母子家庭で生活保護受給世帯だった中学時代のころに触れたので、油揚げをフライパンで焼いて醤油を垂らしたのが夕食のおかずだったことを思い出しました。高校生になって読んだ内田百閒の随筆に、尋常小学校時代の貧しい同級生の家でこれをご馳走になったあと造り酒屋の自宅に戻って作って欲しいと母親にねだって怒られたくだりがあり、「まさにウチ」と思ったものでした。

中学当時の私はバカに無邪気でしたし要らぬ比較情報も入らない時代だったので何も思いませんでしたが、いまもあのころ時折炒めておかずにした雑草の野蒜が道ばたのあぜに生えているのを目にしたりするたびに、生き延びるに必死だった当時40すぎの母の心境を思います。

ある在米日本人のかたが、恐らくいま日本に住む人たちがこの正月、現状に対してそれぞれの意思表明を行っていることを揶揄する言及をされていました。

人のリアルな生活におけるリアルな観測範囲というものは案外狭いもので、いかに情報があふれようと、その範囲外になると理解度は著しく大雑把になり、ともすれば個々の実情は捨象され無かったことにされます。

そのかたは、米国に比して日本にいる人は一様に「安全地帯の傍観者」の括りなのだろうなと思うのですが、日本の地方の現場にいる立場としては首肯しがたいところです。

たしかに米国のように実弾が飛び交うようなことはないにしろ、この1年間でも本職で直に触れる地方政治や自治体の実態は、一皮むけば激しい少子高齢化による人材不足で10年前ですら考えられない、酷いケースではトランプ並みの「法令無視上等」な劣化ぶりが進行中ですし、心がけて顔を出して値札を見ている格安業販スーパーでは、特にお米の信じられない高騰ぶりに、太古の中学生のころ母子家庭で生活保護を受けていた身としてはぞっとする思い。やるかたのない絶望的な思いを抱えて店を出る人も少なからんと感じています。

自分の経験と想像力を総動員して、リアルな観測範囲の外をどこまでカバーできるかが、より問われる時代ではないかと思います。

21世紀もあっという間に四分の一が過去となる年になり、いよいよ世間のおおかたの世代の経験則では、もはや想像も付かない時代の入り口に入ってしまったように思います。 1925年の正月当時、わずか20年後に人類未体験の惨状が我が身に降りかかることを想像していた人はいかばかりか、などとふと考えながら、此岸の終わりが見えてきた一人として、果たすべきことを果たしていこうと思っております。 「寒風が吹き抜けても」 sozertsaniye.blogspot.com/2025/01/2501... #たゞ玉響の夢 #年賀状

ことしは復帰3年目の本職でも、内外でそうしたことを考えざるを得ない局面が多々あり、自治体首長などとの生身の鍔迫り合いもあったりしまして、自分の旗幟をはっきりと示し抗すべきことには抗す1年となりました。ましてやこちらは稼業でもない好き勝手の完全なアマチュア活動ですし、大してない人生の残り時間をどれだけ充てられるかも分からぬこの歳で、いまさら誰かに気兼ねしたところで何の得るところもございません。

ことしもありがとうございました。
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(ことし描いたもの4)

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ところが。まさかそんなベーシックなものが失われることなどあるまいとタカをくくって軽んじ続け、暮らしから遊離した中身のない大言壮語をもてあそぶことに耽りつづけた先。「軽薄短小」80年代新人類世代と、その姿に憧れたフォロワー世代である私たちの世代、そしてさらにそのフォロワーとなった世代が社会の大勢を占めるようになった時代だからこそもたらされた、「いま」と「これから」といえるかもしれません。
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(ことし描いたもの3)

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ひと一人の頭脳ではとても処理しきれない膨大な量の、時局を巡る情報が日々押し寄せる時代ですが、「家庭の衣と食と住」という、原始的で当たり前な「日々の暮らし」を「すべての人が」「ごく普通に」営める世界かどうかこそ、その最前線にいる私たちが据えるべき本来の価値基準であるべきではないでしょうか。終戦後、「暮しの手帖」を創刊した花森安治の思想でもありました。
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(ことし描いたもの2)

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去年のきょう記したとおりに、ことしはさらにさらに価値観の崩壊が相次いだ1年でしたけれども、これもまだたぶん序盤。いま当たり前にあるものが日に日に失われるのは遷ろう刻の道理ながら、その代わりにこの先何がもたらされるのかは、誰にも分かりません。
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(ことし描いたもの1)

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「生えば立て、立てば歩めの親心」。暮れのこんな平凡な光景ですら、私を含めてもう二度と手に入らない人は世間には多くおりますし、時局をみるかぎり、これからさらに増えることでしょう。そんなことを思いながらきのうは石化したごまめ(田作り)を一匹一匹しこしこと描いておりました。
「たゞ、玉響の夢ぷち 8」(1/1)
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、玉響の夢

