粟津邸見学の記録②
粟津邸は京都駅も手がけた建築家 原広司さんの設計です。玄関(3階)〜アトリエ(1階)まで真ん中にまっすぐ階段が伸び、両脇に住居用の部屋が配置されています。空間の抜けや感じが京都駅に似ていました(そのように説明してもらい、たしかにーってなりました)。
個人的にはカワイハルナさんの作品(写真二、三枚目、四枚目の突き当たり壁)を偶然観られて嬉しかったです。面や棒や立体が組み合わさり、ありえなさそうなバランスで存在している絵を描く方です。こちらも粟津邸とKNSの家具に似合う。
ていうかここに住みたいくらい好み!!
ところで、粟津潔さんが飼われていて、彼が亡くなったあとも他の人が引き継いで生き続けていた亀が今はどうしているかは、残念ながら聞けませんでした……。当日はカリモクの方しかいらっしゃらず…
最後に余談です。粟津邸のある場所が、むかし友だちがアトリエを構えていた場所と大変近く、当時は数ヶ月おきに遊びにきていたので、思いがけず懐かしい&びっくりしました。ほんと道二本くらい先のとこだったんです。このあたりは普通の住宅街ですし、粟津潔さんほどの有名デザイナーのアトリエがあるとはまったく知りませんでした。
粟津邸見学の記録①
先週、グラフィックデザイナー粟津潔さんの元アトリエ兼自宅に行ってきました。場所は神奈川県川崎市(最寄駅は小田急線の読売ランド前)で、いまは人は住んでおらず、ときどきギャラリーとして公開されています。今回は建物+カリモクニュースタンダード(KNS)という家具メーカーの新作展示を観ました。KNSの家具に合わせて、七人のアーティストのアートワークも展示されており、盛りだくさんでした。
KNSのエレファントソファ(写真二枚目の青いソファです)いいんだよなー! 案内してくれたカリモクの方が「来週うちにもこのソファ来るんですよ」って言ってました。うらやましー!
アトリエや来客のある部屋は床が黒いタイル張りで壁はコンクリート打ちっぱなし、プライベートスペースは主に床はフローリングで、白く塗った木の壁、どちらもKNSの家具が似合っていました。ナチュラルさと人工的な素材や線のバランスが、粟津邸とKNSの共通点のように思います。
龍泉洞に行った記録④
龍泉洞まわりのおもしろかったとこの写真で締めくくります。
写真一枚目、洞内になぜか海苔が一袋落ちていました。旅館の朝食に付いてくるタイプなので、朝に食べないで持ち歩き観光してた人間がいたということかもしれません。
写真二枚目、メインの龍泉洞から道を渡って向こう側には龍泉新洞があり、洞内に博物館を設けていて、ケイビングの道具や昔の洞内の写真、洞内の生物学・地学についてのパネル展示などがされているのだけど、湿度が高すぎて写真はカビに覆われ、なにがなんだかわからなくなっています。入り口付近やアクリルで作られた説明板とかはちゃんと見れるんですが、洞内に展示ケースはさすがに無理があったようです。
写真三枚目、レストハウスにあった、なにやらアーティスティックで巨大な張子……?と思いきや、龍泉洞の途中までの立体模型でした。労作。
写真四枚目、盛岡からバスで山道を行く途中の、山中の紅葉が見頃でした。両脇ゴールド。
龍泉洞に行った記録③
話が逸れてしまいました。
龍泉洞ではコウモリも間近で見れました。おわかりでしょうか……一匹だけだけど、ライトの左端上の岩肌からぶら下がっているコウモリ……。右奥のほうの穴には見えなくともたくさん寝ていて、夕方になると洞窟入り口から飛び出していくのが見れるそうです。
この写真はズームしてなくて、歩道から手を伸ばしたら掴めそうな距離です。あまりに近くて、コウモリいる!ってめちゃくちゃはしゃいでしまったけど、ピクリとも反応しませんでした。
前にここにも書いた「日本洞穴学研究所の50年史」によれば、2018年2月には洞内でオペラコンサートが行われたそうで、洞内のコウモリに対する影響はどうなのか音響調査もされたけど、“冬眠中のコウモリ類への影響は確認されなかった”とのこと。超音波まで聞こえる=どんな音にも敏感なのかと思っていたけど、そういうわけでもなさそうです。わたしひとりが騒ぐ声などなんともなかったのかもしれません。
長いのに前のやつそのままあげちゃった。ここからたたむね。龍泉洞に行った記録②
