全体性と無限についての公開討論でのグイエのレヴィナスに対する辛辣なコメント

「カール・マルクス」(以下KMと記す)、と書いているのに毎回「(カール・)マルクス(KM)」と書いて逆に長くなっててワロタ

昨日は100分で名著の旧約聖書回を読んでいて、書かれている内容はかなり良く、取り出そうとしているエッセンスの視点もそうだよねとなったけど、言葉の端々にある種のエリート臭というか、蓮實先生的な上から目線を感じたので、著者のwikipediaを見たら完全にそっちの系譜の者だった

ツイッターの本棚晒しタグには整然と置かれた綺麗な本しか写っておらず、「読書」を感じない。これが生きた本棚だ

論理的な説明を端折って強調で汲み取らせようとするをやめなさい

フッサールにおいてそれに当たるのはデカルト的省察第14節の末尾。

「志向性という語は、意識の一般的な根本特性、何ものかについての意識であること、すなわち、コギトとしてそのコギタトゥムを自らのうちに伴っていること、他ならぬこのことを意味している」。

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オザケンの「この瞬間は続くと! いつまでも」を批判するヴァール

麻雀打ち方微調整したら和了率も良くなった上に守備力が極大化された

デスク用のパネルヒーター、届いた直後はオフィス臭というか、化学繊維の匂いがキツかったけどファブって二晩陰干ししたら良い感じになった。これで今年の冬は足下の寒さに煩わされずにすむ!

いつぞや買ってセラー(という名の半地下庫)に放り込んであった白ワイン開けた。Lubaria Malvasia Bianca Ancestral Brut Nature. 瓶内で発砲させるアンセストラルスパークリング製法のナチュラルワイン、らしい。味も香りも普通のスパークリングより個性があって面白い

ヘーゲル的な絶対的差異の話ってなんか昔から興味わかないんだよな。だから何? って感じちゃう

『亡命ロシア料理』「帰れ、鶏肉へ!」を作った結果、かなり良かったという話。鶏肉、玉ねぎ、バターの組み合わせが不味くなることなどほぼ無いのだが、特筆すべきは行程のシンプルさ。本当に手がかからない。なのに味は予想を超えて美味しい。このギャップがよい。炊飯器とかクッカー系でも作れるのかもしれないけど、それは無粋だ。鶏肉の調理の仕方という点で言えばもっと丁寧な弄り方もあると思うけど、玉ねぎの方はこれが完成系なんじゃないかというくらいの仕上がりだった。玉ねぎ料理としておすすめしたいくらいだ。仕上がりは非常にシンプルなので、味変として粒マスタードを添えると美味しかった。ロシア料理なのでサワークリームとかもいいかもしれない。お酒はウォッカではなくジンを合わせた(お互いシンプルすぎるとあまりシナジーがなさそうだったので

酒という酒を野放図に飲んできたけど海藻焼酎というのは知らなかった

この辺ね(画像は『全体性と無限』)。「子どもたちに囲まれた不能の主体は、不能ではあるけれど決して無力ではないのだ。世界は子供たちが変えてくれる。人間は、人間を孤独のなかに閉じ込める「この」性の重力から身をひきはがし、運命を子どもたちに委ねることで、はじめてイワン=スタヴローギンのニヒリズムを脱することができる」(『観光客の哲学』)

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