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覚書 

アメリカで無脳症胎児を妊娠した場合、臓器移植提供のために出産するという「選択肢」がある。という話を読んで気分が落ち込んでしまった。

一応、親の気持ちは想像できる。出産しても生命を維持することができないならせめて何かの役に立たせてあげたいとか、他者の中でその子の一部が生き続けるかもしれないという可能性というか物語(ストーリー)に希望を見出したいのだろうとか、しかしそういう切実な望みや物語のすぐ側にそれらに経済的な価値を付けて取引可能な商品に仕立て上げるシステムが控えているってあんまりじゃなかろうか……。

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