沖縄県がFBIに盗難美術品ファイルの登録申請をしたのは、元米国総領事館・広報文化担当補佐官の高安藤(たかやすふじ)さんと、首里城復元や調査研究などに尽力した故真栄平房敬さんのおかげだった。
時間はかかったが個人の働きが色んな人の助けを借りて実を結ぶ。
今成果が見えないことでも、いつかきっと。
ウチナーンチュの成功体験が心から嬉しい。
これは「差別をするのは知性のない者だ(知性のある私は差別などしない)」というような切り離しとも接続するものですよね。だからきっと本好きの多くは「自分は差別をしていない」と無邪気に信じてますよ。そしてこの感覚と接続するのが、道徳では100点満点の「誰も傷つけない」の精神ですよね。この「誰も傷つけない」は「いま/すでに傷つけられている者を助ける」ということを含んでいなくて、単に「自分の振る舞いが誰かを傷つけない」ことだけを考えているので。「自分は差別をしない(ので、差別問題に口を挟まなくてもいい)」ということ。むしろ差別を指摘することは「誰かを傷つける」ことになるので避けるべきこととされてしまう。
先日の政府による書店支援に対して本好きの皆さんが無批判にそれを受け入れてしまった構図、たぶん「本は素晴らしいものなのだから支援されて当然」というような、ある種の選民思想的な考えが無自覚に披露されちゃったものだとも思うんですよね。本好きの方々、よく「本を読まないなんてありえない」みたいなこと言うじゃないですか。そこにある傲慢さや暴力性にまったく気づかないまま、本を読めば良い人になれるとか読書は誰も傷つけないとか信じちゃう感じ。きっと毎晩パーティ参加してる人に「パーティに来ないなんて損してますし、社交性ないんですね」とか言われたらそういう本好きは怒るだろうけど、それと同じことしてるということには気づいてない。「本を読む我々は優れているが、本を読まないかれらはそうではない。そして本を読まない人が多いから社会は変わらないのだ」みたいなね。
2022年の共著『マイノリティだと思っていたらマジョリティだった件』(ヘウレーカ)に収録されている「調整、説明、証明をめぐるコスト」で、ちょうど「たとえば車椅子で映画館に行くのって大変だよね」という話をしていたので……
「映画館に行き、コーヒーを飲んで帰ってくるという予定を、気楽にこなせるひとはツイている。これが車椅子ユーザーならばどうか。映画館までのアクセスを確認し、混雑する時間や乗車位置を確認する。シアターでは車椅子用の座席は固定されているので「今日はスクリーンの真ん前」「ちょっと後ろ側」と席を選ぶことはできないし、バリアフリーのトイレが遠いと苦労する。車椅子で入れる喫茶店も限られていて、新しくできた店に寄ってみたいという希望がすんなり叶えられるわけではない。
これらはあくまで表面上のことで、実際には地域によって施設などの事情が違うし、ハード面には表われない変数もある。あの時間帯の駅員とは合わない感じだから手伝いを頼むのが億劫だとか、あそこのトイレを使わざるを得ないけどハンドソープがしょっちゅう切れているんだとか、チケットは自分で買えるのに手伝おうと「ボランティア」してくるやつがうざったいとか、面倒ごとはたくさんあるのだ。→
政府は「永住許可取消し法案」を隠れて成立させようとしています!English in reply /やさしいにほんご は した
(当事者不在の)有識者会議ですら議論されていない、十分な立法事実* 不明と思われるもので、恐ろしい法案です。
詳細 https://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/houan213.html
現行の技能実習制度に代わる、新たな外国人雇用の制度「育成就労制度」の導入で永住者が増える見込みがあるので、取消し事由を法案に入れる、それが「共生社会のためになる」わけがありません。
共生社会に必要なのは、差別の禁止と平等な権利です。
必要な制度は、入出国管理以外の外国籍を持つ日本の住民の権利を支える制度です。
国会に必要なのは、人権意識と腐敗の処分です。
すでに共生している私たちの声を届けるために抗議をします。
3/18(月 Mon)1:00-2:00PM
自民党本部前
メトロ永田町駅
情報保障:
UDトーク、やさしいにほんご、Japanese&English communication
なぜ、僕らが「受け入れてもらえる落としどころ」を提案しなければならないのか。
なぜ、彼らは感情論で僕らの在り方を阻害するのに、僕らが傷付いたり腹を立てたりするこの感情の発露が窘められなければならないのか。
なぜ、「そんな風に感情的になっても意味がない」「そんなことよりもっと生産的な議論をする必要がある」「愚かな感情論を相手にしても無駄」と、僕らのこの傷付きや怒りの発露が、無駄なものとして閉じ込められなければならないのか。
なぜ、僕らは、行儀よく知的で論理的であらなければならないのか。
なぜそうしなければ認められないのか。
何かしらの性別欄を、回答必須男女二択にするのをやめてくれって問い合わせを何十回送ってきたことか…。ちなみにほとんど改善されない。
マイノリティがいちいち声を上げるのは「わがままだから」ではなくて、「大きな声を出して騒ぎ立てないとあんたらが差別してることに気付かないから」なのだということを繰り返し言ってかなきゃならんのだろうな。
朱 喜哲 『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす: 正義の反対は別の正義か』(太郎次郎社エディタス、2023)において、朱は「合理的配慮」なる言葉は負担感をともなった言葉遣いだと指摘していて、「しかるべき調節」と訳出すべきだったとしたのは慧眼だったよね。
道新社説も伝統的家族観の政治家を批判。はよやれと書いてある。「重く受け止めて、多様な家族のあり方を尊重し合う社会を構築する。それが政治の責務だ」と。
<社説>同性婚訴訟判決 違憲是正の法整備急げ:北海道新聞デジタル https://www.hokkaido-np.co.jp/article/987690/
20↑🏳️🌈🏳️⚧️トランスジェンダーでノンバイナリー。Aジェンダー。ゼノアイデンティティ。クィア。🟨⬜🟪⬛お絵描きが好き。うつ病持ち。
種差別反対。全ての差別、搾取、暴力に反対できるように。