『負けヒロインが多すぎる!』アニメ化、大変めでたい。
谷林は本作がめちゃくちゃ好きです。
最初読んだとき「なんでその関係で、その距離感で、そういうかけあいになるの??」という困惑で頭をやられてしまった。
距離感のバグり方と、バグった距離感に違和感を持たせずコミカルに読ませる手つきが絶妙なんですよ。
ヒロインは失恋を吹っ切るために主人公との日常で誤魔化そうとしているし、主人公は主人公でそれをうっとうしいとも楽しいともドギマギするともとれる反応をしている。
でも、主人公の内面や、ヒロインたちの内面を書きすぎたらくどくなる。
同時にギャグでごまかしすぎると多分上滑りする。
そういう絶妙な塩梅をうまいこと処理している。すごくテクニカルなことをさりげなくやってる。
で、しかもその結果として出力されるのが「ラブコメっぽいけど絶対にラブコメじゃない、どこかラブコメっぽい何か」になっている。絶対におかしい。
負けインのテクニカルなすごさはもしかしたらちゃんと語らないといけないのかもしれない。
私の交友関係において、Twitterの割と親しい友人で1名、職場の人間で2名ほど、トランスフォビア発言を素で仰る人がいるので、この辺の感覚の乖離(トランスジェンダーに対する世間的な無理解)は相当深刻だと感じている。
特に、「トイレとかお風呂にまつわる恐怖」を女性が語っているときに、シスへテロ男性である自分が「恐怖」を解決できるだけの理路を用意できなかった……という経験を実際にしており、「マジでこれどうしたらいいんだろう……」というのが目下の悩みです。
例の本の刊行中止、自分はトランスジェンダーに関してトランス差別に関する理路(何がどういう理屈で差別になるか)を多少内面化しているので特段の説明なく「刊行中止はよかった」と言えるけど、内面化してない人が反発するのも「そりゃ理屈がわかんなかったら反発するよな、表面的にはわかりづらい問題だし」って感じるのでそういう反応を強く批判できないという気持ちが結構ある。
一方、本件に対して「当事者に説明コストを負担させる」のが確実に間違い、という前提もある。それはマジョリティがマイノリティに一方的な説明を課す(私たちが理解できるようにお前たちが説明しろ)のがそれ自体暴力である、という意味で。
で、自分はそれに対して説明するだけの知識と、そこに説明を割けるだけの自分のコミット力があるかというとそれもないので、どうすればいいんでしょうねこの問題……とも思ってる。
谷林の悪癖「固有名を間違えて覚える」が発動していたようね……。正式名称は「Talk with _」でした……。
さて、このアバター接客、以下のように働き方に関する記事でもとりあげられている。大変素晴らしい試みだと思います。
https://www.mbs.jp/news/feature/kansai/article/2023/09/096915.shtml