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インターネットと誹謗中傷というトピックで興味深い件が最近ありました
かなり文脈性が高くてややこしい話なのですが、筑波大学の落合陽一さんがゆる言語学ラジオの堀元さんにX上で抗議をしていました

togetter.com/li/2425468

松岡正剛さんの今回の賛否反応って、

「鶴瓶の家族に乾杯ってアレ嘘くさいよ」
「A-Studioは感動させようとしてる」

とタモリに言われてる状態と同じようなものにも感じます

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断片的で離れた情報を独自視点で繋げて体系立てて全体像を作る
その上でそこに当事者性の投影は積極的にはせず、あくまで俯瞰的である事そのものに価値を生じさせる

そういう運動ってコミュニケーションや情報のそれ自体だったり、
なんなら僕が今話してる"これ"すらも該当するものだと思います

それを意識的に知覚して取り組む精神は、言語、情報、批評、話術、編集行為に他ならないなぁと思いました

松岡正剛さんがアングラ劇団の批評から当時のカウンターカルチャーを寄せ集めた雑誌の編集長になり、そのままその知名度で「編集工学」なる学問っぽい領域を構築してそのまま本当に知識人文化人言論人然として存在してゆくあり方は、
鶴瓶さんが新人の頃に落語で音響を用いたり時代錯誤な演出をして脱構築的な落語家として目立って関西圏でタレントとして人気を博したのちに、テレビ芸能界内での噺家然とした振る舞いによって批評的に芸談を語りながらも国民的噺家のアイコンと化す
その歩みと重ね合わせれるのかも

そしてその俯瞰的、編集的気質は、
その立ち位置の視点からじゃないと見られない価値観の提示を生じさせると同時に、
だからこそ、批評自体の評価、言語の定義、情報の正確性、などのそのツールそのものへの言及を求められた時に摩擦が起きやすいのかなと思います

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そして、
それが前述した「鶴瓶噺は自己啓発系ビジネストークと実は性質的に似てる」というようなことに重なるような気がしています

松岡正剛さんの賛否をいろいろ見てると、彼もまたそういう言語能力を持った話術師だったんじゃないかなと感じてきました

世代ではない(というか、マキタスポーツさんとの対談動画やかつてタモリさんと対談本を出していると知ったりしたから存在を認識してるだけで、千夜千冊や遊は通っていません)のでその善し悪しも含めて実際どのような影響力を持っていたかは個人的には分かりかねるのですが

ただ、喋ってる声や姿や話の持っていき方とかを芸人的な話術に当てはめようとしてみると、たしかに連想ゲーム的に別ジャンルの知識や固有名詞を多用して、ゆったりしたテンポで自分のフィールドに持ってゆくような引き込み系の話芸っぽいところはあるなぁ…と
それが、プロの落語家でありながら辿々しくとっ散らかし気味に座敷話芸を披露する事でハードルを下げて大衆性を獲得する鶴瓶さんのトークテクニック的なものに近接しているとは思います

と同時にそのタイプの喋り手って声質やテンポ的に応用が効かない人も少なくないと感じてて、中心性が薄い喋りなので批評家に留まる傾向があるのではと思います
それはそのまま「編集」的な気質とも繋がるのかなと

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松岡正剛さんだけを見るよりも70年代以前の文化史全体を追わないとその実態は空気としても分かりかねますが、本人の出自が当時のアングラ劇団文化の批評的なところから出没してきたという流れを見るに、今の文化人論客の中だと、東浩紀さんや宮台真司さん、成田悠輔さん、とかと近いポジションだったのかなぁと想像してしまいます


彼らも学術的裏付け、アカデミックな権威性などに身を置きながら通俗的なカルチャーに近接する事でメディアスター性を獲得していった原理だと思うし、そしてこのチャンネル的には、
そういう90年代〜2020年代辺りの言論人は、タモリ、いとうせいこう、上岡龍太郎などの70年代〜90年代の芸能側から文化人に擬態するテレビタレントの流動の、ちょうど逆を模倣しているのではないかなと朧げながら仮説を立てているわけで、


そのさらに向こう側の松岡正剛さんや荒俣宏さんとかって、教養主義側からのアングラカルチャーの経由をしたことで大衆領域での局所的市民権の獲得を成した形の文化著名人なのではないかなぁ となんとなく思っています

newspicks.com/movie-series/87?

