昔の写真を見ていて不思議なのは、こどもの持ち物や服の「赤」がぜんぶ同じ赤に見えること。服、リュック、帽子、ヘアゴム、水筒に至るまでおなじ赤。ほんとうに同じだったのか、写真の色表現の限界みたいなもんなのか…
11/22に、わたしもさいたま国際芸術祭2023へ行きました。
前回はたしか2020年で、今回のメイン会場である旧市民会館おおみやのすぐ近くにあった、旧大宮区役所がメイン会場になっていました。旧大宮区役所より、旧市民会館のほうが会場自体は狭めではありましたが、「そのへんの人、なにげなく置いてあるもの」のなかに、わざと見てもらうために存在している「スケーパー」と呼ばれる人・もの・風景が日々変化しながら用意されており、ある意味ではかなり広く観るものがあったといえます。
わたしが見つけたのは、不自然な位置にある片方のスニーカーや、地下の壁に貼り付いている蝉のぬけがら、休憩室の扉を開けっぱなしで談笑している昔っぽい作業着の清掃員さん、虎のあやつり人形を持って外のベンチに無言で座っている人、不思議な位置でだるそうにパイプ椅子に座っている監視員さんなどです。人間のスケーパーは芸術祭が始まる前に公募されていたのですが、スケーパーぽい人たちを見ているうちに、自分も他の鑑賞者からスケーパーとして疑われているのではないか? あるいはこの芸術祭だけでなく世の中すべてがスケーパーで、わたしだけが知らずに人生をやっているのではないか?(映画「トゥルーマン・ショー」だ!)などと想像がたくましくなりました。