桂場の中の人が虎に翼の感想を1話1話書いているのを見てついにこちらまで再度見直してしまっている。一応すべて録画して消してないので

最後まで筋を知っている今、見直すと色々なところに伏線が張り巡らされているんだなあととても感心している

今はもう非公開になっちゃったけど公共訴訟を行っているCALL4という団体が28日に虎に翼の関係者招いて裏話などを聞くYouTubeを偶然見た

中でも尊属殺事件の法廷シーンの裏話が面白かった。よねさんの「クソ」という言葉を入れる際、最高裁から「法廷冒涜だ」と文句を言われるかもしれない、なのでその直後轟に「失礼しました」と言わせたとか、それなのにその後脚本にはない「いけ山田!」というセリフはどうもアドリブだったらしく、そのことで最高裁から文句が来たときは制作陣2人で謝罪に行こうと思っていたとか(それでもその「いけ山田!」というセリフには制作陣皆がそう思ったとのこと)

そしてCALL4という公共訴訟を使って今の世の中をよくしていこうと思って活動している弁護士さんたちを知り、自分もそういう行動をしている人たちを応援したいなと思ったりした

先週終わってしまった虎の翼の感想を先週中に書きたかったのだが一口に言えないので書けなかった

このドラマは今まで透明化されていた人を透明化しないで描くドラマだと脚本家は言っていたが、自分はその透明化されていた人たちの中の一人でもあるし、透明化という言葉以外、例えば被爆者の子孫だったり(被爆者援護法は直接的にではないが自分も恩恵を受けている部分はある)、登場人物との共通点(優未の大学院博士課程中退、しかもつぶしのきかない理系研究分野)まで同じなのがあったのですごくびっくりしたのだけども

優未は中退したのがバブル以前だからその後もまだ社会に余裕があったけど、自分は氷河期以降だったから優未みたいにはいかなかったよなとか。そして優未と寅子との関係性にC-PTSDのトラウマを起こすようなシーンがいくつかあって最終回近くにもそれがあったのできつかった(だから優未の扱いにはあまり納得がいってない)

ただ今日、新しい朝ドラ見たのだけど主人公が海に飛び込むシーンで野球部の男子学生が無駄に助けるシーンにもやもやし、こんなとき寅子だったら絶対に「はて?」って言っただろうなあと思ったら(虎に翼では自分が「はて?」と思うシーンは寅子も「はて?」と言っていたので)急に寂しくなった。完全にロスだなあ

原爆裁判の判決の結果被爆者援護法につながったのは成果だと言えるが、あの戦争で被害にあった人は原爆だけでなく空襲もあったのにね。空襲で親族を亡くしたり怪我によってその後の人生に影響が出た人も多かったろうに。当時の人は「みんなもそうだから」といって国を訴える考えはなかったのだろう。でも無差別攻撃を受けたのは原爆と同じじゃないかと思う

確かに放射能による被害は子孫にも影響するし、それを考えると原爆の被害は他の被害とは一線を画すと言えるのだが。ただ現在、二世三世への救済策が継続しているのは広島長崎の他、東京くらいしかないと聞いた

原爆でケロイドがひどい被爆者の人が出てきたが、広島の被爆者という割に話し言葉がまったく広島のイントネーションがない人だったのが気になった。虎に翼は今まで当事者を出してきて、家裁を作る際、いろいろな方言を話す人や新潟編では三条出身者を出してきたので今回もそうだと思っていたのに。方言を話さなくても標準語風に話しててもイントネーションが違うものなんだけどなあ。あの人のイントネーションは東京のそれと全く変わらなかったので、地元の人ではないという設定だったのかな?(なわけないか)今までこういうところにリアルさを感じていたのですごく残念だった

先週の虎に翼の感想
のどかの自分の希望する進路に進めなかった話に胸が痛んだ。のどかの問題は以前、航一家族との話し合いで解決したとばかりに思っていたが違っていたのだ。百合がのどかの芸術家への進路を反対したのは「亡くなった先妻に申し訳が立たない」というのが理由だろう
そしてこの話は自分の親の話とも思いっきり被っていて見ててつらかった。この後、のどかにもし子どもが生まれたとき、その子どもに「お母さんは自分の希望する進路に進ませてもらえなかった」と幼いころから何回も何回もグチグチと話し、その子どもが自分のようなトラウマをかかえなければいいなとつい思ってしまった(もちろん自分が複雑性PTSDになったのはこれだけのせいではないが)

