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振り返ってみれば 

自分自身も十数年~十年くらい前は似たような態度をとっていた自覚があるのであまり追及するのもどの面下げてという思いはあるのだが、いつぞやのいいね欄チェックの暴走のように、良いことやってるつもりが踏み越えてるうえに自覚が無いという事はいくらでもあるだろうし、自分は潔白だと思い込んだ先に何が起きるのか、何があるのか、そこはすごく気になっている。

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今話題の 

アンソロの件についてはアンソロ参加者用にしか刷ってなくて頒布もしてないようなので、あれは周りが騒ぎすぎだと思うけれど、前にも言った通り「改憲」やら「愛国」をテーマの二次アンソロジーが出てきたらどういう態度をとるんだろうか。
舞い散る桜とでっかい日の丸を前ににっこり微笑む安室透の同人誌を虎の穴で見たことのある身としては思うのだ。

っていうか今画像検索したら日の丸と安室透というか降谷零を組み合わせたイラストけっこうあった。ついでにSSもあった。

ヘイトや差別は政治的主張ではないからその反論はあてはまりません。とは言うが、ヘイトでもなければ差別でもないが対立する政治思想なんていくらでもある。自分たちの主義主張は決して差別やヘイトには当てはまらないと考えているんだろうか。

政治的な主張云々というより(むしろ主張している内容には賛同の立場なのだけど)自分たちの主義主張は良いものであると自らの無垢無謬さを疑わない態度の方が気になっている。

過激思想のヴィーガンとは相容れないが普段の食事に大豆ミート取り入れたりたまにヴィーガンラーメン食べに行ったりはしている。理由は大豆ミートは長期保存がきくし自炊の労力が省ける、ヴィーガンラーメンは中年の胃袋に優しいとか利己的な理由なんだけど。

そういう立場から見ると肉フェス会場で赤ちゃんの人形焼いてヴィーガンアピールのパフォーマンスとか後ろ弾売ってるようにしか見えない。

大豆ミート作ってる会社も高齢化で体力的に畜産がきつくなった酪農家に原料のマメ科植物の栽培を打診して廃業後の仕事と収入の確保ができますよって現実的な手段で営業掛けたりしてるのに。思想や信念を持つことが悪いとは思わないけどあの方向性はやっぱり相容れないと思っている。

ルックバックへの事件を消費しているという批判、作品を創るうえでの絶対に避けられない命題の一つという意味では「そうれはそう」なんだけど遺族や被害者に直接代弁を頼まれたわけでもないのに「被害者や遺族の気持ちも考えて」って語りだすのはあなたのその言動もまた消費に加担してるのではと思うんですが、書いてる本人にその自覚はあるのかどうかは気になっています。

Twitterで突発的な希死念慮に襲われた作家のつぶやきを3回ほど見たことあるんだけど、3人とも普段はしないようなタイプミスや変換ミスを文中で何度もしていて、なるほど人間が突如死にたい気持ちに襲われるのって脳が誤作動起こしてると聞いたけど本当なんだなと思わせる説得力があった。

いやわかってます 

当事者が言うのと無関係なヘテロが言うのじゃ意味合いがぜんぜん違うってのは。

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なんだかんだ言っても 

無料公開されてるからかつく食べを読みに行ってしまう。そして毎回大なり小なり突っ込みまくってしまう。

ところで3/29公開のつく食べ49話で「カミングアウトなんて必要ないのにって思わない?」「仕事とかには必要ない話だよね」って会話を耳にして野本さんが水底に沈むほどショックを受けている一方、4/4発売の何食べ182話はシロさんが「自分からカムアウトするつもりは無いんだ ヘテロの人間だってわざわざ職場で自分が異性を好きだとは言わないだろ」つってて、まったくの偶然なんだろうけど、すげえタイミングで内容がバッティングしたな……。

最近、安楽死や代理出産や臓器移植、セックスワークについての本をちまちま読んでるが、身体や肉体が関わるジャンルで「自己決定」「選択」「権利」「人権」って言葉が新自由主義のセールストーク用のキャッチコピーになってないか?という疑問がふつふつと湧いてくる。

Bluesky 

瀧波ユカリ問い詰めてる人たちペドフィリア差別に反対しますの人たちじゃん。ああいうのが味方になりそうな人達を遠ざけてんじゃないの。(瀧波ユカリはアンチトランスになったりしないだろうけどさ) 少しでも教義やお題目に外れたこと言うとアンチトランス扱いで差別者のレッテル貼られてタコ殴りにするような連中なんとかならんかね。こういう発言もマンスプレイニングとか言われるだろうけど。

覚書 

アメリカで無脳症胎児を妊娠した場合、臓器移植提供のために出産するという「選択肢」がある。という話を読んで気分が落ち込んでしまった。

一応、親の気持ちは想像できる。出産しても生命を維持することができないならせめて何かの役に立たせてあげたいとか、他者の中でその子の一部が生き続けるかもしれないという可能性というか物語(ストーリー)に希望を見出したいのだろうとか、しかしそういう切実な望みや物語のすぐ側にそれらに経済的な価値を付けて取引可能な商品に仕立て上げるシステムが控えているってあんまりじゃなかろうか……。