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で、それとはまた別で
ここ数日、松岡正剛さんの訃報を受けてネット上でそれ関連のポストや著名人の反応、直近の動画などいくつか目にしました

それで興味深いなと思ったのは、
年代やジャンルによって割と見られ方、認識、評価に断層(?)というか、ぼんやりとしたグラデーションがあるという事と、ただその上である種ひとまとまりに「知の巨人」と称されていた人だったのかなと感じました

というのも、僕の個人的な興味対象としてお笑い芸人的なジャンルの派生を見てゆくと「本業が分からないけどなんだか教養的な存在」にぶつかる事があります。そういったサブカル有名人的な存在の元祖(?)として捉えようとしてみると、やはりどこか重ねられる部分があると言いますか、各自ポストの中に紛れ込む「香具師」「山師」「文化アイドル」「代わりに読んでくれる人」「広く浅く」「若い頃はアングラ文系の筆頭」という感じの形容がチラホラあって、ご本人がどれぐらい意識的だったか別としても、有名になってゆくにつれて膨らんだ懐疑的な雰囲気だったにしろ、

個人的にはmastodonでも以前話した
“ナンシー関のカリスマ構築”と似たような感触を覚えます

fedibird.com/@shiryoku/1125481 [参照]

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なんというか、先程上記した面々とかは、割と普段話してる事をほぼ日風味に寄せて「丁寧な暮らし」っぽさや「ビジネス的に役立つ雰囲気」みたいなものをちょっと乗せてたり、その時の客層に合わせてビジネスマン性に擬態したり、糸井さんの緩やかな誘導に乗らずとも抵抗しなかったり、逆に普段通りの芸風を貫いたり、というパターンが多いかなと感じてて鶴瓶さんもそうなのかなと勝手に思ってたのですが

実際聞いてみると、むしろいつもと変わらずハードルを下げて笑いを取りつつ、うっすら批評的な事や人生哲学を紛させて、段々と空気を「いい感じの事を言ってる」雰囲気にしていってて、これぞ笑福亭鶴瓶ここにありという感じなのですが、それをほぼ日という明確にその方向やニュアンスで商売をしている場所で行う事で、両者の歩幅が完全に一致してシンクロしてる…!と感じて妙な怖さがあって面白かったです
(客席の最前列で糸井さんが相槌や笑い声を上げて観てるのですが、それがまんまセミナー商法のサクラに重なって見えたりします)

これが例えば紳助さんとかだったらもっと露骨に場面をハックした上での「ステキやんトーク」を発動させると思うのですが、鶴瓶さんはそれを実質的にはしてるんだけど全くそう感じさせてないところが“職業詐欺師”性が感じられて面白いです

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鶴瓶さんがほぼ日のYouTubeに出ててお笑い論を語っていました

ほぼ日のコンテンツってけっこうこの世代の芸人さんも出てて、
タモリさんが糸井重里さんにジャズを語るイベントや、
高田純次さんが社内で好き放題暴れる動画や、
年代は下がりますが有吉さんへのインタビューやオリラジ中田さんとのビジネス対談、
芸人さんじゃないですが、そもそも師弟関係にあるみうらじゅんさんのコンテンツなど、
人選やジャンルは多岐に渡りますが、割とお笑い的な土壌から人を呼んで少しためになるような話に結びつける感じの企画をけっこうやってる印象があります
(もしかしたら、ほぼ日ってかつての出版業界とテレビを中心としたサブカルマインドをゼロ年代インターネットに橋渡しした最初のビッグメディアなのかも…

オモコロ的な地盤のパイオニア的立ち位置)

で、その流れの中での鶴瓶さんなのですが、
こうして改めて鶴瓶噺を聞いてみると、なんか思ってたより
「鶴瓶さんの話芸ってそもそもかなり自己啓発っぽいぞ…?」
と思えてきました

youtube.com/watch?si=X6ZPLUBga

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松岡正剛の編集工学は
鶴瓶噺と やってる事が近いと思う。

コチラ!ついに明日から!楽しみ!
僕の作品も出ます!皆さんぜひ来てください!

