浅田彰「八〇年代も半ばを過ぎると、そのようなポストモダン消費社会は飽和の兆しを見せ始め、他方、昭和が終わった一九八九年には世界史的な変動が始まって、表層的には多彩でも全体としては自閉的だった日本のポストモダン文化は否応なしに外に向かって押し開かれようとしている」
三浦雅士「吉本隆明は『転向論』と同じ頃に日本近代史論なんかをやっているわけだけど、その場合の図式の、何というか快刀乱麻というようなところが、たいへん魅力的だったわけです。何か、わかるわけですよ、現実が。というか、そういう気になるわけです。で、応用することもできるわけです。その見方を。現実を違うように見る見方を教わったと言っていい。違うように見えてくるというのはスリルがあるからね」
柄谷「花田の書き方は、説得力がないでしょう。認識はある。でもあれでは人に反感しか与えない」。「戦後も戦中と同じスタイルであるだけでなく、彼の書き方はだんだん下品になっている。読者=仲間への語りになっていく」
浅田彰「徹底的な偽物としての三島由紀夫が極限的なパラダイムであるのは事実でしょう。戦争で世界が滅び、自分も「世界最後の作家」おして夭逝する筈が、何の意味もなく生き残ってしまった。従って、それはゾンビのような偽物の生であり、後はその虚構を美しく磨き上げるだけだ、と。このまことしやかな物語自体を含めて、すべてが嘘なんですね」
この数年間悩まされた耳裏あたりの神経痛の原因は噛み締め癖だったことが完全に解明された。睡眠時と運動時のマウスピースの導入によって解決した
ほっとするような微笑みを 心を包み込む海のような言葉を