航一の子どもたちは母親が亡くなったあとの心のケアができてなかったのではないかと思う。上の子はまだそんなにこじらせていなかったのは母親と過ごした時間が長かったからだと思う。下の子は未だに母親が亡くなったことについて悲しくて悲しくて振り返りたくないみたい

本来は父親(航一)がそれを埋めるべきだったのに父親自体が子どもたちと同じように悲しんで心が停止してしまったため、子どもたちには物質的なもの(生活の質の確保)のみしか心配りができず、精神的な支えになってやることができなかったのが今の問題を引き起こしたのだろうと想像する

今日の話は自分の過去のトラウマが喚起される内容が含まれていたのでとても辛い。見終わってからトラウマによる発作が出るほどだった

しかもドラマでは下の子はどうして家族のようなものになれないのかという理由は既に分かっている模様。自分の場合、本当に幼い頃に起こったことらしいので(記憶にない)子ども時代にはそれをこじらせ過ぎていて、こういう場面は何度もあったがなぜ自分がそういう気持ちになるか全くわからず解決しようがなかった。そしてその後もどんどんこじらせ続け、だるまのように膨れ上がって今に至っている(現在治療中)

なのでこんなことで直ぐに解決できるドラマを見るのは正直辛い。明日見ようかどうしようか迷っているがそんなことしたらこの先の話も見れなくなるよな、、美佐江のことが気になってるのに

航一の下の子は子どもの頃、お父さんにしてもらいたいと思ってたことを優未がしてもらっているのを見て嫉妬を覚えているといえば簡単なのだろうが単にそれだけのことではないように感じる。少し大人になると「今さらそうしてもらっても」とか「もう遅い」という気持ちまで出てしまって怒りを覚えるから素直になれないんだよね。これをこじらすと厄介なことになるのでこのドラマではどういう風に解決されるか楽しみ

それに比べて上の子の気持ちは少し読みづらい。寅子に「母親づらされたくない」と言っているのでもしかしたら亡くなった母親と何か関連があるのかなとは思っているが。下の子と同じ気持ちとはちょっと考えづらいんだよね

シスジェンダー特権というのは超簡単にいうと、自分の性別について違和を感じないだけのことなんだよね。それだけでもう特権なの。そこに女性であるとか男性であるとかはくっついてない。ジェンダーロールとはまた別の問題でそこをごっちゃにしている人が結構いるように思う

そして今週はどうやらジェンダーロールの話っぽい。「女性は楽できていいよね」という男子学生の言い分は多分生まれた頃から「お前は男だから結婚して妻子を養うために勉強していい大学に行っていい会社に入れ」と日常的に親から(=社会からも)言われているのだろう。そこにとてつもないプレッシャーを感じるから「女はいいよな、働かなくて」と思い始めるのだろう

女性は女性で働きたくても社会がそうさせてくれない、働いても賃金は男性に比べて安い、早く結婚して子どもを育てるのは女の役目と言われ、それが女性の社会進出を妨げているのだが、上のことを併せて考えるとこれは表裏一体になってるわけで。どちらかを解決すればいいわけではなく、双方の生きづらさがちゃんと理解されないと解決に進んでいかないように思う

同性愛者は(今のところ)結婚できないので戸籍に関係が記載されず「なかったことにされる」というのもまあそれはそうなのだが、「なかったことにされる」というのはなんというか、周囲からの祝福が異性愛者と比べて格段に少ないというか、異性愛者はなんの疑いもなく親類縁者学校の同窓、会社関係全てに関係を公にできてしかもみんなから祝福されるのは当然という認識だろうけど、同性愛の関係だと今でも異性愛者並みに大っぴらに祝福されることはあんまりないのではと思う。そうすると本人たち、そしてごくごく身近な人しか知らない関係になる。これがねー、「なかったことにされる」という言葉で一番思い浮かぶことかな。同性同士の婚姻制度ができれば自然に変わっていくと思うが

どうも最近の話は感覚が新しすぎて「え、今昭和30年だよね?」と思うことしばしば。自分もその頃は生きてないから実際の時代の感覚は分からないけど
まず遠藤さんが独身かどうか全くわからないのになぜ周囲が独身って決めつけてるんだろうとか。同性愛者が一人の人と長いパートナーシップを築くという感覚、とても新しい感覚なんだけどな。昭和30年のとき全くいなかったとは言わないがいてもごくごく少数、婚姻制度は使えないので養子縁組、周囲は何となく察するけどあえて聞かないというのが一般的だったんじゃないかな〜なんとなく背中をモゾモゾさせながら見ている

