「名古屋の文化の灯」惜しむ ちくさ正文館書店、60余年の歴史に幕 - 毎日新聞ニュース
https://mainichi.jp/articles/20230729/k00/00m/040/155000c
隅田川花火大会、4年ぶり開催 夜空を彩る大輪に歓声 - 毎日新聞ニュース
https://mainichi.jp/articles/20230729/k00/00m/040/136000c
今日は作曲家シューマンの命日ということで、交響曲第4番をバレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンの演奏で聴いています。
https://open.spotify.com/album/0mPFNFmftItN3rF566s1nM?si=QJTYGAjZToe2UP7Y7XVckw&context=spotify:album:0mPFNFmftItN3rF566s1nM
先日、妻と一緒に外出した。炎天下のなかで、日傘をさしていた妻は平気なのに、ぼくはすっかりへばってしまった。それをみた妻が、昨日、ぼくに男性用の日傘を買ってきてくれた。
買ってもらった以上は使わねばならないと思ったのだが、「男なのに日傘」というのは少々抵抗があった。ふだんはあまり意識していなくとも、ジェンダー的な規範意識が自分のなかにもあるんだなあと改めて思う。
とはいえ、使ってみると、やはり日の当たるところでも少し楽に歩ける気はする。さらに、日傘をさしていると、わずかだが同じように日傘をさしている男性の存在に気づき、少し勇気づけられる。
同じ少数派であっても、自分一人しかいないのと、何人かはいる場合で、同調圧力への耐久力がまったく変わってくるという話を思い出した。
同じ職場の人なので、ツイッターのほうで書くのはちょっと気が引けるのだが、偏差値50以上の大学生をみて若者全般を語ってしまうのは、やはり社会観として歪んでいるように思える。大学進学率55%、しかも東京と地方とで進学率にかなりの差があることを踏まえると、それで若者全般を語ってはいけないんじゃなかろうか。
日高六郎さんは名著『戦後思想を考える』の冒頭で次のように書いている。
極東軍事裁判において「A級容疑者を釈放。・・・しかし岸信介、児玉誉士夫、笹川良一にだけは学生の注意を喚起しよう。いや、もう一人できれば安倍源基(戦時の内務大臣、戦後は衆院議員)の名も教えたい。彼は特高関係を歩んだ人間である。」
「冷戦の激化の中で、私はその意味を鮮明に理解した。児玉、笹川、岸は、釈放されるべくして釈放された。つまり釈放する方がアメリカの世界戦略の本筋だったのである」
「いわば戦後は、その一点から鮮やかに照らし出されている」
日高六郎さんはまさに「反ファシズム」と「グローバル冷戦」の双方に「独立」左派として抵抗したグループの代表と言える人。
また帝国日本の植民地である青島で1917年に生まれ、旧制一高に入学するまでそこで育った日高さんは、日本の植民地責任に極めて敏感な人でもあった。
例えば、日高さんは日本国憲法の制定過程で、日本側の司法官僚が「国籍条項」を挿入し、独立後の朝鮮人、中国人の法的権利を剥奪する工作をしたことを批判し続けます。
『戦後思想を考える』は1983年出版。83年はニューアカ・ブーム、84年埴谷・吉本論争、ここから日本の文化言説はポストモダニズムへと滑り落ちていく。
昔の人には、環境問題に熱心に取り組む人が多くいた。それは、公害問題の害が目に見えて酷かったからである。
様々な基準が生まれて、被害が抑えられていくと、人々は関心を失っていく。
新党さきがけは、環境問題を政策の柱の一つに掲げていた。さきがけから政治家になった中村敦夫は、さきがけがなくなったあともみどりの会議という政党で活動した。