ポリコレ配慮の作品を見た時に制作サイドの意図とか忖度が見えてなんかイヤ、みたいな気持ちになるのはまぁわからんでもないけど、ポリコレ以前だってそういう意図や忖度はマーケティングの結果行われてきたわけで、今まで無邪気にそれに気づいていないフリをしていられたってだけじゃんと思ってしまうんだよな
https://www.orefolder.net/2023/08/x-t-co/
> X(旧Twitter)で使われている短縮リンクt.coにおいて、古いものが機能しなくなっています。ユーザーが元々書いたURLは消えたまま、リンクの付かないt.coのURLが表示されるだけになっています。
えええ……。
確かに自分の #twilog で調べたら、2011年あたりのリンクがたどれなくなっている。時期によって挙動が違うようなので、あとで調査するつもり。
ちなみに #Notestock ではt.coのURLは元のURLに変換されており、t.coを経由せずにリンク先に行けるようになっているようである。おささん偉い。
https://twitter.com/WPhBPh/status/1690510817396228096?t=BLTkX4I7RYC03OP-kzC5rA&s=09
コミケ参加される方、くれぐれもお気をつけてです。
知識は階級を超える!『スーパー30』 #鑑賞記録 2019年ヒンディー映画
【あらすじ】貧しい産まれのアーナンドは数学の才能を持ちながらも金銭的な理由で挫折し、苦しい生活を送っていた。ある日、学習塾の教師に抜擢され一気に成功を収めるが、裕福な子どもだけが教育を受けることに疑問を持ち始める。そこで資材を投げうち、貧困層の子どもを無料で教育する塾を始めるのだが…。
キラキラしてないリティク・ローシャンの抑えた演技と、考え抜かれた脚本が胸を打つ傑作。
「王になるのは王の子ではなく、能力のあるものだ」というセリフが示す通り、社会の最下層を生きる子供たちが教育を通じて成長し、階級社会に打ち勝とうとする姿を感動的に描く。大規模なオーディションで選出された30人の子どもたちの存在感も素晴らしく、楽曲は強いメッセージを含んだ印象深いものとなっている。
参照させていただいた、早川さんの引用されている、「哲学者・永井玲衣さん」、私は「朝日」を普段読んでいないので、はじめて知ったが、この人一応「サルトルを「研究」していた、ことになっているらしい。
これは驚いた。私も一応サルトル研究者のはしくれである。この人の思考様式、サルトルとは真逆である。というか、政治や社会について公的に発言する「最低限の常識」がない。
このところ、魯迅研究者を名乗る「ヒロユキ」仕草の男やサルトル研究をしていたこの方のような人々の出現には驚く日々が続いている。
真面目に批判すれば、高橋俊やら、この永井さんは、日本語訳でも魯迅やサルトルを「めくった」だけで「読んだこと」はないだろう。そもそもサルトルのテクストは研究するには「かなり難しい」。
しかし、高橋俊はただの「ネトウヨ」だから仕方ないとして、永井さんの方は登場させる『朝日』の立ち位置、言説戦略は徹底的に批判されるべきだろう。
しかし東浩紀にしても、一応デリダは読んだことにしているが、滅茶苦茶なのは、右に(上だが)同じ。
ここまで来ると、やはり日本の人文学研究の在り方そのものを根底から見直すべきだろう。
ただし、それは勿論人文学の再建・拡大のためである。 [参照]
秩父の返礼品「イチローズモルト」提供停止 異例の措置、背景には… - 毎日新聞ニュース
https://mainichi.jp/articles/20230812/k00/00m/040/077000c
「横断的戦後文化史に向けて」
脚本的に言うと、山田太一ということもあり、少なくとも「ミソジニー」ではなく、ある程度「フェミニズム」的な要素も入れてあります。まあ、それでも現在からみればいろいろ批判する余地はあるでしょうけれども。
演出的には、宇崎竜童の「Our history again」が最初のころは頻繁に挿入されていましたが、これもやはり「時代劇」に合わない、ということだったのでしょう、途中からほとんど入らなくなりました。
この『獅子の時代』が1980年であることは象徴的だと言えましょう。「文化産業」はこれから一挙にバブルと消費社会、広告産業的な感性へと転落していきます。
80年代の「パルコ文化」などはその一例です。またかつてアングラの演出家として名を馳せた蜷川幸雄はまさに資本主義社会の「商業興行師」でしかなくなります。(先ほども申し上げた通り私は元来蜷川をまったく評価していませんが)
そしてNHKの大河ドラマも、以後マンネリ化していき、イデオロギー的にも登場人物が「天皇制」を批判する場面、脚本は不可能になりました。
このように、戦後日本の演劇史、運動史、社会史、映画史、批評史、思想史を横断しながら時代を辿っていく作業はなかなかに面白いものになるかもしれません。