?」というようなことを言っていた記憶がぼんやりあるのだが、それを何となく思い出した。
https://twitter.com/castleincastle/status/1635832527385686016?s=46&t=ZriP7UCYenP2FtvsY4iETQ
福島原発の炉心融解と爆発で東北、関東、北陸は「全住民避難」も検討される風まかせの状況になり、「かくなる膨大な人数の避難は不可能」という結論に陥り、その時点からこの国の政府は国が制御不能になった現実に直面したのだった。誰もそうは言わなかったが、制御不能というのはそのことを意味しているのである。その無力感を痛いほど知った当時の首相であった菅直人は毀誉褒貶あれど、脱原発派になった。普通の人間である。誰が、自分の住む場所を制御不能のまま放置しようとするか。原発を止めることは住環境の制御を住民の手に取り戻すには不可避であることはあまりに明白だからである。
10年後にパンデミックが襲った時の政府はほぼ何もしなかった。声かけ、ワクチン数回、ガーゼのマスク2枚。そのことに対する政府の無力感がほとんど感じられないのは、もはや制御不能への畏れを通り越して、制御しない、になってしまったのではないか。風まかせの国、と、ほぼ見えなくなった車道の車線に目を凝らしながら思ったりする。
そう言えばいつくらいから教師の小学生に対する暴力はなくなったんだろう。当然(?)アラフィフの僕も殴られた経験がある。僕の場合は、当時学級委員だったので、クラスの中で何か問題があれば、見せしめに僕が殴られる、というやつ。何で箒振り回して蛍光灯割った奴の身代わりにされたのか。
あと、殴られたのとは別だが、その教師は「お前達が本当に授業を聞きたくなるまで俺は授業をやらない」とか言って、これまた学級委員だった僕がクラス代表として職員室まで行って「先生、授業やってください」とお願いすることになる。殴るのも授業放棄と嘆願も児童をコントロールするためだったよな。
てなわけで、小学校の同窓会に行きたくないのはこの担任が来るかも、という思いが大きい。蛍光灯割っても叱られなかったお前らにとっては良い先生だったかもしれないけどよ(笑)、と元級友に悪態をつきたくもなる。なまじ成績が良かったのが良くなかった。俺がその担任を内心小馬鹿にしていたのを見抜かれていたのかも知れないが。
そして殴られて約3年後、僕はThe Smithsというバンドにハマり、彼らの「Headmaster Ritual」という曲(イギリスの学校での教師の暴力をテーマにしていた)を聴いて「これだよ、これ」と頷くのであった。
以前パリで全てを盗まれて、クレジットカードや滞在許可証、運転免許証の入った財布、パスポート、ケータイなどないまま、すっからかんになってドイツに戻ったことがある。帰路の鉄道ではパリの警察が発行した盗難証明のみ。改札の車掌にそれを見せ、「予約していたがすべて盗まれた」といったら、じゃあしかたがない、と許され、ドイツに戻ってまず警察に行き、免許証の再発行をしたのだが、これも盗難証明を見せて「名前と誕生日と住所」で再発行してくれた。最後にパスポートを再発行してもらったのかな。裸一貫のワタクシから自らを証明するあれこれを再生したのである。「reincarnation of self-identity」といったら友人一同は笑っていた。
日本だといずれマイナンバーカードをなくしたら、あの入管から追い出されて橋の下においやられたイタリア人みたいに、存在しない人間、「無」の存在においやられてしまいそうである。
「三浦瑠麗」に「ノブレス・オブリージュ」?「凍った炎」とかと同じような撞着表現かと思っちゃうぜ。東君はある場面で決定的に間違ったことを言うことがあるな。
https://news.livedoor.com/article/detail/23839689/
本当に「予想通り」としか言いようがない。あの人に「潔さ」なんてビタイチ期待していなかったけど、要するに安倍の「成功体験(結局改竄を認めたわけだが辞めずに済んだ)」は彼のワナビーズ(後継者)を深く蝕んでいる。
高市大臣が辞職を否定 「内容が不正確と確信」放送法の“解釈変更”要求に関する行政文書めぐり | TBS NEWS DIG (1ページ) https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/364298
昨日から「匂わせ」たツイートが散見されたが、こういうことだったのね。一般的に言っても早死にの部類だろう。西荻窪に本部があったときから知っているから、感慨はある。当たり前だが、後継者がどのようにこの教団を率いていくかが「キモ」だよなあ。実は統一教会についても、教祖の文鮮明が死去した後ガタッと力をなくすのでは、と思ったけど、予想以上に持ち直したんだよね。教祖の家庭内のゴタゴタが聞こえている、という共通点があるので、つい比較してしまう。
僕が大川隆法氏を見たのは、何年か前の彼の「誕生祭」だった。東京ドームや横浜アリーナで行われたそれに、現在教団幹部をやっている知人からチケットが送られてきて、参加したんだよね。「参与観察」として、周りにばれないように黄色いハンカチを振り回して歓声を上げておきましたが(笑)。
大川氏およびあの教団の登場当時は「ああ、生長の家とかGLA系の新しい人か」「偉人の名前を借りての人生訓が中心なのだな(初期に父親と編んだ『ソクラテスの霊言』『日蓮の霊言』とかを読んだ記憶)」という印象だったのだが、だんだん右派的な主張が強くなっていったのは周知の通り。まずは後継者と教説の変化を静観したい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0413dca64869c661d3e889ab1a61d076fe8926d1
川瀬貴也。大学教員。宗教学者。専門は日韓近現代宗教史。宗教学、思想史、近代文化史、社会学の周辺をぐるぐるしているつもりです。発言は個人の見解であり、所属とは無関係です。