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朱 喜哲 『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす: 正義の反対は別の正義か』(太郎次郎社エディタス、2023)において、朱は「合理的配慮」なる言葉は負担感をともなった言葉遣いだと指摘していて、「しかるべき調節」と訳出すべきだったとしたのは慧眼だったよね。

今回もまたぞろ「配慮しろ、なんて偉そう!」みたいな言説が飛び交っていて、早めに訳を変えた方がいい。

語法を適切にすることによって、人々の思考や行動が変わることもある。
だから、国は言葉遊びに終始ししたり、民衆を欺いたりするような話法を止める責任がある。

「配慮」という温情主義的な表現ではなく、権利であるとわかる表現がいい。

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