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こういう問題を「上/当局からの押し付け」と枠付けして「それに負けない俺たち」の反発を動員する動きは、日本ではいわゆる「表現の自由戦士」と言われる一群にも見られます。そして、キャンパス内の学生の言動にも、それと同様のものは、すでにはっきりとあらわれています。
したがって、「大学((中枢?良心的教員?本部?当局?)が推進する性差別是正を大学自治が阻んできた」という図式は、現在の大学それ自体をめぐる政治風土を考えても望ましいものではありませんし、現場レベルでのキャンパスの女子学生やフェミニズム団体にとっても支えにはなりません。
現実には、学生自治の枠組みの中で粘り強く他の学生たちへの説得を続けてきたフェミニストの学生たち、それを受けて自治会として性差別是正やD&I推進に取り組もうとしてきた学生たちもいるわけです。
むしろそちらに目を向けませんか、とわたしは言いたい。
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現代思想2024年2月号の小田切拓氏の論考で引用されていたイスラエルの運動家Jeff Halperの記事。"イスラエルが、兵器や抑圧方法といった自らの行う占領を、それを喜んで迎え入れる顧客であるアメリカやヨーロッパの軍、安全保障機関、警察に対して輸出するのと同じように、国際人道法を効果的に操る専門技術やその効果的なPR技術を輸出しているのだ"
バトラーが「自分自身を説明すること」の注で紹介していたThomas Keenanの「Fables of responsibility」面白そう。邦訳出してー。
精神科病院の看護助手や派遣バイトで税金や中退した大学の奨学金を払いながら本を読んだり絵を描いたり音楽を聴いたりしています。