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ああ、それにしても浦安市立図書館や松本市立図書館がうらやましい。(最近自分の住んでいる自治体の図書館に行ってがっかりしたひと)

初等中等教育の段階である程度基礎的なことを学んでおくのは必要なんだけど、それだけでは不十分なのさ。必要あらば図書館で調査するくらいの姿勢は必要なのだ。と言うても、公立図書館が住民の要望に十分に応えられる態勢になっているかははなはだ心もとない。資料費は圧倒的に足りない、職員も非正規ばかり、そんな図書館しか知らない市民は図書館に失望するだけである。必要な額の予算を確保できない図書館は、住民の失望を招き、結局は投じた予算のすべてが無駄になる…

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「萌え絵」擁護の背景にある価値観が、そのまま中高年男性への「呪いの言葉」になった - ふらふら、ふらふら syou-hirahira.hatenablog.com/e

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学校以外の「居場所」がないことの問題 - ふらふら、ふらふら syou-hirahira.hatenablog.com/e

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携帯にのめり込んでいる高校生が問題だからって、規制すれば一丁上がりではないぞ - ふらふら、ふらふら syou-hirahira.hatenablog.com/e

喜入克著「高校の現実:生徒指導の現場から」(草思社,2007.3)から引き続き。部活動や勉強、行事に没頭していて、ある程度家が裕福なら小遣いも出してくれるから、携帯代もその範囲で収まる。その逆に、部活動や勉強、行事に没頭できない高校生は携帯代のためにアルバイトをして、携帯にのめり込んでいくと。その上で、少し携帯から離れて本を読んだりサークルに参加したりして携帯に過度にのめり込む生活を変える必要があると。ここまではまあまあわかる。問題はその先で、そのために学校で携帯について何らかの規制が必要だという。規制したところで、携帯以外の何かとやらが見つからないから携帯にのめり込むのだ。そのことを無視してはならない。そうすると、財政負担から逃げるわけにはいかない。図書館資料費を増やす、公民館活動を活発にするために予算を割く、その財源をどこから引っ張ってくるのかが重要だ。ただ規制したからって何とかなるものではない。

喜入克著「高校の現実:生徒指導の現場から」(草思社,2007.3)に、「自主退学勧告」をめぐって弁護士と対峙した事例が紹介されていた。学校側はこの学校ではもはや続けていけない、とはいえ他の学校が本人に向いている場合もあるからスムーズに転校できるように「自主退学」「進路変更」に持って行きたいということであった。通信制高校への「進路変更」を勧めたんだろうと想像できるが、通信制高校は学習を継続していくにも困難な環境で、転編入生のうち半分近くが1単位も修得できていないとの現実が小林裕光氏により報告されている(「埼玉県の高等学校通信制課程における諸問題について」)。これではいったい誰のための転学だったのかわからない。

部活動が廃止になったとして、スポーツクラブにこどもを毎日送迎しなければならないのを教員の責任にするのはお門違い。まともな公共交通を育ててこなかった地域住民の責任。そういう文脈から出てきているのが、滋賀県の交通税構想。しょっちゅう乗るわけでもない路線バスや鉄道を維持するために応分の負担をする気があるのか。そこが問われる問題。高齢者の運転免許返納問題とも関連するが。
kite-cafe.hatenablog.com/entry

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「学校の部活動」そのものが持っている矛盾を突き付けた麹町中の一件 - ふらふら、ふらふら syou-hirahira.hatenablog.com/e

男性養護教諭が何の問題もなく立ち会える範囲での健康診断を行えばいいのであって、そうすると問診と保健相談中心の健康診断になろう。男性養護教諭が立ち合いを躊躇するほどの健康診断を学校が行う必要はない。それはプライマリ・ケア医の職分ってものだ。

大きな図書館に行って学校保健の概説書をパラパラと斜め読み。今の学校保健のあり方を肯定したとしても、みなかみ町の件の学校医の行為は不当であることがわかった。学校における健康診断なるものが、かかりつけ医による定期的な診察に取って代われるようなものではない。こどもの健康づくりのきっかけになれば万々歳らしい。わたしの誤読もあるかもだけど。だったら、今のような健康診断を学校で行う必要はまったくない。せいぜい、問診と保健相談の場にとどめる方が皆にとって幸せってものである。

