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ザ戦(新鮮な怒り) 

脚本は「男と男が見つめ合う先に未来はない」とか弦流に言わせた挙げ句殺すんじゃないよ!弦流は「社会を変えたい」と望んだのにその仕打ちがこれではあんまりだよ!無責任に未来に託すんじゃなく弦流にそんなこと言わせる社会規範の方をいますぐぶち壊そうとしろ!!!
最低限の譲歩として湧水様が描く同性愛差別のない国家像まで見せてくれなきゃ納得いかないかな、わたしは。
ただそういう描写があったとしても、ピンクウォッシュめいてるな、と思えてしまう。LDHという企業がクィアへの支援をしたところ、わたし見たことないし。知らないだけだったら申し訳ないけれど。『SOLDIER LOVE』の顛末からLDHという企業への視線が厳しめになってることは否定しないです。

『梟』の話(問題点についてもすこし) 

シネマンドレイクさんの『梟』の感想で「やや障がい者を便利に利用するプロット」というのは確かにそうだな、と思った部分でした。これは「宣伝」の問題でもありそうだな、とわたしは思いました。
というのも、「盲目」という言葉をミスリード的に使って宣伝しているため、この宣伝によってギョンスの「実は見える」ということが物語のフックとして機能してしまっているんではないかと思うんですよね。
この『梟』という作品の肝は、そのフックよりも権力批判にあるとわたしは感じたので、最初からギョンスの「見え方」を提示していても、物語の魅力はそれほど損なわれなかったのでは?と思う。
ギョンスが「見えること」を隠していた理由も、「盲人が見えることを嫌がる」という台詞でロービジョンであることによって差別されてきたから、というのが読み取れるのでその部分は当事者表象を全く考えていないわけではないんじゃないかな、とも。
ただやっぱりこういう宣伝をするということは「実は見える」をフックにしたかったんだろうし、そう考えると問題はあるよね、ということを思いました。

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niki さんがブースト

韓国映画『梟 フクロウ』感想

庶民目線で政治腐敗を描くのは韓国映画ではお手の物ですが、「見えない」のと「見ない」のは違いますよねという寓話的な朝鮮王朝物語としてプロットが練られていました。政治不正を「見えなかったことにする」ことで誤魔化すのは愚行です。聞こえていますか、日本の政治家さんたち…。権力に針を刺す覚悟を私たちは持っておきたい。 #映画

👇 ネタバレあり
cinemandrake.com/fukurou-korea

故意に税金未納や滞納繰り返した場合 国が永住許可取り消しへ | NHK www3.nhk.or.jp/news/html/20240
こんな法案絶対に通してはいけないし、こんなことを検討することすら本当は許すべきじゃない。これについてるリプライがすでに酷いヘイトスピーチになっていて、つまり国家が法案を出すことそのものが国家の排外主義政策の一貫になっていて、本当に何重にも最悪。

今日は取り寄せてもらった本も取りに行ったから読むぞ〜

『スリ・アシィ』のいいところ 

スリ・アシィ、ジェントリフィケーション批判になってるのはすごくいいですよね。アラナは火の女神を復活させる儀式と利害を同じくする「貧困層の生活基盤を奪う富裕層の目論見」をも砕いたことになるので。だからこそ単なる「実行犯」となってしまったジャトミコまわりをもっと掘り下げてほしかったし、もちろん続編では本当の黒幕をボコボコにしてほしいよ。

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これ書いてたら電車乗り間違えて帰りたい方向と逆方向にむかっていました、危ない

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『スリ・アシィ』の話 

アラナがとにかくかっこいい正統派ヒーロー映画でアクションもあり楽しかったです。
脚本は結構大味で、ジャトミコまわりをもう少し掘り下げないと「なんで?」が勝ってしまう感じなんですが、女性が主人公のヒーローものなんてまだまだ全然少ないので、そういう意味でこういう映画ももっといっぱいあってもいいよな〜と思いました。
個人的にはジャトミコは公権力の腐敗に辟易して仕事に意味を見出せていないながらも抵抗はしておらず、署長に「コーヒーお願い」と言われ続けて「自分は軽んじられている」と感じていたところを力を持つ悪魔に付け込まれたのかな〜と思ったけどじゃあ悪魔の力で何をしたかったんだろう?と思ってしまいました。
ありとあらゆるハンサムが揃っており、とりわけカラもタングーもアラナに対して様々な感情を持っているわけですがアラナはまったく意に介さないのもよかったですね。まあ義母の身体の心配でそれどころではないかとも思いますが。
ウ~ンと思ったのはアラナのブラックヘアですね、何のエクスキューズもなかったので。
それにしてもタングーとカラの組合せになんかめちゃくちゃ萌えてしまいました。気に食わなかった相手がヤケクソ胆力を見せてきて「やるな」ってなってるカラがめちゃくちゃ良くて……。

