「留守番」を始めて来年で20年、大きく言ってることを変えたつもりはないけど(00年代は冷笑風味はあった)、20年自分が齢を増やしていることに無自覚な言説は避けたいと、最近とみに思っている。同じことを言い続けていればいいわけではない。
軸はブレずに、しかし歳相応の発言をしなくては、と思っている。
「いつまで経っても自分が若者のつもり」
の話者が多すぎる。
「鏡を見たら俺の顔だった」
精神は必要ですよ。
田嶋陽子氏に関しては、2003年神奈川県知事選にわざわざ議席投げ出して「飛鳥田一朗氏を当選圏から引き摺り下ろすために」立候補したときから信用していません。
保守分裂で飛鳥田氏が「勝てるかも」となったところへの田嶋氏の出馬。
もうすっかり忘れられてるけど、横浜市は他の革新自治体と違って「開発重視」の市政だった。端的に今風にいえば「コンクリートも人も」。
だから飛鳥田ブランドは横浜や神奈川では広い支持を集めていた。今ふりかえっても「革新自治体」のなかで出色の名市長だったと思いますよ、飛鳥田一雄氏は。社会党委員長として派閥の板挟みにあって潰してしまったのは本当にもったいなかった。
その「飛鳥田ブランド」を神奈川に復活させる芽を、田嶋陽子が何を交換条件にしたのか不明だけど、潰してしまった。
https://twitter.com/mizuhofukushima/status/1705409414013055186
又市さんが亡くなったときにあんな木で鼻くくった追悼にもなっていないレベルのコメントして、このはしゃぎよう。端的に言ってどうかしてる。支持者も同類ってことだよ。
https://x.com/dogisjustice/status/1705113883449684127
「よだかれんの走り方」と同じアレですな。ちょっともうなんなんですかね。
TBSでやってたドラマ、予想通りの着地点右寄りで終わる形になったわけだが、野生の証明、皇帝のいない八月、宇宙戦艦ヤマトなどの例を持ち出すまでもなく1990年代中頃までの日本のエンタメの中心から出てくるものは作り手の思想志向に関わらず、エンタメとはいえこの手の話を取り上げる場合は、公安なり諜報なりの政府機関に対する怖さ、残忍さもしっかり提示していたものであるが、最近になると制作サイドの視点が統治機構の持つそれと重なっていることがままあり、しかも作り手は「中立」を自認していたりと、同じ傾向に陥っていた戦前の日本エンタメ界よりも、タチは悪くなっているように感じる。しかもこうした流れは、一見着地点左で終わる形になっているエンタメでも同じことが起きていて、左右総崩れみたいな様相を呈していて、結構な絶望を感じなくもない
トラックの運送料金も、タクシーの総台数も、「規制バリバリ」の時代に戻せばいいだけの話なのに。“自由化”なんかぶっ潰せばいいんですよ。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/701432?utm_source
24時間テレビの音楽を昔に戻せと喚く人たち、年々ノイジーになっていて、気持ちは全くおなじなのだけど、せっかくなら、UKのSatrilを日本コロムビアが「何のために」日本でも使えるようにしたのかも、ついでに学んで発言して欲しいものだなあ。
これは音楽評論家たちが怠慢でそれを知らないからなんだろうけど。
あれこれあって明け方までうつらうつらして、あるミッションをこなして確認して安堵した後、大爆睡。起きたら16時近かった。
家事は明日の僕に任せて、あとどこかで一度「くらしのマーケット」で、部屋の片付け依頼しないとな。9月後半か10月頭くらいには。
しかし大爆睡して睡眠借金を返す体力がまだあった、というか回復するとは……われながら驚きました。
このハンネ使い始めて今年でもう20年になるのね。びっくりだわ。