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都会にいれば企業の風土も多様なので、様子は違うかもしれませんが、地方では苦労している人がたくさんいるのではないかと思います。
役職についた数少ない女性は孤立して管理職としての自分の資質に懐疑的になるし、その様子を見ている次の世代の女性は管理職なんてなるものじゃないと消極的になるし、この状態を打破するのはなかなか困難ですよね。
少しずつでも変わっていくと良いのですが。


求心力と遠心力という言葉に、今までずっと気になっていたことがすっきりした感じがします。
いわゆる「男性社会」では役職がつくこと=パワーとなるのに、女性がその役職を得てもパワーにならないし逆に仕事がやりにくくなったり居心地が悪くなったりすることは経験則的にわかってはいましたが、遠心力という言葉に「なるほど!!!」となりました。


物事をスポーツに例えるのはあまり好きではないのですが、ソフトボールをしていた時に、守備で大切なのはポジショニング(どこに守るか)だよと教えられたことを思い出します。
ファインプレー特集に出てくるような派手なプレーではなく、事前に守備位置を変えることで難なくボールをキャッチすることこそが本当のファインプレーなのだと。

情報を的確に収集して起こることを予測して事前に対処するって、何においても重要ですね。


栃木では聞いたことがありません。
初めて知りました。


一番下っ端のうちは、しょうもないカルチャーと思いながらも従っているのでしょうが、その中でおいしい思いをし始めると、もっと上に行けないかと少しずつ沼にハマっていくのでしょうか。
年齢が上がり守るべきものが増えると抜けられなくなるようなイメージですね。

「男尊女卑依存症社会」という書名を偶然見つけたのですが(まだ読んでいないので内容がこれに当てはまるかはわかりませんが)、依存症的な側面もあるのかななどと考えています。

渡辺由佳里さんのスコットランドのエッセイを読んでいたら、遠い昔にエディンバラに行ったことを思い出した。

ロンドンへの出張の合間の短期間の旅行だったが、インターシティという列車で初めてコンパートメントに乗ったこと、植物園に行くつもりのバスを乗り過ごしてしまい親切な運転手さんにお世話になったこと、次の戻るバスを待つ間に地元の人たちのローンボウリングを見せてもらったこと、それからエディンバラ城からの美しい眺めなど、ずっとどこかにしまっておいた記憶が蘇ってきた。

@YukariWatanabe@mastodon.socialさん、思い出させてくださってありがとうございます。
惜しむらくは、もう少し歴史を勉強してから行けばよかったなぁ。

『誰がハマーショルドを殺したか』をアマゾンプライムで視聴。
10歳くらいの頃、初めてダグ・ハマーショルドという人の名前と国連という機関のことを本で知った。
その時はアフリカで飛行機事故にあい死亡したことが残念という印象だったが、その後に様々な憶測や調査があったことは知らなかった。
アフリカの歴史や現状についてもよく知らない私にとっては、学びの多い、そして怖くなる話だった。


こちらも市民団体の方々の指摘に同意します。
encourage (Japan) to proceed ですから、進めることを推奨してます。
たいした英語力のない私でも読み取れることですから、「改ざんではないか」との指摘も頷けます。


同意します。
whichはカンマ前のthat節全体にかかってくる(同格)と思います。
文法を考えなくても、この文を素直に読んでいけば、市民団体の方々が言っている訳の方が自然です。


地方よりは都会へ、都会よりは海外へ、とどんどん流出しますね。
海外でのインターセクショナリティのリスクを考慮してもあまりあるほどの国内での性差別がある以上、この流れは止まらないでしょう。


