『SF作家はこう考える』収録の近藤銀河「過去に描かれた未来 マイノリティの想像力とSFの想像力」とても良かった。この鋭利な批評が載っていることが、この本全体に緊張感をもたらしていると思う。特に「SFの想像力が失敗し差別に加担する時」という章が、SFが差別的になりうることを明言してて重要。
かくいう自分にとっても他人事ではなくて、同論考の中では私自身がクィア的なSFとして好んでいたヴァーリイの諸作品に内在する差別的な要素が厳しく批判されており、問題点を自覚させられた。(なおこれは、だからその作家をキャンセルすべき、といった短絡的な主張をする文章ではないはず)
MastodonサーバーのQueer.afが閉まるという。
理由は、トップレベルドメインの管理者がタリバン政権に変わったから。Fediverseはドメインの移行をサポートしないので、サーバーを停止することにした、とのこと。
いまBTしたやつとは直接関係ないけど、若くてまだ恋愛行動に積極的だった頃、異性と関係を持つのには躊躇する必要があんまりなくて「男だから(≒簡単に性行為の対象にしてもいいから)好き」が多分にあったけれど、同性相手にはどれほど好きで深く触れ合いたくても躊躇したまま諦めるしかなくて、それでもずっと好きだったので、「その子だから」ってのは確実にあったよ
片手で収まる人数しかいなかったけど、諦めてなかったら、とはちょっと思う
なので、物語の流れでホモフォビア的な文脈を生み出すこともあるのはわかるけれど、否定するのは自分の感じてきたことを切り捨てることにもなるからじつは結構しんどい
「そのほうが尊い」とか言われたらフザケンナってキレる用意はあるが…
このブログ、なんかわかる気がするナァ。
自分はおっさんずラブ見ていないし、ていうかBL自体あまり読まないジャンルなのだけど、好きなアニメの二次創作GL界隈で似たようなモヤモヤを抱いている。
女性同士の性愛を描いているはずなのに、ジェンダーやSOGIESCに関する社会的な問題や差別の話があまり描かれないのはなぜだろう、と。
同性婚もできないのに「推しCP結婚しろ」とか軽く言われるし、作中でもキャラ同士が結婚したりとか(どうやって結婚するんだよ)
とにかく結婚の扱いが軽い。あのね、今の日本じゃ同性婚はできねーんだよ。
「女性が好きなんじゃなくて、☓☓(キャラ名)が好きなんだよ」みたいな、使い古された差別的なセリフも頻出する。推しキャラ、推しCPがこんなセリフを言わされているのを見ると、泣けてくる。
皆それぞれ本業の合間に何とか時間を捻出して創作したりしているのだろうから、同人作家一人ひとりに人権や社会の勉強をしろと言うのが無理な要求だとは分かる。だけど、もうちょっとこう、なんかあるだろ、という気持ちにもなる。
私がまだ発掘していないだけで、社会派で素晴らしい作品もたくさんあるかもしれない。あくまでも自分の観測範囲の話、ということを付け加えておきたい。
『「おっさんずラブ」に感情を引き裂かれているゲイの断末魔』
https://koke-koke.hatenablog.com/entry/2024/01/06/233434
発売されました。電子書籍もあります。
作家の王谷晶さんとの対談では、倉橋の「女性ジェンダーの書き方」についてもお話ししています。この観点からの議論はあまりされてこなかったんじゃないかな…。新しい世代の生き生きとした読み方を提示していただいたと思います。
いわゆる「『暗い旅』論争」(男性批評家達による激しい批判)について、近代日本文学研究者の小平麻衣子さんに改めて解説していただきました。江藤淳がいかに『暗い旅』を読めていなかったかが鮮やかに証明されていて、「これが〝批評への批評〟か」と感銘を受けました。
シリーズ1冊目の林芙美子もですが、倉橋由美子について調べる中で、当時の女性作家が置かれていた理不尽な状況を目の当たりにしました。同時に、ほぼ男性しかいない中で、存在することを許されず、書く場もなかっただろう多くの女性批評家の幻を視ました。すごくすごくものすごく悔しかったです。水上文さんの「シェイクスピアの妹など生まれはしない」(文藝2023年春季号の批評特集)のことをまた考えました。
https://www.chuko.co.jp/bunko/2023/12/207453.html
10〜20年前に流布された2chやまとめサイトの価値観を一旦捨てたほうがいい話の流れで流れてきたけれど
これもデマゆき発祥なんだ…
あいつの負の生産性すごいな
再生産はさせんぞ
オタク趣味とフェミニズムと反差別🏳️🌈🏳️⚧️シスジェンダー、Mspecのアロアロ。スタートレックと聖闘士星矢が特に好き。洋画と洋楽。英日日英翻訳。SF。ジャニーズ好きの事務所アンチ。