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視力 さんがブースト

ほとんどの記事に目次を付けたので少し読みやすくなっていると思います ぜひ
note.com/shi_ryoku/m/m8c8de8cb

みうらじゅんの「ゆるキャラ」とか「冷マ」とか、
タモリ倶楽部でうまい棒で30分やって「これは教養的だ」と言ってみるムーブとか

そういうものが、ナンシー関という山の1番ふもとの第一歩目には立ち込められてて、それを本人も身近な周囲も踏まえて山頂まで登っていった歩みなんだろうな…と感じました(本人もコラムで「これは芸である」と言ってるのはそういう事なんだろうし、そう考えて改めて読んでみると文体口調も批評家に寄せているのがわかります)

今だと
オモコロライターで元々はTwitterのおもしろい人として有名になっていたダ•ヴィンチ•恐山さんに小説の執筆をやらせてみるとか、

元々は「AVを面白く見よう」みたいなブログ記事を書いてた雨穴さんにホラー小説を書かせて「変な家」を映画としてヒットさせてしまうとか、

サブカル的な文脈の「あえて」が、かなり成功して職業批評家に擬態できてしまったパターンの一例がナンシー関なんだと思いました

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なんというか、もはや現代の視点から見るナンシー関さんは伝説化してて神格化しててその初期段階の雰囲気ってこのドラマを見てるだけではキチンとは捉えにくいし、

ものすごく審美眼を持った批評家、物書きとしてテレビ業界や出版業界などの空気には完全に染まらず立ち位置としてそれらからは独立した存在になってるんだけど、

実際に語ってるいとうせいこうやリリーフランキーの他の媒体での活動や、本人たちが触媒してゆくための術を語っている話などある程度見聞きすると、ナンシー関って

すごく、あの時代の
「サブカル」から出てきた人なんだなぁ…

と感じられます

ちょっと根本的にだし、冷めるような事を言うと、

「“これ”を、『面白い(すごい)』と言ってみる」

という面白さというか…

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テレビコラムニストという肩書きでここまでの隆盛を誇ったのはテレビ自体の黄金期プラス、バブル期前後の出版業界が経済的に余裕があったからこその偉業だと思います

今彼女のようなカリスマ性を執筆のみで成立させるのは、やはりネット社会での読者のダイレクトな反応と、王手メディアのスポンサーへの配慮などを含んだ広告ブランディング等の要素を包括しないと難しいので、実際生きていたらどうだったんだろうなとは思います 
そら自体よく語られる事ですが

あと、やっている事は純粋批評的な事ではあるのだけど、それが業界内から支持されてひとつの視座としてその時代の漠然とした価値基準と融合してゆく(ここら辺は昨今の「冷笑」という言葉の語られ方とかと混ぜれそうな話題ですが、というか実際混ぜられて語られがちですが、それは今は置いておいて…)そういう流れがあったと思っているのだけど、

自分が今回見て思ったのは、
このドラマの雰囲気こそがナンシー関が批評していた面白いポイントだったのだろうし、あと
そこに出てくる実際当時を知る人(いとうせいこう、リリーフランキー、デーブスペクター)のインタビューで喋ってる姿が、年月を重ねてるからというのもありますが、「なんか、こんな感じで神輿を担いだんだなぁ…」といった舌触りがあって、それが新鮮でした