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今日は『スリ・アシィ』を観ます

『主人公』観たときの感想掘り起こしてきたので置いておきます! 

「昔から男が好きだ」「自分が好きなものに嘘を付きたくない」と言うのに「俺はゲイじゃない」と鼻で笑っていた、周囲の反応を恐れてそうせざるを得なかった同性愛者の池田勇次郎が、自らのセクシュアリティに戸惑いながらも、考えながら「今は男が好き」という答えに辿り着いた濱口大介の「理解されたい」という願いに感化され、自らの意思でカムアウトして「絶対幸せになる」と宣言したのはかなりよかったなあ。
まあ勇次郎がちょいちょいデリカシーなくて最後なんの打ち合わせもなく大介を前に連れ出して付き合ってる宣言したのは「それ事前の合意あった?!」と思わなくはなかったし、「エッチもしました」とかあんまりにも赤裸々に話すからギョッとしたりもしましたが。大介のもともとの性的指向の自認がゲイではなかったことで偏見が少なかったこと、かつ理解されたいという願いの持ち主だったから大事には至らなかったかもだけどあれもアウティングだよ……ということは肝に銘じておきたいよね。
でも勇次郎はずっと性的指向としてゲイであることを自認していた子で、そういう子が「深い理由まで考えない」って言ってたのもよかったな。なにか理由があってゲイになったのではなく、元々そういうものなんだと言ってくれたので。

わたしも『主人公』のゲイのキャラクター表象は良かったと思ったな〜。アウティングに対する危機感の薄さと全体的にちょっとミソジニーっぽいところはひっかかったけれど。

『梟』の感想(ネタバレ) 

かなりポリティカルなことをやっていて好きでした。ギョンスは「明るい場所で全く見えず、暗い場所で少し見える」という症状を持つ視覚障害者で、なぜ見えないふりをするのか問われ「人は盲人が見えることを嫌がる」と言う。「目をつむっていなければ生きられない」とも。そんなかれが、宮中の権力争いとその腐敗を目の当たりにし、世子を殺した王にみずからの選択で「私は見た」と抵抗する。
この権力腐敗の中心である王は、ギョンスが孫を庇う中で「誰に雇われたのだ」と問うのですが、「盲人が自分の意思で動くはずがない」という偏見を露呈しており、そこで「人は盲人が見えること(=自らの意思を持って行動すること)を嫌がる」というギョンスの言葉が反芻されました。

来週ザ戦なんですがちゃんと楽しめるだろうか、という不安は正直まだあります……。行くかどうかもすこしまだ迷わせて

わたしはキャンセイのMV観てとくに表象に問題があるようには感じなかったんですが、とくにぐっと来ることもなかったので、SLの件が後を引いてちょっとまだ心が追いついてないな……という感じです。

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ところでわたし1年くらい前まで「クィアベイティング」のこと「クィアベンディング」だと勘違いしていました。

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生身の人間、あるいはその関係性に「クィアベイティングである」と言うことは、裏返せばそのひとを「シスジェンダー・ヘテロセクシャル」であると決めつけてしまう行為でもあって、キット・コナーのように明かしていなかったセクシュアリティを望まない形でカムアウトさせられることにもなりかねず、往々にして「本物じゃない」「目立ちたいだけ」と言われがちなパンセクシュアル/バイナリーじゃない者としては、クィアベイティングを単に個人の責に帰すべきじゃないんしゃないか、と思ったりもする。つまり、いまだにクィアであることがセンセーショナルで注目すべきことであると受け止められてしまう社会構造そのものをわたしは批判したいし、ぶち壊したいな。

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