『江戸から東京へ』や『ずばり東京』みたいな文章を書きたい時期があったのを、ふと思い出した。いまでも、そういう文章を読んだり書いているときが、楽しいかもしれない。

ソニーの角川買収は予想していたのだが、だからといって、わたしに投資をするだけのカネはなかった。

わたしが言いたいのは、次回の兵庫知事選や県議会選挙、それから来年の参議院選挙のことを、考えもせず、ああでもないこうでもないと駄弁りたいひとがたくさんいる現実は、他人事じゃないとすると面倒このうえないし、そんな駄弁りたいひとたちを置き去りにして暦は進み、また選挙の季節になるということである。スケジュール管理もできない駄弁りたいやつ。うおおと思わないのか。

From: @ohmitakaharu
fedibird.com/@ohmitakaharu/113 [参照]

日本ではなんでテレビタレントが政治を語って世論を誘導するのか、という冒頭で本を出した人間としては、今日起こっていることというのは、自分で予見したことなので驚きがない。

そして、今回兵庫で起こったことは、空中戦ではインターネットとクチコミで展開されたチェッカーズスピーチみたいなもので、地上戦では地道な動員がかけられていたわけで、ある意味では新しくない。

フィルターバブルでもサイバーカスケードでもサイロでも蛸壺でも言い方はなんでもいいけれど、自分たちに都合がいいものの見方をしつづけてるだけだと、推したいひとを当選させることができない、ということをちゃんと考えるべきでないか、と思うのだけれど。

自分たちの敗因を、自分たちに耳障りのよい仮説で埋め合わせるしかしていない限り、勝てっこない。煎じ詰めるとカモられるやつは何故カモられるのかという話で、とんでもない新技術とか、そういう話でも、なんでもない。

整形外科にて

「軽く、抜け感があるというか」
「亜脱臼ですね」

とワールドシリーズの大谷と同じケガを、ファッション誌のように表現した会話がなされていた。

【ゆる募】
すごうでのエンジニアが多いとおもってマストドンで伺ってみるのですが、ブラウザのタブを50個ぐらい兵器で広げっぱなしで、Notionでの執筆が苦にならないデスクトップで、おすすめのマシンをごぞんじないでしょうか。

この二か月くらい、ずっと調子が悪いので、snsをかなり使ってないのだけれど、Twitterが久しぶりに改悪して、何度目かのひとの移動が起こっていると知った。

まあ……でも、いまあんま使わないからなあ。

うすらぼんやりと、白江さんが書いているなろう系のコンテンツの評論は、これをああしてあれすれば、本の企画書にできるのではと思ったり。
(体調が悪すぎて、いま、ぜんぜんあたまが回ってない状態なりの感想

これ、大阪府に住んでるひとたちが純粋に損するだけでないのか(大阪府が外資などカジノ企業に違約金を請求できなくなるだけなので)

それは自民党、立憲民主問わず。
(党名に即すなら、ちゃんと立憲民主主義の主張をして、安易に二世三世や、財界から送り込まれただけの人物を国政でのさばらせないでほしい、と思うのだが。日本は閥族社会に戻ってしまうのだろうか、と懸念するばかりである)

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細かいことを省くと、リフレーション政策は格差の拡大に繋がりかねない政策なので、すでに長期に実施した日本でこの政策をとろうとするなら正統性がかなり必要である。

リフレーション政策を採用するか否かだけで党代表を選ぼうとするのは、さすがに視野が狭すぎる。

これはその通りで、ボルソナロが法務大臣に起用したのが、ルラの被選挙権を剥奪するのに一役買った検察官。

ただ、この検察官は、ボルソナロ親族の不正に気づいて政府内で揉め、結局辞任していく。

『虎に翼』もかくや、という展開がブラジルで起こっていた。

しかも、南米に共産主義が蔓延り同性愛を勧める教育がなされているという陰謀論を広めたのが、日系YouTuberと知ったり、いずこにも日本が陰謀論を輸出したのがこの四半世紀なのだと気づいて愕然とする。

From: @chaton14
fedibird.com/@chaton14/1130614 [参照]

部外者が専門業者にマウントを取りに来る(ジャックする)ような業種(純文学や、その研究)になってしまうと、ろくなコトにならないから、ちゃんと評論の水準を上げるという営業努力を日本の映画関係者はしたとも言える。

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そういう作品そっちのけみたいな評論と、その評論をめぐる評論みたいな自意識の回廊みたいな文章は商品にならなくて、そういうのはよくもわるくもタダで書かれタダで読まれるネットでしか【読まずに済む】時代になってくれたのですよ。
(ちなみに、その書評を書いた人物が誰かを調べると、この10年ぐらいの映画評の状況を考えると、ちょっと驚くと思う)

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ようは蓮實重彦を下げに下げ、中野翠を持ち上げている書評になってしまっていたのだけれど、そのひとたちはもう中野翠の映画評に関心を持っていない状況なので、あの読者はどこに行ったのだ?という気もするのだ。
QT: fedibird.com/@ohmitakaharu/113
[参照]

大見崇晴  
まあ、映画評論は、むかしより今のほうが良いんじゃないのかなあ。 というのは、ほんの四半世紀ぐらい前までなら、中野翠が書いた映画評の本に対して、なんだか難しいことを書いている映画をろくに見れていない人間の本よりもとてもいい、という種類の書評がヌケヌケと書かれていた。それも出版社のPR誌に書かれた...

まあ、映画評論は、むかしより今のほうが良いんじゃないのかなあ。

というのは、ほんの四半世紀ぐらい前までなら、中野翠が書いた映画評の本に対して、なんだか難しいことを書いている映画をろくに見れていない人間の本よりもとてもいい、という種類の書評がヌケヌケと書かれていた。それも出版社のPR誌に書かれたぐらい。

もっとも、それであるならば「大衆」のための「大衆芸能」で「映画」はなくなったのか、と思うひともいると思う。

けれども、いまの社会の難しさはTwitterみたいなところで、いかにも昔であれば「一般大衆」ごのみの陰謀説が展開されて、イーロン・マスクがそういう陰謀説を展開するアカウントに施しを与えているという構造がむき出しになっていることのような気もする(想像されているような大衆なんて、本当にいるのだろうか)。

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