お手紙に心躍らせたことは、高校を卒業した翌年の年賀状あたりが最後だったでしょうか。もう遙か彼方の遠い昔になってしまいました。

無関係な人のメールアドレスを悪用して何やら物騒なことをする事案が知らぬ間に起きているとかで、これまで一度も当出版所のアドレスが有効活用されたことはないながらも、本を出すことも考えているところでございますので、アドレス表示に代えて見よう見まねで「自己紹介」ページにお問い合わせフォームを設け、さらにその勢いでメッセージの送信完了画面に使うイラストを描きました。

数秒で元の画面に戻りますので必要あるのかどうか、というところではございますが…。
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2ページぐらいならと思い立ったあとの、本職のあれやこれやの案件に加えひどい風邪までもらう羽目に陥ってしまい、結局ネームを描いてからここまで1か月半もかかってしまいました。

昨今の世間は現実世界とは「似て非なる」、もはや仮想ですらない、架空といってもよい世界が支配する時局となっておりますが、現実なくして仮想も架空もありません。生身の人間どうしの繊細な機微に触れる「現実の生」を軽んじるところに、人の未来はありますまい。

「たゞ、玉響の夢・ぷち7」
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先月末時点で残っていた本職のほうの2つの案件もかたがつきましたが、その過程で街場のひどい風邪を貰う羽目になってしまい、その後10日間ほど絵を描くどころではございませんでした。結局漫画のほうは半月ほど棒に振った形となりました。

クリエイターを筆頭に、何かをこの世に発信する人は、そのへんの人に「思想が強い」などと揶揄されるくらいの確固たる基準(弱者に害をなさない、等)を自分の中に持ち、地面に杭のごとくドスッと刺しておかないと、アテンション・エコノミーの暴風にあっさり吹っ飛ばされてしまうなぁ、と思うことが増えた。

(´-`).。oO(たんじゅんに本の紹介投稿はもう、twitterよりBlueskyのほうが踏まれやすくなってる気がします)

もともと加齢で体調の良い日など一日たりともありませんが、時間が取れそうなのに仕事の件もあって集中できない状況なので、致し方なく前から気になっていたサイトの部分のコードを少し修正し、「たゞ、玉響の夢」作品ページには手つかずだったキャスティング紹介も加えてみました。

基本的には既に出ている情報ばかりですが、一部まだ作品に反映できていないところもありますので、今後の課題です。

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本職も昔を思えば様変わりしまして、東京の文化担当ならいざ知らず、地方の持ち場であっても「漫画」を扱うことが時々出てきました。 人気急上昇なとある若い作家さんを扱ったとき、私個人がひっそり漫画も描いている故に「出稿は安心だね」といわれてしまいましたが、世界は広大にして私の守備範囲はあまりにも狭く。 「ナウなヤングにバカうけ」(死語)な商業の最前線は寡聞にして知らずという体たらくでございますので、右往左往いたしました。もっともいまの若い人の考えるところなど、お陰様でロートルとて少なからず勉強にもなります。

こちらは仕事で行った山のほうの町で何冊か見つけて購入した「話の特集」の一冊。帰宅して本文書体を見ておやと思い奥付をみたら印刷はこちらも大日本印刷。見たところタイトルなどはほぼすべて写植の版下を写真製版で凸版にして組み付けている凝りようです。 かつての日本のメディアは個々のスタンスを明確にしずばずば指摘する文化がありました。現況につながる記述も目立ちます。 新雑誌を巡る対談で椎名誠は「ぴあ」の急成長を「日本全国クローン人間化」と指摘。「これは大変なことなんじゃないか。一人すごい奴が出てきて、『みんな北を向けー!』て言ったら北を向いちゃうみたいなね」 …40有余年後の日本、まさにそんな感じで。

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実家にあったいまは絶版の「季刊『銀花』」(文化出版局)の半世紀前1974年の号です。 特徴ある表紙の版下は当時大日本印刷で刷られた活版清刷を毎回切り貼りしたもの、あまりに手間なので後年編集部要望で初号明朝を写研で文字盤化(秀英明朝SHM)して写植に移行したのは有名な話で、本文も一瞥してわかる秀英体ですが、米国人元外交官版画コレクターの記事に「世界一物価が高い東京」のコメントが。 1ドル360円時代よりは円高とはいえ、なお300円の時代に、米人をして世界一高いと言わせる力が当時の日本にはあったわけで、150円前後でも海外の物価水準に絶句するいまの日本の立ち位置がどれだけ変わったか、実感します。

職域の問題解決で毎日のように手立てを考え出方をみながら繰り出していました鉄火場案件の一つがきのう一定の着地点をみまして少しやれやれです。これから現場に入りますが大風が吹いていて家の洗濯物が心配です。 #たゞ玉響の夢

今週は本職が半ば以降予想外の鉄火場な週となりましたので、ペン入れはやっとの思いで結局ここまででした…。取り巻く鉄火場要素は現段階で3つでして、来週もどうなることやら。 #たゞ玉響の夢

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