日本のSNSにいる右派の人って、自分たちが振る舞っているようなやり方が日本人としてふさわしい行いだと思ってやっているはずですよね。相手が嫌がるのにシナと呼ぶ日本人こそ、誇り高く素晴らしい日本人だと考えているからそうしているはずです。となると、彼らにとって日本人のあるべき姿とは、相手が嫌がることをわざとやることだということにならないでしょうか。私は、そういうのは恥ずべき日本人だと思いますが、そうではないのか?
東京都が開設した相談所は性犯罪の温床になり、結果的にColaboの活動の有益性を示し、暇空を支持するオタクの害悪性を示すことになった。
暇空問題は新宿の半グレみたいな人がツイッターで仁藤夢乃にブロックされたの機にアグレッシブにSNS上で嫌がらせをはじめ、その後子分のコロアキが現場に押しかけてくる事態になったので、そういう性的搾取で利益を得ている連中がうまいこと騒動を利用した側面もあると思うので、「オタクが〜」というのは問題の矮小化なのかも知れないが。
しかし、都知事選の折、某漫画家が暇空に投票したことを表明したりしていて、支えているのが、そういう層なんだろう。
そういえば最近ベテラン漫画家だかイラストレーターだかが、多様性を絵の具に例えてたくさん混ざると汚くなるとかツイートしてたみたいだが、それならまず汚濁を取り除かなけらばならなくなるだろう。他人の不幸をネタにすることで自身が孤立し、やがて畳の汚濁となる、転じてオタク。
「トー横」の相談所で女性にみだらな行為、逮捕者も… 若者を犯罪から守る目的の都の施設でトラブル多発
https://www.tokyo-np.co.jp/article/355477
何を「ざんねん」と見做し、どのような性質を「笑っていい」「ダメなもの」と定義するのか、そこには見る者の価値観が露骨に発現する。
「特定の人物の意外な一面を楽しんでいるだけ」「悪名高い人物のおかしな部分を笑っておちょくって相対化している」という行為の中に、性質を同じくする者への差別が無いと言い切れるだろうか?
思想や行為と、気質や発達特性(それと思しきものも含めて)は絶対に分けるべきだ。
気質や発達特性を嘲らなくとも、悪しき思想や行為は批判できる。
しかし、人は往々にしてこれらを意図的にせよ無意識にせよ、混同する。
「ざんねんな」という軽い言葉は、この危険性を見落とす危険を孕んでいる。
私はこの言葉を警戒する。
ある人物の「ざんねんな」「笑いたくなるダメな部分」は支援が必要な面なのではないだろうか?
そのような面を笑うことで一体何を歴史の教訓とできるのだろうか?
現代の社会の中で同じ特性を抱えながら生きている人へ支援を届けることを考えるべきではないか?
未来の歴史は、それを笑う無知で傲慢な我々をこそ「ざんねんな」と評価するのではないだろうか?
そんなことを「ざんねんな」と言われることが多いASD当事者の一人として考える。
『ざんねんないきもの』が出版された頃「人間の基準を勝手に他の動物に当て嵌めて『残念』呼ばわりする人間中心主義にうんざり」「一見『ざんねん』に見えてもある環境下では合理的だという視点に欠ける」というポストをXで見た。
それからあれよあれよという間に「ざんねんな〇〇」はブームになり、現代日本の一部の人間を基準に、生物も歴史上の人物も気軽にジャッジするのがネタになってしまったな、と思う。
自分も歴史創作をするので人物たちの日常や失敗譚、奇妙に思えることをネタに想像を膨らませる楽しさは分かる。
一方で「だらしがない」「自堕落」「身勝手」「怠惰」「人との距離感が分からない」「思い込みが激しい」と言われる人物に「この人は発達障害では?」「丁寧な療育や支援が必要だったのに時代的に何も無いまま大人になるしかなかったのでは?」となることも多い。
「歴史上の人物の『ざんねんな』部分を笑うだけ」のはずが現実に生きている同じ特性を抱えた人への蔑視になっていないか、そうハラハラする場面もある。
実際、発達障害と思しき人物に向けられる「怠惰」「だらしがない」「思い込みが激しい」という評価はASD当事者の私自身がよく言われてきた言葉であり、個々のエピソードにも似た面を発見した時など「ああ、私もこう侮蔑されているのか」と暗澹となる。
日本はよくどこそこ国が急に攻め込んできたり、ミサイルを撃ち込んできたりするんじゃないかという怯えたりしているが、それを実際にやっている国がイスラエルであり、日本と同じ側の陣営の国なのである。
「私達の心はイスラエルと共にあります」とどっかの誰かも言ってなかったっけ?
