一方で人生の終わりが見えてくる中、そういう「此岸のうちでしか意義のないもの」へのアンチテーゼとして漫画を描いている次第で、故に流行も受けもへったくれもない作品ばかりでお恥ずかしい限りです。

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>BT
私めこの歳で復帰した稼業が海千山千やヤカラ体質(肩書きにかかわらず)が相手の局面もあり、得意ではないものの論理的に攻めないと逆にこっちが潰されかねないスリリングさも味わえるところではありますが、少なくとも自分自身はその根底に「感情」がないと、腰が重くなって動けないと感じております。

論理的であることは「それは流石にアカンやろ」等々の内なる感情を具体化させる「単なるツール」に過ぎず、人がこのけったい極まりないシャバで何事かを成そうとするときには両者がともに一体でないと駄目なんだろう、という気がしています。

これは俺もなりがちなんだけど、なんで「感情的」よりも「論理的」の方が良いとされてるかはよくわかんないんだよな。俺もなんとなく後者の方がいいと感じていて、つとめてそのように振る舞おうとする場面は多いのだけど、本当は感情的なのにそれをひた隠しにしようとする自分がなんだか滑稽に思えてくることがよくある

一番好きで「格好ええ」とすら思っていた夢路いとし・喜味こいしは元より、上方ではありませんが内海桂子・好江とか、あの頃主にラジオで親しんでいた名漫才師たちが、みな姿を消していきます。

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数日前の「今日の日はさようなら」のBluesky記事が、恥ずかしながら老眼で気づかずサイトへのリンクの末尾ひと文字がなくなった状態で投稿してしまったため、エラー(Ошибка)ページに飛ぶ仕儀と相成りました。

ここで存在をすっかり忘れていたエラーページを、お詫びを兼ねて少し手を入れまして、紹鷗森高1年7組カルテットの絵が表示されるようにしました。最初はそんなつもりはなかったのですが、結局45年ほど昔の漫画同人誌の表紙風(?)になりました。

「Ошибка 404」

1970年代に広く歌われた「今日の日はさようなら」。

歌詞の「またあう日まで」に、いつでもまた、同じような日を送ることができると思っていた、若者ならではのあの頃の感覚がよみがえります。現実はそんなことはなかったのですが。

以前に夢で見て思いついた「吹き出しなし」でねちねちと1ページ描いてみました。でもだからといってやっぱり「バンドデシネ」にはなりませんね。

『たゞ。玉響の夢・ぷち-今日の日はさようなら』
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>BT
またもや昔話で恐縮ですが、陸上自衛隊のとある駐屯地の司令が教育隊に入る新人隊員に訓示して曰く、「君たちはこれから長い自衛官生活に入るが、だからこそ入隊以前のそれぞれの友人を、より一層大切にしなければならない」。

世間に出てからの知り合いは、霞を食っているわけでなない「生活者」である以上当然ながら、互いに稼業という利益活動が属性としてついて回ることは避けられなくなります。

私も20代のころは、それ以前の「友人」と、シャバに出てからの「知人」の境界線がなかなか付きづらく大変な思いをしたこともありましたが、齢を重ねると人間そんなもんやと適当に調子を合わせたりできるようになってしまったのはなんともはや。

ときに件の司令は、そのお名前からして如何にもなガチガチの自衛官かと思いきや、人が「組織人」になってしまうその悪弊を理解し、それを説くことができる珍しい司令でした。

みんな結局のところ、高潔なフリをしていても「コイツと仲良くしておくと利益があるからなぁ」で仲良くした友人はひとりふたり居るモンだし、明示的にそれを自覚してなくても振り返るとそうだったな、という友人は沢山いるはず

たまたま耳に入ったNHKラジオ第一のラジオドラマ、新聞社整理部の降版時間直前の何とも懐かしい怒号が飛び交っていて、若いころは紙媒体だった私は反応せざるを得ませんでした。

