俳句甲子園の賑わいに近づきたい気もあるし、あ、見てるだけでいいんでっていう気持ちもある。
正直、原稿料でません、という依頼も最初からそう言ってくれればしっかり取り組むけど、原稿料こんだけです、何万!とかだと足りない資料買うときほとんどためらわずに済む。新興俳句アンソロジーは原稿料以上に資料代がかかったけど……
主催者声明はごくはっきりしたものが出たんだね。
不幸中の幸いだ…。
> 「このような行為は性暴力、性犯罪であり、断じて許すわけにはいきません」
韓国女性DJのセクハラ被害、フェス主催者が声明を発表「犯人を特定し、法的措置を取る所存」
https://news.yahoo.co.jp/articles/710c38574371468088c72ec8ec34468220705143?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20230815&ctg=ent&bt=tw_up
TLで永井玲衣という方の話題を見て、朝日の有料会員ではないので朝日の記事は読んでないんだけど、他のインタビューなどを読んでは色々考えていた。
永井氏の色んなネットのインタビューを読んでいると、「手のひらサイズの哲学」というフレーズがたくさん出てくる。自分の中にある一見些末に思えてしまう不安や疑問を、問うて問うて問い続けるという意味での「手のひらサイズ」は私はいいと思うんだけど、「国葬」の是非を問うのが怖い(?)からといって「手のひらサイズ」である「人を弔うこと」に問いの焦点を合わせ直すというのは、めちゃくちゃにずれているのではと思うけど。
これはちゃんと「国葬、賛成?反対?」に戻って来ることを前提にしてるのかな。「国葬」と「人を弔うこと」は、共通項があるように見えて全然別の話だよね。
https://ashita.biglobe.co.jp/entry/2023/04/10/110000
私はみんなで素敵になりたいのです。みんな……否、あなたと! あなたと素敵になりたいの。だから、ちゃんと不公正には怒るし、ほかほかしたことにはちゃんと喜ぶし、その両方を味わうよ。
私たちは、多様で、それぞれに良さや弱さがある。それだって、環境依存的で、いつ裏返るかわからない。
連帯というのは糊着的なものではなく、都度都度切ってはつなぎ直して、少しでも明日に送っていくような、蜘蛛の糸のようなものかなと思います。今日はわかり合えなくても、明日には違うかもしれない。
この世は地獄かもしれない。日々、不正や差別がまかり通る世です。
けどね、全然希望がないとは私は思っていません。不正や差別にちゃんとNOと言えるあなたは私の希望です。私も言うよ!!
すぐに「日本は終わっている」と思いがちだけれど、いまここにあなたも私もいて、いまは終わっていない。先はわかりません。私は「いま死ぬしかない」と思ったこともあるけれど、今はけっこう長生きしたいと思っています。わからんよ、未来は。
ともに生きよう!!(よっぱー)
俳人/子連れ句会問合せ先/「炎環」 @Enkan_Haiku /Qai〈クヮイ〉 @Qai17310 /第24回炎環賞「みらい賞」・第11回北斗賞受賞/第一句集『サーチライト』(文學の森)手持ち分完売しました。書店にてお求めください