イスラエル、レバノン南部で大規模空爆 ロケット弾発射装置100基を攻撃と発表
https://www.bbc.com/japanese/articles/cd6q082qv43o
レバノン同時多発爆弾テロ被害者数の最新情報。
Al Jazeera 11:36 GMT(約1時間前のニュース)
レバノンのフィラス・アビアド保健相は、ベイルートの記者会見で、レバノン全土で発生した2つの同時多発テロによる死者は37人に上ったと述べた。
ポケベル爆弾による9月17日の攻撃で12人が死亡し、226人が重体である。
翌9月18日、トランシーバー爆弾などによる第2波攻撃で25人が死亡し、集中治療室に残る61人を含む708人が負傷した。
https://aje.io/i11bvr?update=3189113
ポケベル爆弾、トランシーバー爆弾の攻撃を受けたレバノンの一般市民は次のように語る。
「技術が発展すると、どうあっても攻撃は増える一方だ」
https://aje.io/i11bvr?update=3189238
雑感:
IT界隈ではセキュリティが最重要課題となっているが、いまや社会全体のセキュリティ問題が複雑化している。
『火垂るの墓』について現役自衛官から「軍人同士の繋がりを甘く見てる。両親を亡くした子どもがいれば必ず同僚の誰かが養い親に名乗りを挙げる。それが軍隊」と聞かされたことがある。
「必ず発生する戦災孤児に人情なんて曖昧なセーフティネットしか無い状態で開戦したのは最低の愚策」と言っても「だからセーフティネットは横の繋がりだよ」「一般人には軍人の絆は分からない」と言われるばかりで噛み合わなかった。
その人情の繋がりが現実を前に脆く崩れ、国家に貢献しない存在が弾き出される様子が描かれているのに。
正直、二人を引き取るのがおばさんでも同僚の軍人でも大差無いだろうに。
そりゃ国家は民草が相互扶助してくれるなら楽だろう。
戦時中なら尚更。
両親を亡くして精神的に不安定な子どもを新しい環境に引き取り、馴染むまで根気強く接し、大人になるまで育てる時間と労力こそが甘く見られているんだろうな。
朝から生島ヒロシが「中国にはもう行けない」などと騒いでいたのだけど、犯人が逃走したとかならわかるのだけど、その場で取り押さえれた事件で現地邦人に「日本語を使うな」と呼びかけたりちょっと異常反応じゃないの?と思わされることが続いているな。
ちなみにこの事件ってヘイトクライムで確定なの?インターネッツでは今の日本政府のナショナリズムの煽るよな動きを批判するにしても「ヘイトクライムは許さない」を枕詞をつけないといけない感じになっているけど、今のところ犯人の犯行動機について書かれた記事を見ていない。どこかに出ているのだろうか?
>ネットで事件について知った地元の男性(30)は「深圳は開放的な都市で、普通の人はこのような事件が起こるべきでないと考えている」と語り、校門の前に花を手向けた。中国のSNSでも犯行を非難し、男児を悼む投稿が多く見られた。
高まる不信「中国に住めないかも」 日本人学校男児死亡の襲撃事件
https://www.asahi.com/articles/ASS9M3QV3S9MUHBI01PM.html?iref=comtop_7_03