先週仕事で伺った高校で「今どきは胸に校章ではないのだな」と思いながら生徒達の体操服姿(但し男子)を見て、ずっと手つかずだった現代の府立紹鷗森高校の体操服を決めることにし、響子の時代には避けられぬあの問題にまつわる種々の記憶も思い起こしつつ描きました。

その当時は、「男の○○」「女の○○」「男なら○○」「女なら○○」とテレビCMで性別アピールを連呼するばかりの何とも雑なセールスに、「健康美」という単語を免罪符とばかりに男目線のやりたい放題、かてて加えて女にもそれを甘受するのが当然と刷り込ませたいかのような中身の、ほぼ男性作のテレビ番組や雑誌、漫画、流行歌もあふれていましたから、当時の「先進社会」の自意識とは裏腹な、未だ野蛮で歪んだ世の中でありました。

高校3年間同級で私を漫研掛け持ちにさせたNさんのように、高校生の当時からそうした「常識」を批判視していた、先見の明ある人もいるにはいましたが極少数派、大方は無批判で踊らされておりましたから、我ら「この世代」の総体としてはやはり、ずれた価値観を元にずれた現状把握をしている連中の多い世代ではないかと思う、この頃です。
「体操服とあの頃」
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人生とは、出会った大小ひとつひとつの出来事と、それを咀嚼したものを、こつこつと積み上げたものですね。

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いつの世も物事の善し悪しをさておく「大人の事情」はございますが、人としてそれに対してはっきりと一線を引く価値観も、かつての社会にはあったような気がします。

いまにして思えば30年ほど昔のこと、当時の20代、30代が子ども時代に憧れたものを節操なく買いあさる「大人買い」なる、成人としての自覚も品性もないことばが横行するようになったころから、未来のこの目も当てられない惨状が用意されていたのでは、と個人的に思います。
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阪堺電車の松虫通の踏切近くにある延命地蔵尊です。地蔵菩薩は生まれてくる子を加護する存在で、「新しく生まれてくる子」を守り命を延ばすお地蔵様です。

かつての人々は我が身よりも後生を如何に大切に思ったか。きょうびの日本ならば、現世利益しか眼中にない我ら中高年が人より己の更なる長生きばかりを願いそうなところであります。
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本職のてんやわんやが現在進行形で続いており、SNSもだいぶご無沙汰続きの間にベランダの萩はだいぶ咲き切ってしまいました。
新しくなったお札の渋沢栄一像を目にする度に、若い頃目にした「昔から四十を不惑というが彼の人生を見ると四十にして初めて惑うというべきでは」との評は誰だったかしらんと都度思いながらちっとも思い出せぬこの頃、いま還暦前後のある二人の、どちらもええ歳をして何やという見苦しい立ち振る舞いに接し、「初めて惑う」一般的なお年頃が、どうも渋沢の頃よりも随分遅くなっているのではと思ったところです。
「初めて惑う」とは即ち「若者時代の終わりが突きつけられ世界が一変する」時機ではなかろうかと今にして思います。いくら往時にあれほどまでに猛威を振るった新人類世代とて、徒に若さを謳歌盲信するあまり「初めて惑う」時期が遅れ過ぎると、どうも案配がよろしくないようで。

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この夏確信したのは、スマホで労せず座して世界中から手元に入ってくる情報を「自分の周囲半径5メートルの価値観」で加工し言説を垂れ流す行為が、おおかたの世界人類にとっては、さながら昭和日本のプロ野球応援よろしく「暇つぶしや鬱憤晴らしの娯楽」と化しているのだろう、ということです。

だからこそこの世で自分自身が依るべきものは、誰でもない自分自身による体験と自分自身による研鑽と自分自身による考察に基づく自分自身の判断しかないのではありますまいか。
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当時新聞部の後輩の副部長が部室で語っていた記憶が一番鮮明ですが、いまや太古の高校生のころ、「自分たちのいっこ下の学年から少し変わった」というフレーズを、私を含め時折口にしていたように思います。その後も私よりずっと若い世代が同じようなことを口にしていておやと思ったことがありましたので、恐らく少なからぬ人たちが10代後半にくぐり抜ける感覚なのでしょう。

10数年間の子どもの時期に、情報と体験を次々に得て把握した「私のこの世界」と異なる、それよりも新しい別の「この世界」の存在を初めて感じたあのときから幾星霜。果てしなく増える「より新しい『この世界』」を最初は無意識に、次第に必死になって追い求める年頃がしばらくありました。

その時代も過ぎ去りつつあるいま。俗世で禄を食まねばならぬ以上はと、自ら進んで新旧の「別のこの世界」を積極的に追う稼業になお従事しておりますが、同時に個人としては、一人の頭脳では抱えきれないほどにふくれあがった「この世界」を一つずつ整理し、削り、捨てていき、彼岸にまで持って行けるたった一つの「私のこの世界」を再び構築していくプロセスに入ったことを実感しています。私にとっての漫画の作業は、そういう位置づけです。

「お盆に思う」
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世相相変わらず不透明な昨今ですが、個人的に節目となる来年夏を目指してこれまでの「たゞ、玉響の夢」を少部数ながら本にまとめられたらと考え、本編の第3回と2ページ建ての「ぷち」7話めを、同時進行でぼちぼちながら進めております。