そもそもこのドラマ、涼子と玉の関係の描き方にモヤモヤしている。どうやら涼子はアセクシャルな設定らしいが、だったら玉は?「あなたなしの人生は考えられない」って英語で言わせてたけどあれは愛の告白そのものでは?寅子が航一に言った「あなたの苦しみを分けてほしい」よりもずっと明確な愛の告白では?それなのに関係が親友ってどういうことよと今でも思っている。そもそも男性同性愛より女性同性愛は透明化されやすい、現実世界でも。このドラマでも透明化されちゃってるような気がして悲しい

轟については学生時代花岡と同郷だから佐賀出身なのだろうけどその時から地元の家族の話は一切話に出てこない。本人の口からも。召集令状は地元佐賀から来てそこから出征したと想像できるけど敗戦後戻ってきたのは東京だった。その頃轟は自分のセクシャリティについて自覚はしてないはずだけど無意識のうちに地元家族とは縁を切ったも同然だったという設定なのか。それがずっと気になっていた。同性愛は家族との縁が繋がっているともっともっと複雑で残酷な話になるんだけどそれを避けたということなのかなあ

月曜日のオープニングにセクシャリティ時代考証が入ってたから何かあると思ってはいたが、、今昭和何年なんだよ。同性同士の関係がたとえ相手が寅子だとしてもあんなに簡単に言えるわけがない。今よりももっともっともっともっと抑圧されてた時代だよ。存在するなんて想定すらされてなかった、存在がばれたら「変態」と罵られた時代だ。軽すぎるよ

このドラマは戦争自体を描きたかったのではなく、戦争が終わったあと残された人々にどのような影響をもたらすかを描きたかったんだなと確信した

戦争そのものの悲惨さを描くのではなくて。もうそんなドラマは十分にあるしねっていうかそういう描き方しかされなかったしね

笹寿司は一体どこにあるんだろう?戦前の寅子の実家と今の登戸とはだいぶ距離があるような気がするんだが
それとも戦後おっちゃんが田舎から東京に戻ってきたとき登戸の近くに店を構えたのか?

以前から優未はなぜ母親の恋愛感情についてこんなに敏感で子どもらしくないのだろうという疑問を持っていたが、今日の回を見る限りにおいてはお守りの中の優三の手紙をずっと読んでいたのですぐに気が付いたということなのか

お守りの中に何が入っているかが気になって子どもの頃に分解してみたことがあるわたしにとっては優未の(お守りの中身を開けるという行動)は十分に理解できた

ただ優未はやっぱりすごくいい子過ぎて怖いところがあるんだよなあ〜

友情結婚ついでにいうと、本人たちが納得ずくの友情結婚ならまだしも、自分の性的指向のことについて誰にも言えないまま結婚してしまう同性愛者が世間にはたーくさんいた

今でも思い出すんだけど90年代の朝日新聞での「ひととき」欄(だったかな?)で何も知らずに結婚し結婚後に旦那が同性愛者だったと気がついた人の奥さんの投書があった。そこに書いてあった「何人の男性が夫の前を通り過ぎていっただろう」という文章が今でも忘れられない

ただこれも男女差があって、結婚しているゲイより結婚しているレズビアンの方が当事者の風当たりが強かった(詳しくは書かないけど)

十数年前までこの問題は本当に身近にあったんだけど、ここ十年ほどでレインボーパレードが拡大、同性婚の法制化の当事者運動などで同性愛者が可視化されあんまりそういう話題も見なくなったような気がする

でもその方が誰にとっても幸せなんだよね。同性婚の法制化は騙される異性愛者も格段に少なくなるだろうと予想されるし

今日の「友情結婚」で色んなことを思い出してしまった。果たして異性愛者で「友情結婚」を意識してする人って逆にいるのかな?と思った

わたしの中では、というただし書きがついた上の話なのだが「友情結婚」というとどうしてもゲイとレズビアンの友情結婚しか思い浮かばない。しかも小野さんと高瀬さんの言っていた「親が結婚結婚うるさい」「結婚しないと仕事上で一人前に見られない」というまさにその理由で結婚せざるを得なかったゲイとレズビアンがいたのだ、つい十数年程前までは(今は知らない)

ネットができて同性愛者の出会いはそれまでに比べると格段に出会いやすくなった一方、まだまだ表沙汰にはできないので親の圧力、世間の圧力を感じる同性愛者もそれなりにいて、同性愛者同士の出会いとともに友情結婚をするための出会いのサイトとかもあったんだよね

ただここでも男女差があって結婚後は男性は何も言われなくなる一方女性は周囲から子どもだのなんだの言われて友情結婚もバラ色ではないみたいだった

今日の虎に翼を見てたらそんなことを思い出してしまった

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