生身の人間、あるいはその関係性に「クィアベイティングである」と言うことは、裏返せばそのひとを「シスジェンダー・ヘテロセクシャル」であると決めつけてしまう行為でもあって、キット・コナーのように明かしていなかったセクシュアリティを望まない形でカムアウトさせられることにもなりかねず、往々にして「本物じゃない」「目立ちたいだけ」と言われがちなパンセクシュアル/バイナリーじゃない者としては、クィアベイティングを単に個人の責に帰すべきじゃないんしゃないか、と思ったりもする。つまり、いまだにクィアであることがセンセーショナルで注目すべきことであると受け止められてしまう社会構造そのものをわたしは批判したいし、ぶち壊したいな。
ところでわたし1年くらい前まで「クィアベイティング」のこと「クィアベンディング」だと勘違いしていました。