Audible で「同志少女よ、敵を撃て」を読了。さすが本屋大賞を受賞しただけあり、リーダビリティは抜群で、グイグイ先に進まされた。
本の紹介文に「おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?」と書かれているのだが、この答えについて読んだ人と語り合いたい気持ちになった。私には短絡的な「アレ」が真の敵としか思えないのだが、他の人はどう理解したのだろう。
ただ、主人公は4年も戦場にいて生死が紙一重の戦火を潜り抜けたにしてはナイーブ(世間知らず)すぎる気がしたし、今から80年も前の第二次世界大戦時に本当にこんなことを考えたのだろうか?とその思考性が時代錯誤なのではないかと少々戸惑った。これは単に私側の知識不足のせいかもしれないが...。
次は「戦争は女の顔をしていない」を聴き、もう少し知見を得る予定。
「ザリガニの鳴くところ」を Audible で聴き終えた。素晴らしい名作で語りも美しく、途中何度も涙させられた。
主人公を取り囲む過酷な状況や環境も、コーンミール一袋が12セントで買えた1950年代であれば、十分なリアリティがあるのだろうと想像する。裁判に引き出された彼女の弁護士の、最終弁論の尊さたるや。
そして何もかも終わり、湿地の少女が本当には何者だったかがわかる「その後」のストーリーも涙なしには聴けなかった。なぜ彼女がそうなるしかなかったのか、他の方法はなかったのか。
なかったのだと思う。
彼女の心細さや苦しみ、人間として、女性としての辛さや葛藤は、おそらく主人公と同じ時代を生きた70代の著者だからこその深みをもって語られ、心を揺さぶる。久しぶりに読書だけがもたらす大きな喜びを感じられる時間だった。
ある(米国在住の)女性が、アメリカ人の伴侶が「私にはガソリンを入れさせない(妻用の車のガソリンも必ず夫が入れる)、レディーにはそんなことさせられないと言ってくれる素敵な人」みたいなことをつぶやいてたんだけど。
それって自慢すべきことなんだろうか。パートナーがいようがいまいが、私は自分の車のガソリンぐらい自分で入れるべきだと思うし、もし自分の夫がそんな風にしてきたら違和感を覚えると思う。
これを「素敵」と思ったり、女性にそうしたりするメンタリティって、私には不思議かつ疑問でしかない。
だってガソリン入れるのって女性にだって何一つ難しくないよ?それを「代わりにやってあげる」って、私は自立の目を積んでるだけだと感じる。
肉体的にハンディのある女性のために、物理的に重たいものを持ってくれる、とかとは全然違う理由をはらんでいる気がする。
関東地方は今住んでるエリアより全然温かいみたい。こっちでは必須のちょっと重いけど温かいダウンコートは邪魔になりそう。
秋口の軽めの防水コートだけ持っていって、ユニクロでウルトラライトダウン買うのが一番なのかなぁ(円安の恩恵を考えてこちらでは敢えて購入せず)。
@ocilam 日本は「文句をつけるために文句を言う」とか「相手をみて自分より立場が弱そうな人にはとりあえずいちゃもんつける」とか「相手が好きか嫌いかで判断する」など、非合理極まりない人が多い気がします。
そして多くの場合、女性(若くても若くなくても)がそのターゲットになるんですよね…。
比較できる対象はアメリカしかありませんが、アメリカの人はもうちょっと多くの人が合理的に考えるし、もうちょっと正義感がある人が多いと思います。(男女差別は依然としてありますが、もっと救いがあるように感じる。)
正義感については、宗教を信じている人が多いのも一因かもしれません。
こういう話題は長くなりがちですみません。ツイッターだとできない議論なので、こちらで会話できるのが嬉しいです。
@YoWatShiina とても素敵だと思います!
Living in the Evergreen State for over 20 years. 在米20年以上になりました。
子育てもほぼ終了。大学生と高校生の娘がいます。仕事は密かにそろそろと、 Quiet Quitting に移行中です。
好きなこと:キャンプ、読書、森の散歩
好きなもの:古き良き少女漫画、佐藤亜紀さんの著作、オールドパイレックス