ことしは復帰3年目の本職でも、内外でそうしたことを考えざるを得ない局面が多々あり、自治体首長などとの生身の鍔迫り合いもあったりしまして、自分の旗幟をはっきりと示し抗すべきことには抗す1年となりました。ましてやこちらは稼業でもない好き勝手の完全なアマチュア活動ですし、大してない人生の残り時間をどれだけ充てられるかも分からぬこの歳で、いまさら誰かに気兼ねしたところで何の得るところもございません。
ことしもありがとうございました。
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(ことし描いたもの4)
#たゞ玉響の夢
ところが。まさかそんなベーシックなものが失われることなどあるまいとタカをくくって軽んじ続け、暮らしから遊離した中身のない大言壮語をもてあそぶことに耽りつづけた先。「軽薄短小」80年代新人類世代と、その姿に憧れたフォロワー世代である私たちの世代、そしてさらにそのフォロワーとなった世代が社会の大勢を占めるようになった時代だからこそもたらされた、「いま」と「これから」といえるかもしれません。
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(ことし描いたもの3)
#たゞ玉響の夢
ひと一人の頭脳ではとても処理しきれない膨大な量の、時局を巡る情報が日々押し寄せる時代ですが、「家庭の衣と食と住」という、原始的で当たり前な「日々の暮らし」を「すべての人が」「ごく普通に」営める世界かどうかこそ、その最前線にいる私たちが据えるべき本来の価値基準であるべきではないでしょうか。終戦後、「暮しの手帖」を創刊した花森安治の思想でもありました。
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(ことし描いたもの2)
#たゞ玉響の夢
去年のきょう記したとおりに、ことしはさらにさらに価値観の崩壊が相次いだ1年でしたけれども、これもまだたぶん序盤。いま当たり前にあるものが日に日に失われるのは遷ろう刻の道理ながら、その代わりにこの先何がもたらされるのかは、誰にも分かりません。
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(ことし描いたもの1)
#たゞ玉響の夢
「生えば立て、立てば歩めの親心」。暮れのこんな平凡な光景ですら、私を含めてもう二度と手に入らない人は世間には多くおりますし、時局をみるかぎり、これからさらに増えることでしょう。そんなことを思いながらきのうは石化したごまめ(田作り)を一匹一匹しこしこと描いておりました。
「たゞ、玉響の夢ぷち 8」(1/1)
https://sozertsaniye-series.blogspot.com/1979/10/ttp08.html
#たゞ、玉響の夢
お手紙に心躍らせたことは、高校を卒業した翌年の年賀状あたりが最後だったでしょうか。もう遙か彼方の遠い昔になってしまいました。
無関係な人のメールアドレスを悪用して何やら物騒なことをする事案が知らぬ間に起きているとかで、これまで一度も当出版所のアドレスが有効活用されたことはないながらも、本を出すことも考えているところでございますので、アドレス表示に代えて見よう見まねで「自己紹介」ページにお問い合わせフォームを設け、さらにその勢いでメッセージの送信完了画面に使うイラストを描きました。
数秒で元の画面に戻りますので必要あるのかどうか、というところではございますが…。
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#たゞ玉響の夢
2ページぐらいならと思い立ったあとの、本職のあれやこれやの案件に加えひどい風邪までもらう羽目に陥ってしまい、結局ネームを描いてからここまで1か月半もかかってしまいました。
昨今の世間は現実世界とは「似て非なる」、もはや仮想ですらない、架空といってもよい世界が支配する時局となっておりますが、現実なくして仮想も架空もありません。生身の人間どうしの繊細な機微に触れる「現実の生」を軽んじるところに、人の未来はありますまい。
「たゞ、玉響の夢・ぷち7」
https://sozertsaniye-series.blogspot.com/1979/10/ttp07.html
先月末時点で残っていた本職のほうの2つの案件もかたがつきましたが、その過程で街場のひどい風邪を貰う羽目になってしまい、その後10日間ほど絵を描くどころではございませんでした。結局漫画のほうは半月ほど棒に振った形となりました。
#たゞ玉響の夢
