例の本の刊行中止、自分はトランスジェンダーに関してトランス差別に関する理路(何がどういう理屈で差別になるか)を多少内面化しているので特段の説明なく「刊行中止はよかった」と言えるけど、内面化してない人が反発するのも「そりゃ理屈がわかんなかったら反発するよな、表面的にはわかりづらい問題だし」って感じるのでそういう反応を強く批判できないという気持ちが結構ある。
一方、本件に対して「当事者に説明コストを負担させる」のが確実に間違い、という前提もある。それはマジョリティがマイノリティに一方的な説明を課す(私たちが理解できるようにお前たちが説明しろ)のがそれ自体暴力である、という意味で。
で、自分はそれに対して説明するだけの知識と、そこに説明を割けるだけの自分のコミット力があるかというとそれもないので、どうすればいいんでしょうねこの問題……とも思ってる。