古本で買った渡邊二郎の本、親族(?)からの謹呈本だった

メルロ=ポンティが『知覚の現象学』第三部の冒頭でコギトの概念を導入しつつ、文脈としては色んな意識の在り方の記述の列挙なんだけど、そこにさらっと「私はこの仕事を終わらせたい(je veux terminer ce travail)」って書き込んでるのめちゃくちゃ面白いんだよな。本気でいい加減終わらせたかったんだと思う(『知覚の現象学』はマジで長い

まあしかしこれは(レヴィナスのために)文脈を補っておく必要があって、生存のための抵抗権は認められねばならない、という話ではないんですよね。じゃあどんな話かというと非常に長い話になるわけですが……

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大人になって背景が理解できるようになってから好きになったシーンシリーズ。「賢しらにわずかな不運を見せびらかすな」(エボシ)。絵コンテには「タタリも恨みも憎悪もたっぷり味わって来たエボシにはガマンならない」とある。

友人からコンテクストが強すぎる絵画の写真が送られてきた

全体性と無限についての公開討論でのグイエのレヴィナスに対する辛辣なコメント

「カール・マルクス」(以下KMと記す)、と書いているのに毎回「(カール・)マルクス(KM)」と書いて逆に長くなっててワロタ

昨日は100分で名著の旧約聖書回を読んでいて、書かれている内容はかなり良く、取り出そうとしているエッセンスの視点もそうだよねとなったけど、言葉の端々にある種のエリート臭というか、蓮實先生的な上から目線を感じたので、著者のwikipediaを見たら完全にそっちの系譜の者だった

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