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V.ユーゴー『レ・ミゼラブル』
フランスでは大詩人とされるユーゴーですが、日本では詩人としてというよりは、やはり「レ・ミゼラブル」の作者として知られている印象です。
僕も、複数のフランス映画バージョンを見てきましたが、近年の英語版ミュージカルも、テンポよくつくられていたと思います。
ただ、別の意味で印象に残ったのは、最後J.=ヴァルジャンの死の場面で、「現世の罪」から洗い流されて昇天する、というメッセージになっていたことです。
原作では、あるいはフランス版映画では、J.ヴァルジャンは、「罪」を犯したとは見做されておらず、むしろブルボン王政復古と産業革命の進展によって生み出された「悲惨」と「不正」の犠牲者にして抵抗者という位置づけです。
また、ユーゴーも含めロマン派一般はプロテスタンティズムよりも、「原罪」の観念を限りなく希薄化したカトリックに近く、ードイツ・ロマン派詩人たちもほぼすべてカトリックに回帰したーその点も映画版ミュージカルは、原罪とそこからの救済、というプロテスタンティズムの様式に従っていて、その点、やはりアングロ・サクソン的で興味深かったです。
いずれにせよ、この映画、近年の英語圏の若年層の「左傾化」の感性と共振していることは間違いないと思われます。
しれっと『絵葉書II』出てる。諦めていたけど、待ってると出る場合があるんだなというのを実感している。
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ちなみに古田によればクラウスは、言語純粋主義者の言語理解を「交通のようなもの」として捉えている、と指弾する。言語は交通のようなものではない、とクラウスは言っている、と古田は書いている。しかしそもそも「交通」は(クラウスはもちろんこれをドイツ語で書いてるわけだが)、柄谷行人がマルクスの用法に執拗に注目したように、それ自体「豊かな響き」がある言葉である。もちろん、クラウスが用いた「交通」という言葉はそういう意味ではない、もっと限定された使い方だ、と捉えることはできる。しかしそれはむしろ言語純粋主義者的な態度ではないのか。
あと、これはウィトゲンシュタインの用語なのでめくじらを立てるべきではないかもなのだが、視覚障害すれすれのところで生きてる人間としては(それでも「読める」ように電子化してくれてることには感謝はするものの)、「アスペクト盲」概念の本書での扱いは割と神経を逆撫でされるところがあった。じゃあどうしたらよかったのかというと、代案は思いつかないのだが。
しかしだ。もしアドラスがフランス語から輸入されてから豊かな響きを得られるのであれば、この語に人為的に置き換えられた別のドイツ語にもまた豊かな響きが付与されるだろうし、アドラスという語がまた復活することがあれば、一時期人為的に使用を禁止されたという歴史もまたニュアンスを添えるだろう。クラウスはそういう未来方向の豊かさについては考えられなかったのだろうか。
クラウスの影響を受けたと言われるベンヤミンは翻訳という行為を肯定的な意味で、かつまた不可避であるという文脈で「裏切り」と呼んでいた。また「宛先」というキーワードで思い出さずにはいられないデリダは、この件についていかにも何かを書いていそうな気がする。というか、僕が読み落としているだけで、古田もだこかでこのことを書いているかもしれない。
古田徹也『言葉の魂の哲学』感想、備忘メモ。
「言葉の魂」という概念はかなり興味深い。
本書のクライマックスに置かれているクラウスは、「日本ではあまり知られていないけれど、ベンヤミンやウィトゲンシュタイン、アドルノらに影響を与えた」みたいな感じで定期的に参照される人物。日本の宮武外骨みたいな感じなのだろうか(外骨の影響下にある有名人を自分は知らないが)。
そのクラウスが、言語純粋主義者を批判しているという話。クラウスが批判しているのは、たとえばドイツ語からフランス語由来の「外来語」を駆除しようとすること。日本でも野球の「ストライク」を「よし」に言い換えるべきみたいな時代があったらしいが、ドイツにも似た主張をする人がいたそうな。
クラウスが批判している言語純粋主義者は、たとえば「宛先」を意味するドイツ語「アドラス」がフランス語由来であることを理由にドイツ語に置き換えろと主張する。しかしアドラスは単にフランス語由来なだけではなく、ドイツに輸入されてから帯びたさまざまなニュアンスがあり、アドラスという語に豊かな響きを与えている。これを別のドイツ語に置き換えてしまうと、「豊かな響き」が失われてしまう、とクラウスは批判する。
文化庁、「第3回メディア芸術データベース活用コンテスト」を開催|カレントアウェアネス・ポータル
https://current.ndl.go.jp/car/169175
『サイバラバードデイズ』と『荒潮』と『パーフェクトブルー』をごった煮にしたみたいなSF短編集として普通に良作。SFは売れないという先入観があるんだけど、三体とか、例外はあるんだなあ、、まあこれが売れてるかどうかはわからないんだけど。
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@mikeneko301_2022 イーロンマスクってキャラ変してたんですね…
@mikeneko301_2022 イーロンマスクと食という話だとこの話題が好きです。
@YukariKousaka 「生物SF」という文字列、よく考えるとかなり味わい深いですね。生物でてこないSFの方が珍しい気がするので、そっちのことへも想像力が働きます。
著述家・書評家📚📚果物などが好きです。仕事のご依頼はお気軽に。『週刊金曜日』書評委員、『ダ・ヴィンチ』ブックウォッチャー。時間銀行書店店主。 著作:『積読こそが完全な読書術である』(2020年、イースト・プレス)『書物と貨幣の五千年史』(2021年、集英社)、『再読だけが創造的な読書術である』(2023年3月、筑摩書房)。