2022年に起きた宮崎県警の警察官が沖縄の少年を失明させたことを差別の文脈で書いてある。
日本人は絶対に認めないだろうがこの事件はヘイトクライムとして扱うべきだというのは何度でも言いたい。
このブログには「普通の日本人」の内なる植民地主義がどれだけ無自覚かをとても丁寧に、かつわかりやすく書いてあります。
日本人が書いた、という点ですごく希望を感じました。たくさんの方に読んでほしいです。
よろしくお願いします。
コインさんのトゥートで読んだ。
これ本当に「日本人」が読むべきだわ。シェアありがとうございます。
そもそも「標準語」が正しくて方言は劣った存在であるとする言語的イデオロギーそのものが正当ではないというのは言うまでもないが、過去に日本人が琉球の文化や言葉を暴力的に奪い、戦時中には琉球の言葉を話す人をスパイと見なして殺害してきたという歴史性がありながら、その反省もなく琉球の言葉を一つの面白いコンテンツとして消費する態度はいささか虫のよすぎる話である。
しかしこの番組の問題は当事者性ではなく、「普通の日本人」が内なる植民地主義に無自覚であることだ。恐らくテレビ番組として放映されている以上多くの人がプロジェクトに関わっているだろうし、出演者にも打ち合わせのうえコンセンサスを形成して撮影されているだろう。そこには日本人の側の圧倒的な権力が内包されているにもかかわらず、誰もそれに気づくことができないのである。すでにそこに「完成された植民地主義」が存在し、不可視なものとなっているこの状況こそが問題なのだ。(引用)
https://yk1.hatenablog.jp/entry/2024/01/21/001838
ただし日本に住むわたしがこの映画にそれを感じてしまっていいのか?!の気持ちは常にありますね
QT: https://fedibird.com/@niki/111788731637861037 [参照]
『蟻の王』、クィアネスとイデオロギーの話という点では『大いなる自由』に個人的に近さを感じたかも。わたしは『大いなる自由』のラストシーンにアナキズムを感じているので……。
『蟻の王』の感想
『蟻の王』、しんどいんですけど好きな映画でした。この話、クィアであることが核ではあるけれど同時に思想・信条についての物語でもあったと思う。それはアルドの訴訟を追うことになった共産党機関紙の記者であるエンニオとそのいとこで活動家のグラツィエラの存在があったからかな。グラツィエラが裁判所前でアルドへの教唆罪の適用は不条理だと叫ぶとき、グラツィエラの友人の弁護士は差別主義者で、「そんなことよりベトナム戦争に反対しろ」と言うんですよね。どんなにリベラルな思想を持っていても、ジェンダーやセクシュアリティのこととなると差別的な態度が露見する日本のTwitterみたいだなって思いました。「共産党嫌い」も同じ構図な気がする。
ただ、実際のウニタ紙はこの映画よりもアルドを支持する方向に向いてたようなので、その改変はちょっと「共産主義」というイデオロギーへの偏見なのでは? という気持ちもなくはない。まあ実際にソ連は刑法121条によって同性愛行為を取り締まっていた事実もあるのでソ連側の代表から差別的な言葉を投げつけられた可能性は十分あるし、エンニオといとこのグラツィエラのようにアライである共産主義者も出てくるので、全然ダメだとは思わなかったですが。
地元のミニシアター、ほんとにいろんな作品をやってくれて助かるんだけど作品が多い分スケジュールがめちゃくちゃタイトで「1週間限定上映」みたいなのもすごく多い。TOHO系列の映画館がない土地ゆえに上映作品が限られているなか、地方都市の文化資本を一手に担っているので文句が言いたいわけではない。文句を言うべきは独占禁止法に抵触する疑いのあることをやってたTOHOシネマズの方なんだわ。
今週末ぜったいに『蟻の王』観に行く
熱出た〜!頭も痛い!
成人済みおたくでクィアのアナキスト(they/them)/映画と音楽/トランス差別とあらゆる差別に反対