入り口あたりは流れの激しい湧水になっているので流水音が轟いてるんだけど、地底湖あたりまで来ると、水の流れらしきものは見えず静かでした。
遊歩道はしっかり整備されています。むしろ洞窟内の地面にすら直に足をのせることがないくらいだったのですが、天井が低いところや先が見えない穴がたくさん分岐してるところ、縦穴には手すりを掴まないと足を前に出せないほどの傾斜の階段なんかがあり、洞窟欲はよく満たされました。照明の色が青かふつうの白に限られていたせいでより観光洞窟っぽさが薄いのかも。今でも探検は続いていて、まだ謎な穴や水路もたくさんあるそう。
ちなみに、龍泉洞から車で20分くらいの場所には安家洞(あっかどう)という鍾乳洞があります。なんと日本最長23.7km。こちらまでは行けなかったんだけど、こっちは入り口でもれなくヘルメットが支給されるらしく、洞窟探検気分をかなり味わえそうです。パンフレット(写真二枚目)によると、観光洞の他に探検洞エリアがあり、事前に申し込めば何時間コースかの指定もできるケイビングツアーがあるとか! 申込みが個人ぽい携帯番号なうえ、安家洞のサイトにも番号は載っていないのでここでは消しておきます。
10月下旬に岩手県(盛岡市と龍泉洞)に行ってきました。最初の目的は龍泉洞で、ついでに盛岡市内も観光したというかんじです。
旅行の記録として二泊三日ぜんぶを書き残しておきたいんだけど、なかなかやりきれないので、一番の目的だった龍泉洞についてだけまずはここに書いておきます。
龍泉洞は岩手県観光のポスターになっているほどで、その写真はたいへん見映えがするのですが、わたしの写真の腕がひどいのかiPhone8ではこれが限界なのかで、ブレブレモヤモヤのいまいちなのばかり撮れてしまったので、気になりましたら検索してみてください。
見れる地底湖は第一から第三まであり、第三地底湖は最深で水深98m。水の中にも照明があるんだけど、それでも当然、底まで光はとどいていません。青い照明がすぐに闇に呑まれてるように見えます。高いところでもまあまあ足はすくむほうだけど、見えない水底の上にいるほうが怖く、へっぴり腰で進みました。底の見えない海とかは別に平気なので、閉塞感が怖さの原因かもしれません。昔は入り口の長くて高い廊下(百間廊下という名前がつけられている)のようなところを船で進んだそうで、洞窟内を上にも下にもなにがあるかわからない状態で探検するのは相当怖いだろうと思いました。
実家で、たくさんとってあった昔の自分の作文を読みました。わたしは小学生の頃から、作文に感情をあまり書かないスタイルで、いつだれとなにをしてこうなりました、おしまい。で済ましています。こどものときからあんまり変わらないんだな…と感慨深くなりました。
しかし文を書くのは好きだった(得意だと自負していた?)らしく、「未来の私」という小文では「本を書きたい、作文が大好きだから」とめずらしく感情が表現されていました。しかし、その前の文には自分でも驚きました。「誰にも迷惑をかけなそうなので、月に住んで動物をたくさん飼いたい」。自分以外全員動物、人間はナシの月で本を書くつもりだったようです。でも「読まれなくていい」らしいので、問題ないっちゃあないですね。他人と楽しくやる気が一切なくて、かえって清々しい、10歳くらいのわたし。
三日分の服を考えているうちにわけがわからなくなり、ついに「わたしには服が似合わないんだ! 全裸じゃ!」と極端に思い詰めかけましたが、覚悟を決めて、暖かいかどうか、枚数が足りてるかどうかだけ考えてなんとか荷造りし、岩手県(盛岡と龍泉洞)に旅立てました。帰ってきたので、しばらくしたら旅行記ぽいのを書いときたい。 #用意ドン
とりあえず、こちらは龍泉洞で手に入れた日本洞穴学研究所の報告誌36号「日本洞穴学研究所の50年史」です。龍泉洞の探検の歴史や、新聞記事を50年分まとめたもの。ただの記録ではあるけど、行ってきた身からするとかなりおもしろい。
龍泉洞は深ーい地底湖のある鍾乳洞として有名で、この本によると、観光開発のために水上遊歩道だけでなく、水中にもガラスドームの道を作る計画があった(1967年7月9日 岩手日報)そうです。怖すぎる! 実現はしなかったんだと思いますが、今は地底湖の上の歩道のみです。それだけでも充分身がすくみました。