『スティーブ&ボニー』読み終わりました。

アメリカに行った時期も場所も違いますが、何十年も前の自分の留学の時を思い出しながら読みました。
行きの機内食から始まったアメリカの食事への驚きとか、裸足で日常を過ごす人とか、あぁ私も同じだったなぁと懐かしく思い出しながら。
表玄関からは地下で裏に広がる庭には直接面している家の作りも、私がクリスマスにホームステイした家とそっくり。
口数が少なくても繋がり合える人もいれば、どんなに流暢な話し手でも言いっ放しでしかない人もいる。
そうした共通点に少しほほえみながら、一方でアメリカの原子力ムラは電力としての原子力と武器としての原子力に境がない点など、日本とは違う側面にも改めて気づかされました。
現在の原子力についての会議の様子が語られると同時に、日系アメリカ人の方々の背負ってきた歴史や広島の話も、それぞれに静かにそして確かに語られて、時間や空間が自在に飛び交っていく不思議な感じ。
noteに書かれたものを読んでいた時から好きだった文章が、こうして一冊の本として完成したことを一読者として本当に嬉しく思います。

ありがとうございました。

選択的夫婦別姓や同性婚の法制化の問題を見ていると、政治に市民の意見が反映されてない感じ。
反対しているのは、右派の一部の議員なのに、何十年も制度が進まない。
議員は市民の声を代表するための仕組みのはずなのに、その仕組が市民の声を阻んでいる。
直接民主制から間接民主制に制度が変わったのは、構成員が増えた大きな組織に対応するためだったのだろうけれど、インターネットという新たな技術ができた現在なら、直接民主制に戻すほうが、もしかしたら民主主義の進化なのかもしれない。

最近江口のりこのドラマが好きな姉に、『野田ともうします。』を紹介。
もう十年くらい前の作品なので、見ていなかったらしく、
「久しぶりに気持ちよく笑えた」との感想。
なによりでした。


なるほど。
従業員への豪華な福利厚生というイメージでしょうか。
公教育の現状の先を行く試みだとは思いますので、そのコンセプトをきちんと理解して実践できるスタッフが揃うことを期待しています。


そうですね。
子どもが通うということは、30〜40代の家族ごとの移住を期待した人口政策なのかなと思います。
公教育なので、オルタナティブ教育を考えている保護者にしてみれば経済的には魅力な選択肢なのかもしれません。
しかし、現地には産業がないと思いますので、リモートワークが可能な層に限定されるのかと。
でもその層の保護者は放射線量や医療を含めた社会インフラの不足には敏感な気がします。

うーん、どんな人々が利用可能なのかなかなか想像がつきません。


お返事ありがとうございます。
添付した記事に書かれている教育のコンセプトには同意する点が多いので、うまく進みますようにと思っています。
ただ子どもたちに直接関係するプロジェクトなので、変な大人たちが関わるものにならないようにと心配になる部分もあります。
建物はお金で建てられても、実際の運営は人次第ですから。


記事の4ページ目に記載されています。


いつも福島の情報を伝えてくださり、ありがとうございます。

もしご存知でしたら教えていただきたいのですが、大熊町に「学び舎 ゆめの森」という学校を含めた施設ができるそうですが、地元の実態には適っているのでしょうか?
gendai.media/articles/-/108111

毎年この時期に思うことだが、学校の新年度が9月ならいいのに。

夏休み前が学年度末になり、異動を発表して、夏休み中に仕事の引き継ぎや、前年度の反省を踏まえた新年度の計画・準備をすれば、9月に子どもたちを余裕をもって迎え入れることができる。
スタッフのチーム作りにも時間が取れる。

子どもにとっても、長い休みのあとに心機一転新たな気持ちで新学年を迎えられる
(4月始まりだと、やっと新しい生活に慣れたところで長い休みに入りリズムが崩れる。1学期にトラブルがあった子どもにとっては、その同じ場所に戻らなければいけないことは苦痛のはず)

いいアイディアだと思うんだけどなぁ。


メディアでしか見ていませんが、まさに!同感です。
市長レベルなら、気のいいおじさんで済むかもしれませんが、国政を預けるには危険すぎます。
体幹のしっかりしていないアスリートが、ちょっと負荷がかかるとあっちへフラフラこっちへフラフラする感じ。
自分一人ならそれでも良いでしょうが、巻き添えになる市民にとっては迷惑至極。

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