もとより需要無視・不採算前提の制作活動で、数を捌かんと同人誌即売会などの疑似商業出版的なメインストリームに無理をして合わせる気もさらさらございませんので、Fediでフォローしている方が利用されているショップなど参考に、頒布のチャンネルを確保しようと思っております。

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種々問題を起こしていながら、最後まで手つかずに残っていた懸案のPixivを、Fediverseの投稿で存在を遅ればせながら知った凸版系のXfolioにすべて移転させ、一昨年のTwitterの混乱に端を発した2000年代発祥「オールド・メディア」からの脱却作業を漸く果たしました。これにあわせてサイトのほうも少し加筆修正しております。

「画像の差し替えすら有料」という、ベンチャーメディアにありがちな「姑息な制約で小銭稼ぎ」がないだけでも、Xfolioは快適に感じます。

この歳になると周りを見渡しても感心するほど腰が重くなるもので、新しい環境へ足を踏み出すことを面倒に感じ、噴出する問題に日々我慢し耐えながら慣れ親しんだ所に座り込み続けるという、若い頃にはあり得なかった判断をついしがちです。

「あの頃の常識はもう常識ではない」。FediverseやBlueskyで拝見する若い人たちの行動力を見習わねばと日々痛感しております。 

Xfolioのアカウントはこちら→ xfolio.jp/system/recaptcha?cre

ついこの間のように思える日々がこれほど昔ならば、この先の時間があっという間に消え去ってしまうだろうことも、容易に想像がつくというものです。

『40年ほど昔のきのう』
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数日前の「今日の日はさようなら」のBluesky記事が、恥ずかしながら老眼で気づかずサイトへのリンクの末尾ひと文字がなくなった状態で投稿してしまったため、エラー(Ошибка)ページに飛ぶ仕儀と相成りました。

ここで存在をすっかり忘れていたエラーページを、お詫びを兼ねて少し手を入れまして、紹鷗森高1年7組カルテットの絵が表示されるようにしました。最初はそんなつもりはなかったのですが、結局45年ほど昔の漫画同人誌の表紙風(?)になりました。

「Ошибка 404」

1970年代に広く歌われた「今日の日はさようなら」。

歌詞の「またあう日まで」に、いつでもまた、同じような日を送ることができると思っていた、若者ならではのあの頃の感覚がよみがえります。現実はそんなことはなかったのですが。

以前に夢で見て思いついた「吹き出しなし」でねちねちと1ページ描いてみました。でもだからといってやっぱり「バンドデシネ」にはなりませんね。

『たゞ。玉響の夢・ぷち-今日の日はさようなら』
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この北天神筋をもう少し北に上がると4年前に描いた中央センター裏のかつての商店街に至ります。いまはもう「跡地」ですが…。

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本業がまさに斬るか斬られるかという場面もあったりして半月ひと月があっという間に過ぎてしまいます。とはいえ若くもない身、この日々もいつかは終わりが来てしまうことは自明の理です。4年前に描いたものをBridgy Fedのためしを兼ねて。『Discontinuity』
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仕事がてんやわんやの中Twitterは放置のまま先月末で投稿を取りやめましたが、動画もYoutubeチャンネルを廃してFediMovieに移してサイトからのリンクも修正し、メディアはいちおう下記の通りの体制となりましたので改めてまとめました。

2月のBluesky開設告知広告は昭和30年代末の活版印刷をイメージしましたので、今回はそこから数年あと、昭和40年代半ばの写植組みオフセット印刷風を目指してみました。

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4月になっても地味に仕事が多く、しかも若い頃にはなかった季節の変わり目で体調崩しつつとあっては如何ともし難いところです。

久々に町並みの背景をちゃんと描いてみました。竹本家の近所で、府立紹鴎森高校(を想定している場所)から徒歩11分の通学ルート途中にあたります。

このあたりは4年ほど前にひと区画まるごと更地になって周囲から浮いた高級そうな4階建てのアパートが立ちました。 

『南神合町』
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ことしは特に3月に輪をかけててんやわんやの日々が続き、気がつくと4月になってしまいました。あの年のユキヤナギは、ことしよりも早く花が咲いていたように思います。それからもう9回目の春が来ました。
「ユキヤナギ」
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世情落ち着かず稼業が連日ばたばたしておりご無沙汰状態です。昨年のまだ暑いうちに着手した夏服のお話は今年の夏服の季節には間に合わせたいと思っておりますが…。

漫画のほうは吹き出しで隠れるだろう部分も含めて描き込んでいますので先日は吹き出しレイヤを外すとバンド・デシネになる(ならない)という夢を見ました(笑)。

ただ私めセンスのなさと長年の稼業の悪影響でどうしても言葉を並べたがる悪癖がございますので、この夢一考の余地もあるかと思っております。

世間の事どもに接し続けなければならない稼業を続けていますと、一瞬の刹那に過ぎない今を、絶対で永遠のものと思い込んでしまう、人の哀しき性故の出来事に、世界は満ちていると感じます。

その刹那の瞬間でも、とてもとても長く感じた子どものころ、若いころの感覚が成せる事なのでしょうが、だからこそ古今東西の老若男女は、過ぎゆく刻のあまりの早さに気づくある年かさに達すると、感覚と現実との相違に戸惑い、哀しみ、そしてなにがしかの抵抗を試みたりしてきたのでしょう。

きょうもまた、その戸惑いと哀しみを心の隅にしまいつつ、僅かばかりの抵抗を試みる一日が過ぎてゆきます。

『春の午後』
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