立場の心理学からマジョリティ特権と構造的な差別を可視化する(出口真紀子氏)
https://www.sophia.ac.jp/jpn/article/feature/the-knot/the-knot-0011/
僕は「発達障害」「うつ病」「ノンバイナリー」という点ではマイノリティだが、「生まれた時点で日本籍」「見た目成人男性」という点では「圧倒的マジョリティ」に入る。
「差別反対」とどれだけ口で言っても、どこかで必ず「マジョリティによる無自覚」が現れる。
例えば、田母神俊雄が「外国人の生活保護廃止」を訴えている姿に「酷い!」とは思えても、自分が「日本人」である以上、その「被害」を被る事は無い。だから「酷い!」としか言えない。一方で、田母神俊雄がもし都知事になったら「命に関わる」人たちが居る。その上、その人たちには「投票する権利」すら与えられていない。自分たちの命に関わる問題を「自分たちで決められない」制度が日本にあるからだ。
僕たち「日本人」は、生まれた時から「投票できる特権」を持っている。お金があれば「立候補する特権」だってある。だから、命の危険に晒されながら「投票する権利すら持たせてもらえない」人たちへの想像力が、どうしても欠如する。「あちらを立てればこちらが立たず」というチグハグな「反差別」にしかならなくなる。
『「私は差別していないから関係ない」と思う人も多いですが、差別構造があるのに何もしないのは、差別に加担しているとみなします。』(本文より)