大吉原展
インバウンド、外国人観光客にも見てもらいたいんだろうなという気配をひしひしと感じる。

けどキャッチーなコピーとビジュアルで人を読んでおいて「この華やかさの裏に実はこんな苦界が」くらいの展示はやるんじゃないのと思ってたので、今の会期前で誰も展示を見てない時点でこういう騒ぎが盛り上がっちゃうのにんともかんともって感じ。

マーケティング的にも、表向きはとっつきやすそうなテーマで人を読んで実際には濃い内容をぶつけるよって方法をとる場合。アピールの仕方を考えないといけないんだろうとは思ってるが~。

かつて大量虐殺、絶滅政策に晒された民族がいま他の民族にたいして似たようなことをしている。ということは唯一の被爆国である日本もいつか他国に自らの手で核を使って大量虐殺を行う可能性もあるんじゃないかと考えてしまう。

雑誌等の 

新聞以外の紙メディアはあそこまで態度でかくはなかった。馴れ馴れしかったけれど、あの馴れ馴れしさなんだったんだろうな。

大昔 

オタク系企業で働いていたとき大メディア(新聞、TV等)の取材を断ると「えぇっ?この大メディア様がせっかく取材してあげるのに?大メディア経由で有名になれるチャンスを自ら棒に振ろうというのですか?」って態度全開にされたことが何度もあるんだけど、報道、バラエティ、ドラマetcの各分野で今もそういう空気根強く残ってるんだろうか。

メモ帳の供養 

シン・ウルトラマンをみたとき、「これはウルトラマンや特撮のことをよく知っている思い入れが深い人たちに向けて作られた映画なんだな」と感じていたので、パンフやインタビューで庵野氏や樋口監督が「今までウルトラマンをよく知らなかった人たちにも楽しんでもらえるような作品にしたかった」と言っていたのを知って驚いてしまった。

自分たちの映画を特撮の入り口にしたいというからには、相当な思い入れをもって作っているんだろうしそれは伝わるけれど、現行のテレビシリーズも続いていて、今の子供たちにとってはそっちが特撮の入口になってると思うのだが庵野樋口両名は今の特撮をどう評価しているんだろうか。そして自分たちの映画を誰に見てもらいたいと思って作っていたんだろうか。特撮に強い思い入れがあるわけではなかったのでそこら辺が読み取れずちょっと戸惑ってしまった。

勝手な想像 

貯金があまりない氷河期世代にこのタイミングで月5万くらいの積み立てでNISA始めさせるとちょうど定年前後に枠がほぼいっぱいになるんで、その分年金支給額をギリギリまで減らしたり支給開始年齢を後ろにずらしてお金節約したいんかな……。NISAを切り崩していけばギリギリ生活できるでしょ。使い切る頃に寿命が終わるでしょ。的なこと想定してるんじゃないかとか。というか、自分の資産運用の目的がそんな感じの未来を想定している。氷河期世代で国に対する信用がまったく無いのでネガティブな予想しかできない。

oya03 さんがブースト

「ゲ謎×吸死クロスオーバーアンソロジー」なる企画が爆誕しているのを見てしまった深夜

(既にXったーに死ぬほど生まれて流れてきてたもんな!
マイクロビキニとか!!)

NISA始めるにあたっていろいろ勉強したけど、国が将来どういう生活を国民にさせたいのかがうっすら想像できてなんかやだ。

あの手この手で国民から税金を搾り取り負担増やそうとしている国がこんなお得な制度を作るなんて絶対裏があるんじゃないかと思ってるんで、そのうち課税するか年金とかの社会保障ガッツリ削ってくる(もうやってるけど)だろうな~って予想してるけど、スタートダッシュで小銭を稼いでおきたい……!という気持ちで始めました。

自分用のメモとして残しておく 

以前「2018年辺りからの海外由来のトランスジェンダー関係を中心としたクィア運動って悪い意味で新自由主義との親和性が高くないか」と書いたのだけど、このエントリを読むとクィア運動に限ったことではなく安楽死を始めとした生命、身体、健康分野のトレンド、方向性としてそういう傾向があるってことなんだろうか。分野は違えどどちらも「自分らしく生きるために」という点が出発点になってるのが共通している気がする。生きていくうえで生命や身体の価値、それらを自分自身でコントロールすることが金銭的価値と結び付けられて消費されランク付けされてないか?という疑問がうっすらとある。

児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)
blog.livedoor.jp/yamasitayu/ar

これが単に自分の中での思い付きであまり関係のない者同士を関連付けてしまったのか、それを考えるうえでも上記エントリの書籍は読んでみたい。

関連して積読状態の「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か これからの経済と女性の話」も読んでおきたい。
amzn.to/41xBECh

一人暮らししてる姪っ子が住んでる市が月一で大学生対象に無料で食料を配布しているという支援策があると聞いた。学生証とエコバッグ持っていくとパンやご飯、規格外の野菜や消費期限近いレトルト食品を配布してくれるそうだ。フードロス対策と組み合わせて運用されてるらしい。

良い制度だと思うと同時に仕送りが出来ない家庭やバイトだけじゃ暮らしていけない学生が増えているってことなんだろうか。現に姪っ子も仕送りは貰わずバイトで自活して生活している。

お金がない貧乏学生ネタは昔からあったけれど、それらとは性質が違う苦労を背負ってる人たちが増えてる気がするんだよな~。

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