私のころはもう写植機から出力の棒ゲラを倍尺片手に切り貼りする時代ではなく、面担が直接PCモニタで組み付けていました。データを降版するとすぐ輪転機がある1階に駆け下り、出てくるシルバーマスターの出来を見ながら機長に渡していたあの頃も、気付けば遠い遠い昔になりました。

編集局の下から今は無きハマダの輪転機の音が響き始めると、一服してから次の担当面に取りかかったものです。

当時の整理部は各社とも日陰な不人気セクションの代名詞で、組版も大好き人間な私は変わり者の部類でしたが、先日聞いた話では、いまの記者にとっては決まった時間に帰宅できる整理部が一番人気だそうで、時代も変われば変わるものです。




この北天神筋をもう少し北に上がると4年前に描いた中央センター裏のかつての商店街に至ります。いまはもう「跡地」ですが…。

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本業がまさに斬るか斬られるかという場面もあったりして半月ひと月があっという間に過ぎてしまいます。とはいえ若くもない身、この日々もいつかは終わりが来てしまうことは自明の理です。4年前に描いたものをBridgy Fedのためしを兼ねて。『Discontinuity』
sozertsaniye.blogspot.com/2020

仕事がてんやわんやの中Twitterは放置のまま先月末で投稿を取りやめましたが、動画もYoutubeチャンネルを廃してFediMovieに移してサイトからのリンクも修正し、メディアはいちおう下記の通りの体制となりましたので改めてまとめました。

2月のBluesky開設告知広告は昭和30年代末の活版印刷をイメージしましたので、今回はそこから数年あと、昭和40年代半ばの写植組みオフセット印刷風を目指してみました。

sozertsaniye.blogspot.com/p/ab

空白期間だったあいだ、以前『たゞ、玉響の夢』2話分のPVを公開していたチャンネルをYoutubeからFediMovieに移しました。

今月も気がつけば旧Twitterは混乱の度をまたひとつ深めそうな発表があった由ですが、そんな状況を尻目に大手SNSからはひととおり脱出できたかな、という感じです。
fedimovie.com/c/movies.sozerts

4月になっても地味に仕事が多く、しかも若い頃にはなかった季節の変わり目で体調崩しつつとあっては如何ともし難いところです。

久々に町並みの背景をちゃんと描いてみました。竹本家の近所で、府立紹鴎森高校(を想定している場所)から徒歩11分の通学ルート途中にあたります。

このあたりは4年ほど前にひと区画まるごと更地になって周囲から浮いた高級そうな4階建てのアパートが立ちました。 

『南神合町』
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ことしは特に3月に輪をかけててんやわんやの日々が続き、気がつくと4月になってしまいました。あの年のユキヤナギは、ことしよりも早く花が咲いていたように思います。それからもう9回目の春が来ました。
「ユキヤナギ」
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世情落ち着かず稼業が連日ばたばたしておりご無沙汰状態です。昨年のまだ暑いうちに着手した夏服のお話は今年の夏服の季節には間に合わせたいと思っておりますが…。

漫画のほうは吹き出しで隠れるだろう部分も含めて描き込んでいますので先日は吹き出しレイヤを外すとバンド・デシネになる(ならない)という夢を見ました(笑)。

ただ私めセンスのなさと長年の稼業の悪影響でどうしても言葉を並べたがる悪癖がございますので、この夢一考の余地もあるかと思っております。

世間の事どもに接し続けなければならない稼業を続けていますと、一瞬の刹那に過ぎない今を、絶対で永遠のものと思い込んでしまう、人の哀しき性故の出来事に、世界は満ちていると感じます。

その刹那の瞬間でも、とてもとても長く感じた子どものころ、若いころの感覚が成せる事なのでしょうが、だからこそ古今東西の老若男女は、過ぎゆく刻のあまりの早さに気づくある年かさに達すると、感覚と現実との相違に戸惑い、哀しみ、そしてなにがしかの抵抗を試みたりしてきたのでしょう。

きょうもまた、その戸惑いと哀しみを心の隅にしまいつつ、僅かばかりの抵抗を試みる一日が過ぎてゆきます。

『春の午後』
sozertsaniye.blogspot.com/2024

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