先週仕事で伺った高校で「今どきは胸に校章ではないのだな」と思いながら生徒達の体操服姿(但し男子)を見て、ずっと手つかずだった現代の府立紹鷗森高校の体操服を決めることにし、響子の時代には避けられぬあの問題にまつわる種々の記憶も思い起こしつつ描きました。
その当時は、「男の○○」「女の○○」「男なら○○」「女なら○○」とテレビCMで性別アピールを連呼するばかりの何とも雑なセールスに、「健康美」という単語を免罪符とばかりに男目線のやりたい放題、かてて加えて女にもそれを甘受するのが当然と刷り込ませたいかのような中身の、ほぼ男性作のテレビ番組や雑誌、漫画、流行歌もあふれていましたから、当時の「先進社会」の自意識とは裏腹な、未だ野蛮で歪んだ世の中でありました。
高校3年間同級で私を漫研掛け持ちにさせたNさんのように、高校生の当時からそうした「常識」を批判視していた、先見の明ある人もいるにはいましたが極少数派、大方は無批判で踊らされておりましたから、我ら「この世代」の総体としてはやはり、ずれた価値観を元にずれた現状把握をしている連中の多い世代ではないかと思う、この頃です。
「体操服とあの頃」
https://sozertsaniye.blogspot.com/2024/11/2411b.html
#たゞ玉響の夢
人生とは、出会った大小ひとつひとつの出来事と、それを咀嚼したものを、こつこつと積み上げたものですね。
#たゞ玉響の夢
https://sozertsaniye.blogspot.com/2024/10/2410d.html
いつの世も物事の善し悪しをさておく「大人の事情」はございますが、人としてそれに対してはっきりと一線を引く価値観も、かつての社会にはあったような気がします。
いまにして思えば30年ほど昔のこと、当時の20代、30代が子ども時代に憧れたものを節操なく買いあさる「大人買い」なる、成人としての自覚も品性もないことばが横行するようになったころから、未来のこの目も当てられない惨状が用意されていたのでは、と個人的に思います。
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#たゞ玉響の夢
阪堺電車の松虫通の踏切近くにある延命地蔵尊です。地蔵菩薩は生まれてくる子を加護する存在で、「新しく生まれてくる子」を守り命を延ばすお地蔵様です。
かつての人々は我が身よりも後生を如何に大切に思ったか。きょうびの日本ならば、現世利益しか眼中にない我ら中高年が人より己の更なる長生きばかりを願いそうなところであります。
https://sozertsaniye.blogspot.com/2024/10/2410b.html
#たゞ玉響の夢
本職のてんやわんやが現在進行形で続いており、SNSもだいぶご無沙汰続きの間にベランダの萩はだいぶ咲き切ってしまいました。
新しくなったお札の渋沢栄一像を目にする度に、若い頃目にした「昔から四十を不惑というが彼の人生を見ると四十にして初めて惑うというべきでは」との評は誰だったかしらんと都度思いながらちっとも思い出せぬこの頃、いま還暦前後のある二人の、どちらもええ歳をして何やという見苦しい立ち振る舞いに接し、「初めて惑う」一般的なお年頃が、どうも渋沢の頃よりも随分遅くなっているのではと思ったところです。
「初めて惑う」とは即ち「若者時代の終わりが突きつけられ世界が一変する」時機ではなかろうかと今にして思います。いくら往時にあれほどまでに猛威を振るった新人類世代とて、徒に若さを謳歌盲信するあまり「初めて惑う」時期が遅れ過ぎると、どうも案配がよろしくないようで。
#たゞ玉響の夢
https://sozertsaniye.blogspot.com/2024/10/2410a.html
当時新聞部の後輩の副部長が部室で語っていた記憶が一番鮮明ですが、いまや太古の高校生のころ、「自分たちのいっこ下の学年から少し変わった」というフレーズを、私を含め時折口にしていたように思います。その後も私よりずっと若い世代が同じようなことを口にしていておやと思ったことがありましたので、恐らく少なからぬ人たちが10代後半にくぐり抜ける感覚なのでしょう。
10数年間の子どもの時期に、情報と体験を次々に得て把握した「私のこの世界」と異なる、それよりも新しい別の「この世界」の存在を初めて感じたあのときから幾星霜。果てしなく増える「より新しい『この世界』」を最初は無意識に、次第に必死になって追い求める年頃がしばらくありました。