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NHK BSプレミアム「ナンシー関のいた17年」
放送当時、話題になっててちょっとだけ見た気がするのですが、改めてフルで見ました

www2.nhk.or.jp/archives/movies

三中さんはクロちゃんほどじゃないですが、


「自分を含めた全体の絵面をコントロールするために過剰に定型のリアクションをしてゆくこと」


(演じ込みとは違う表層的な振る舞い、上記の動画でもクロちゃんがゆきぽよの服を別に欲しがってない事は皆わかってる上でそのムーヴを披露してる)


によって存在感を示していたし需要の供給をしていたのではないでしょうか
それってやはり全体の絵や別の対象者の方の引き立てに意識があって、自意識としての主人公性が薄いように感じます


(岡村さんはもっと自分に注目させてるような感覚がある)


究極的に言えば、テレビや芸能の中における「素人性」というものは、そういった どう見られているかの"自意識"のことなのかもしれません

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これって、何かに似てるなと思ってたのですが、今書いてて気付いてのは

ドッキリをかけられた時のクロちゃんの振る舞いに近いんじゃないかなと感じました

クロちゃんも「タレントクロちゃん」から出てこない、アイドルを目指してたプロフィール設定を崩さないし、声の高さもある程度維持しています

リアクション芸として素の誇張であり、未完成の演技をし続けているのですが、それはやはり岡村さんと違って「過剰にその規範から出ない事で、むしろクロちゃんが想定している画面の中の他の登場人物の動きすらも操作出来てしまえている(ツッコまさせている)」感が発生してると思います

端的に言えばサディスティックな性質であって、受け身だけど"待ち"じゃないと言いますか

もっと単純に言うと"天然"度合いが薄いと思います

youtube.com/watch?si=kTQKSI0a9

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改めて三中さんが初めて出演した当時の番組を見てみると、たしかに緊張している素人として番組側からイジられているではあるのですが、どこか「やってる感」も覚えます笑 (今の三中さんと比較しちゃうからそう見えるのは必然ではあるのですが)


で、その感じがやっぱり岡村さんのような体当たり的な素の誇張というよりは、


「緊張している感じがウケている」と皮膚感覚で分かってるところがあるし、先んじてその立ち振る舞いを設定していってるところがあると思います

(何かコメントやミニコント的なくだりを事前に準備してるとか、完全に緊張してる人を演じきってやろうという気概とかじゃなくて、「緊張している自分」「誠意のある素人」という見え方と「それにリアクションをするメンバー」という絵面を作る事に出力してるような感じ)

youtube.com/watch?si=0dGskhpJu

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あと、

今回の三中さんが映画を作ったという話を聞いて、前々からうっすら思ってたのですが、
もしかすると三中さんはナイナイで言えば岡村さんより、むしろ矢部さんのような「絵面を作るために 自分もそこに出ながらも引き立てる役割をする」というタイプの人なんじゃないかなぁ…と感じました

見た目のキャラ的にも、憧れを公言してるのも岡村さんなので、混同されがちな気がしますが、

「ヒーローに憧れて、ヒーローの映画を撮る」という行為は
そこに登場したいという主人公願望というより世界観のイメージ共有の方に意識があるように思います

「岡村さんが欠けためちゃイケオーディションに、岡村さんのジャージの格好で来る」という行為も、自己PRというより「岡村隆史像の強化(こんな熱心なファンがいるんだという補強)」になってる部分があると思います

その思考回路って、役者ではなく監督的な塩梅がある気がして、それって岡村さんというより、矢部さんや欽ちゃん側のアプローチだよなぁと思いました

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ameblo.jp/ameblojpvbctv3do/ent

この、おそらく当時からのコント55号ファン(?)であろう方のブログのこの文章の雰囲気が、

めちゃイケやナイナイに注ぐある種の「青春的カタルシス(素の誇張演技、未完成な状態の芸の提示による親近感の誘発)」が含まれてるんじゃないかと思って似てる舌触りがしました

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Fedibird

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