小池百合子が業界トップやそれなりに立場のある人間を集めてスマホの電話帳のあ行から電話して「小池に入れろ」と伝えてくれと檄を飛ばす動画見て思ったのだけど、今日本の社会で政治的な話をしても友人知人と疎遠にならないのはこういう層だけなんだよな。わたしも蓮舫で同じことをやろうと思っても無理だもん。これは問題だな。
ところで日本、感染爆発してますので
みなさまお気をつけを……😷
「⚠️新型コロナ感染者数が2倍前後で増えるというのは滅多にないことです。
#第11波 が報道されない間に一気に悪化し、「気づいた時には大きな数に」となってしまう。
比例して死者、コロナ後遺症も増えますし、医療逼迫になりやすく、他の病気や怪我での死者増も懸念されます。一刻も早い周知と感染対策を」
https://x.com/triangle24/status/1811649134702788634
#コロナ感染状況 #医療崩壊
立場の心理学からマジョリティ特権と構造的な差別を可視化する(出口真紀子氏)
https://www.sophia.ac.jp/jpn/article/feature/the-knot/the-knot-0011/
僕は「発達障害」「うつ病」「ノンバイナリー」という点ではマイノリティだが、「生まれた時点で日本籍」「見た目成人男性」という点では「圧倒的マジョリティ」に入る。
「差別反対」とどれだけ口で言っても、どこかで必ず「マジョリティによる無自覚」が現れる。
例えば、田母神俊雄が「外国人の生活保護廃止」を訴えている姿に「酷い!」とは思えても、自分が「日本人」である以上、その「被害」を被る事は無い。だから「酷い!」としか言えない。一方で、田母神俊雄がもし都知事になったら「命に関わる」人たちが居る。その上、その人たちには「投票する権利」すら与えられていない。自分たちの命に関わる問題を「自分たちで決められない」制度が日本にあるからだ。
僕たち「日本人」は、生まれた時から「投票できる特権」を持っている。お金があれば「立候補する特権」だってある。だから、命の危険に晒されながら「投票する権利すら持たせてもらえない」人たちへの想像力が、どうしても欠如する。「あちらを立てればこちらが立たず」というチグハグな「反差別」にしかならなくなる。
なんつーか、日ごろからすべての差別に反対します、みたいな標語をdisってる私が言うのもアレですが。
自分の属性に対する差別に対し真摯に向き合えば構造的差別というものを知り、自ずと自分の属性以外への差別にも気付き連帯をせざるを得ないものなんではないかしら、と。
だからなんというか、自らが受けている差別に対し抗おうとするのならば自ずとそうなってしまう副次的なものなのでは、と。
なのにその副産物を主たる目標とすること自体が本末転倒といいますかね。
だからまあ蓮舫氏に対する一連のネットリンチというか憂さ晴らしを指摘する際に、女性差別はもちろんあるのだけれど、それだけをピックアップして論じる事の政治性といいますか、なんか言語化能力が疲弊してきたのでそろそろ休みますが、そんなことを思ったよ。
蓮舫をここぞとばかりに叩いてる人々を分析する人々の多く(オッサンの野党政治家に多い)は女性差別については言及する一方、エスニックマイノリティ差別については言及しないのが目につくのだけど。
果たしてこれは意図的なのだろうか、それともそもそも認知してないのだろうか。
護憲派。発達障害(ASD)。うつ病。ノンバイナリー。
They/Them
時々休みます。
筋肉少女帯・人間椅子が好きです。