部活動にする種目を選別する時点で恣意性が働いている。なぜ野球部だけあれだけ派手に注目されるのか。部活動にする・しないはもともと恣意的。部活動なんて無くしてしまえ。 / 他137件のコメント b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asa “中学部活動「ヒップホップ禁止令」生徒ら泣いて抗議 国会で論議も:朝日新聞デジタル” htn.to/2YtL2DjWTa

学校医を委嘱された医師が学校に出向いて検診する。おそらくは保健室だろう。保健室で学校検診を行う医師としてこどもに向き合うとき、あなたは医療者ではなく法執行官なのである。国家権力の執行としてこどもの身体を調べているに過ぎない。
「どういう立ち位置なのか」を認識することは必要だ。かかりつけ医―患者の関係と、学校医―児童生徒学生の関係はまったく違う。このことを認識せずに、医療行為だなんだと言ってみてもしょうがない。

国会図書館長の大臣待遇を復活させて、その上で日本学術会議を国立国会図書館の附属機関にしたらいいと思うの。日本学術会議と国立国会図書館を第四権に位置付けよう。
「学術の終わりの始まり懸念」梶田隆章氏ら学術会議の歴代会長が声明:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASS6B3GBNS6

ずいぶんと古びた記事を今になってまたシェアするのには理由がある。急性期病院で「いがくてきにただしい」治療をして、わたしの高齢の親はどんどん衰弱し、精神が不安定になっていった。医学は確かにわたしたちに大きな恩恵をもたらしたが、「いがくてきなただしさ」こそが唯一の正解であるとの考えには異を唱えたい。医学の側には、人文諸科学・社会科学の立場からの異議に真摯に耳を傾ける必要がある。
(実は、みなかみ町の学校医の所業にはわたしはブチ切れ過ぎてて、当てつけのひとつも言いたくなった。どうせまた男さんがいがくてきなただしさとやらを振りかざすんだろうから男さんにも当てつけのひとつも言いたかったが皮肉になってなかった。これは反省)
note.com/hiroyukimorita/n/nf86

過疎地を走っている鉄道路線が鉄道本来の使命を果たしていないのはその通りなのだが、しかし過疎地が過疎地のままでいいのかとの疑問は残る。人口が東京に一極集中しているのはよろしくないのではないか。田中角栄は人口25万人規模の都市を全国に育成することを考えたとのことだが、そんなに悪くない目論見だった。目論見通りに行かなかったのが残念なことだが。松本市など人口20万のわりには都市機能が充実していて住みやすい。松本市のような都市を育成できればとつい願ってしまう。
有料記事がプレゼントされました!6月11日 20:55まで全文お読みいただけます
「神様」角栄は言った「鉄道は赤字でよい」 ローカル線存廃の行方は:朝日新聞デジタル digital.asahi.com/articles/ASS

鉄道の正規運賃はそもそも適正な価格になっているはずなのだが、さらにその運賃を割り引く企画乗車券があるのは解せない。正規運賃とは一体何なんだ…料金は自由に設定できることから、運賃料金セットの企画商品はわかるのだが。

公共交通機関があるところで自家用車を利用したら罪悪感を感じるまである。

Xで皮肉を書いたつもりだったのだが、皮肉になっておらず、何人かにフォローを外されてしまったことを結構気にしている。そのうちの何人かはリアルでも関係があるひとなのだからなおさら。さあて、どうしたものか。

路線バスもそれなりの本数があるような郊外の駅前に、ガソリンを燃やしながら待機している送迎の自家用車。ガソリン価格高騰は明らかに「成長の限界」(ローマクラブ)も関係しているところ、ガソリン浪費を促進するような補助金を続けていいのだろうか。むしろ鉄道やバスなどの公共交通機関に補助金を出したほうが良い。わたしはクルマを持たないものだから、ひとによく「送迎しようか?」と言われるんだけど、1時間に一本でも電車があればそれで帰りますから!ちゃんと時刻表見て来てますから!って言っておく。

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