その時代も過ぎ去りつつあるいま。俗世で禄を食まねばならぬ以上はと、自ら進んで新旧の「別のこの世界」を積極的に追う稼業になお従事しておりますが、同時に個人としては、一人の頭脳では抱えきれないほどにふくれあがった「この世界」を一つずつ整理し、削り、捨てていき、彼岸にまで持って行けるたった一つの「私のこの世界」を再び構築していくプロセスに入ったことを実感しています。私にとっての漫画の作業は、そういう位置づけです。
「お盆に思う」
https://sozertsaniye.blogspot.com/2024/08/2408c.html
#たゞ玉響の夢
世相相変わらず不透明な昨今ですが、個人的に節目となる来年夏を目指してこれまでの「たゞ、玉響の夢」を少部数ながら本にまとめられたらと考え、本編の第3回と2ページ建ての「ぷち」7話めを、同時進行でぼちぼちながら進めております。
もとより需要無視・不採算前提の制作活動で、数を捌かんと同人誌即売会などの疑似商業出版的なメインストリームに無理をして合わせる気もさらさらございませんので、Fediでフォローしている方が利用されているショップなど参考に、頒布のチャンネルを確保しようと思っております。
種々問題を起こしていながら、最後まで手つかずに残っていた懸案のPixivを、Fediverseの投稿で存在を遅ればせながら知った凸版系のXfolioにすべて移転させ、一昨年のTwitterの混乱に端を発した2000年代発祥「オールド・メディア」からの脱却作業を漸く果たしました。これにあわせてサイトのほうも少し加筆修正しております。
「画像の差し替えすら有料」という、ベンチャーメディアにありがちな「姑息な制約で小銭稼ぎ」がないだけでも、Xfolioは快適に感じます。
この歳になると周りを見渡しても感心するほど腰が重くなるもので、新しい環境へ足を踏み出すことを面倒に感じ、噴出する問題に日々我慢し耐えながら慣れ親しんだ所に座り込み続けるという、若い頃にはあり得なかった判断をついしがちです。
「あの頃の常識はもう常識ではない」。FediverseやBlueskyで拝見する若い人たちの行動力を見習わねばと日々痛感しております。
Xfolioのアカウントはこちら→ https://xfolio.jp/system/recaptcha?creator_code=sozertsaniye&portfolio_path=/portfolio/sozertsaniye&org_domain=xfolio.jp
ついこの間のように思える日々がこれほど昔ならば、この先の時間があっという間に消え去ってしまうだろうことも、容易に想像がつくというものです。
『40年ほど昔のきのう』
https://sozertsaniye.blogspot.com/2024/06/2406a.html
数日前の「今日の日はさようなら」のBluesky記事が、恥ずかしながら老眼で気づかずサイトへのリンクの末尾ひと文字がなくなった状態で投稿してしまったため、エラー(Ошибка)ページに飛ぶ仕儀と相成りました。
ここで存在をすっかり忘れていたエラーページを、お詫びを兼ねて少し手を入れまして、紹鷗森高1年7組カルテットの絵が表示されるようにしました。最初はそんなつもりはなかったのですが、結局45年ほど昔の漫画同人誌の表紙風(?)になりました。
「Ошибка 404」
1970年代に広く歌われた「今日の日はさようなら」。
歌詞の「またあう日まで」に、いつでもまた、同じような日を送ることができると思っていた、若者ならではのあの頃の感覚がよみがえります。現実はそんなことはなかったのですが。
以前に夢で見て思いついた「吹き出しなし」でねちねちと1ページ描いてみました。でもだからといってやっぱり「バンドデシネ」にはなりませんね。
『たゞ。玉響の夢・ぷち-今日の日はさようなら』
https://sozertsaniye.blogspot.com/2024/05/blog-post_22.html
Симоку Тачибана творческого объединения «Издательство „Созерцание“» старший тележурналист новостей, автор серии рисованных историй «Просто, мимолетная мечта». Помни о смерти. Вебсайт: https://sozertsaniye.blogspot.com ©Симоку Тачибана, ТО «Издательство „Созерцание“». Все права сохранены. Запрет на обучение ИИ/МО. Я могу Boost посты на Bluesky через Bridgy Fed. #たゞ玉響の夢