久しぶりのカフェに来たら「ロングタイムノーシー」と言われてしまうの巻

アガンベン「瀆神礼賛」(『瀆神』所収)によれば、古代ローマの供犠の儀式においては、犠牲を捧げることと同時に行われる「神聖なものを汚すこと(瀆聖)」によって、生贄の一部を食べることができる(人間の「使用」に充てられる)という構造があった。

現代の宗教である資本主義は、あらゆるものを「神聖を汚すことができないもの」と化すことによって、あらゆるものを人間による「使用」から剥奪し、ただ「消費」することしかできなくする。「使用」と「消費」の違い。宗教としての資本主義から、「使用」を取り戻す必要がある。

さーこの休日も二度寝で午前中が消えたゾ

岡田温司『アガンベン読解』 「できるけどやらない」という能力、そして政治の存在論 - もう本でも読むしかない pikabia.hatenablog.com/entry/2

よるべない気持ちの時に読むもののひとつはアガンベン。

複雑なものを複雑なままに提示してほしい、という欲求をもつことは、もはや権力者と見なされる態度なのかもしれないと思う。

「生活が苦しくなると初めて政治が変わる」ということを私達は先日の衆院選で目の当たりにしたわけだけど、兵庫は別に困ってなかったということかな。

有料記事がプレゼントされました! 11月19日 09:39まで全文お読みいただけます。
斎藤県政「評価する」76%、文書問題「重視」10% 朝日出口調査
digital.asahi.com/articles/ASS

問題のある選挙活動があったにせよ(これはもちろん深刻な問題)、前職知事に投票した人々はそれぞれの主体性によってそれを判断したのであって、それを軽視すべきではないのだが、その主体性の存在そのものによって自らの生存や尊厳の危険を感じてしまうという角度がある。

Duolingoが中国語の「◯◯死了」を「be 形容詞 to death」と訳してるんだけどやや無理がある気がする

世の中への出し方はともかく、制作行為自体はモラルよりも手前にあるので……

アガンベン『瀆神』に入ってる「瀆神礼賛」、短い文章の中で古代ローマ→キリスト教→資本主義→ポルノグラフィーまで横断しててこれぞ醍醐味って感じ

ブログ更新。
シンガポールで現在開催中のレトロスペクティブで観たエドワード・ヤンの1996年作品を紹介しつつ、印象を書き留めました。
台北という都市と、さまよう若者たちの映画。

エドワード・ヤン監督『カップルズ』 都市と若者たちの映画 - もう本でも読むしかない pikabia.hatenablog.com/entry/2

究極のメニューor至高のメニューが完成すると士郎の母親が生き返り、全てが融け合ってひとつになります。

美味しんぼと言えば私は以前から美味しんぼ=エヴァンゲリオン説を唱えており、つまり栗田ゆう子は士郎の母親のクローン。

Asian Film Archiveのエドワード・ヤン映画祭にて、1996年の『カップルズ(Mahjong)』。ヌーヴェル・ヴァーグは都市とちんぴらの映画。

コウサカX さんがブースト

今週日曜日(17日)20時〜開催✨

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小説のキャッチコピーや
あらすじを書いてみよう!
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