渋谷PARCOにあるDOMMUNEで2023年9月26日(火)19:00〜23:30に開催される「WAIFU @ SUPER DOMMUNE #4」に参加します。
会場参加は2000円。
わたしはトークパートでの参加ですが、DJタイムや、シドニーのクィアコレクティブ「Club Chrome」のポールダンスアーティストLinhqのパフォーマンスも楽しみ。
トーク前半は、 マイノリティのセーファースペースとしてのクラブカルチャー史、後半は「クラブシーンにも広がりつつあるトランスフォビアについて緊急ディスカッション」で、わたしは、文化・芸術における差別意識や偏見、デマの拡散とその影響力や、7月に参加したドイツのクィアな音楽フェスWholeについて話す予定です。
後半テーマは、最近、毎年行われている野外音楽イベント「ラビリンス」を主催している「MIndgames」の共同創設者が、トランスの人々に関するデマの拡散やそれに伴うラビリンスの出演者たちの出演辞退が発端です。
https://mixmag.net/read/multiple-djs-pull-out-japan-festival-the-labyrinth-after-founders-anti-trans-rights-comments-news/
単に問題を起こした人を糾弾するだけでなく、何ができるか? も考えられたら。
『線場のひと』
https://to-ti.in/product/frontlines
戦後直後、日本にいた、愛し合った女ふたりと、アメリカ兵二人を主軸にした、いたましく濃密な漫画が無料で連載されているのでみんな読んでくれよな……
まさしく「わたしの知りたかった戦後」のお話。
児玉雨子さんの江戸文芸〝沼〟本『江戸POP道中文字栗毛』(集英社)をお送りいただきました。むちゃくちゃ面白かったです。江戸時代にこれほど奇妙な物語が書かれていたのかという驚きと、それらを現代につなげて紐解いてくれる語り口の面白さ、批評性、裏付けの確かさ。9月26日頃発売だそうです。
倉橋由美子短編集の編纂の仕事で、小説論のエッセイ集も読んでいるんだけど、
「カミュやサドは悪書なのに、社会に問題提起したと解釈されて不本意な形で存在を許されている」「文学はアウトサイダーであるはずなのに、現代では正しい倫理を説くことを期待されてしまっていて云々」
的な記述があって、あぁ、こういう考え方が昔はもっとあったな…と思い出したりした。
小説に限らず、お笑い…落語とかも…?(急にあやふや)
小説とまったく同じではないだろうけれど。
芸人という、社会の外にいる立場からお上に楯突いてみせて庶民をワッと笑わせ、不満のガス抜きをする。これはガス抜きであるから、社会を変えるわけではない。舞台が終われば、そのままのあいも変わらぬ体制の中に観客を返していく。そういう形で実はお上と協力関係にある。変化を促さないわけだから裏で保守と相性がよい。
みたいなのもあるかなぁ…
凝り固まった一般論を一度ひっくり返す、物議を醸すのが芸術だという論もあるけれど、その先に変化を促す運動なのか、元の日常に戻すつもりで変えたくはないのか。
この二つは、違う者たちなのでごっちゃにしてはいけないのかな…んー…
反差別の総量=まなざしの総量を増やすこと、その質を高めることが私の仕事だと考えるのならば、こういうのもありだろう。と思ったので始めます。前々からぼんやりと考えてはいたんですが。
ZINEとかの質をもう少し高めたいね、というときとかぜひ。リンク先の条件は叩き台なので、希望の条件あれば気軽にどうぞ。
クラファン参加した紅龍堂書店様の『毒親絶縁の手引き』届きました。
私も以前noteで分籍の話を書いて根強く人気があるのですが、この本は分籍に限らず、ずっと詳しくリアルな情報でいっぱいです。
「……誰かに守ってもらうことを「安全」と定義できるのは、未成年者の特権です。その特権を享受できなかった私たち―虐待育ち―は、自分の身を自分で守るなんて、これまでも当然に、粛々とやってきたことです。書いていてやるせないですが、嘆く暇はなかったし、選択肢はいつもなかったし、それを「当たり前」だなんて私も認めたくないですが、事実そうだった過去は変えられません」(p86)
この一文の重み。切羽詰まった状況に置かれてきたからこの本があって、でもこの本を書けたこと、その内容から、エネルギーに溢れた方なんだなあと思います。そのエネルギーをフルに自分のために使えていたら…というのは、私自身についても時々思うことです。
役に立ち勇気をもらえるこの本は、職場の本棚に行きます。弁護士さんが監修しているので法律本で間違いない、というのは半ば言い訳ですが、ともかく私だけでない人の目につくところに置きたいと思います。