「ハマスのテロは言語道断だが、イスラエルもやりすぎだ」みたいな見方って実は順序が逆で、「イスラエルが行ってきたあらゆる非人間的支配、集団的暴力にも関わらず、それでもなおハマスの暴力を正当化することはできない」というのが因果関係に沿った言い方なんだよな、と思う。
なんか不正に声を上げるのはバカのすることだし現状追認的に適度に搾取されつつシステムの裏をかいて狡賢く生き抜くのがかっこいい大人の生き方だみたいな、ひろゆき的な考えが広まっちゃったせいで日本の「かっこいい大人」像がただのセコい子悪党みたいになっちゃってる感じがあるよね。悲しいことに。
「ここで休む人がいて困る」という(施設管理者にとっての)問題を「ゆっくり休めないようにベンチの座面を不安定にしたり空きスペースをトゲトゲさせたりする」というデザインで解決してるんだから、排除アートではなく敵対的デザイン(hostile design)の方が的確な名前だと思う
地方での女性活躍に関するセミナーを、Webで聴いていた。
マクロの視点で、若年女性の流失が少子化の原因だから若年女性の流出を止めよう、というのはわかるし、そのためにジェンダーバイアスを無くそうというのには同意する。
だけど、どうしても個人的な感情として、広い世界に出ていこうとする女性を引き留めようとする動きには賛成できない。ましてや「少子化対策で、産んでもらうため」といわれたら、気持ち悪くさえある。
もう自分自身は引き留められる年齢ではないのだけど。
今こんななのに、若い頃はなぜか「2人産んでやっと現状維持だ」とか考えてたんだよな…。その考えがどこから来ていたのか、もはや全くわからない。
「若年女性の流失が少子化の原因だから若年女性の流出を止めよう」なんて言われたら、子どもは産みたくないけど地方で暮らしていくつもりの若年女性が生き辛くなるだろうが〜〜〜!!!!と思う子どもは産みたくなくてかつ地方で生きてきた元若年女性として思った。
出生率なんて関係なくジェンダー平等は実現しなきゃいけないんだから少子化対策の為にとか言うな〜!(少子化対策の為にジェンダー平等にしようという言説、全く人権第一じゃない)
市販薬でのOD(まったく今に始まった問題ではない まったくないのだが)する若者出現させるような政治をしてる大人が、若者を締め上げる形で「対策」しようとする、というの、構図で見ると地獄なんですよ。
あとハームリダクションの視点がなさすぎて対応として普通に、かなり酷い、悪手です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231219/k10014292461000.html
ハームリダクションについて。
『やめさせるのではなく、使うことによるリスクや健康面などの「被害」(ハーム)を少しでも「減らす」(リダクション)ことを目的とする支援方法』
薬の話だけでなくいろいろなトピックに対する視点として大切なところと思います。
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/675/
RE: https://ddoskey.com/notes/9nfmkqf9rq73u8zc [参照]
西欧諸国から「未開」の眼差しを向けられていた日本は、その劣等感を解消するため1903年に大阪で開催された内国勧業博覧会の民間パビリオンとして「人類館」を設置し、日本をアジアの中で最上位と印象付け「未開」から脱却するための装置として利用した。
この反省がないまま差別構造だけが維持され、「7種の土人」として展示されたアイヌ・琉球民族などは今現在も表面的には差別に見えない洗練された差別を受けている。
日本がアジアに対し謝罪や反省をすることはもちろんだが、琉球民族(末裔)として反省すべき点もある。差別から逃れるために更なる差別を作り出しまるで「日本人」かのように振舞った事実を忘れてはいけない。自発的な議論を積極的に行い、繰り返さない誓いをたて誇りを取り戻したい。
「人類館」は沖縄人が日本人への迎合・同化の道を選んでしまった歴史的に大きな分岐点だったように思う。
何度でも繰り返すが沖縄戦は前述した民族差別から派生したジェノサイドである。日本人は他民族への差別を直視し、内在化する植民地主義と向き合う事でしか第二の沖縄戦は防げない。
凄惨な沖縄戦の継承と米軍批判に明け暮れるリベラルが本気で沖縄差別の解消を求めているか疑問視されるのは当然の帰結。
3年前の記事だけどなかなか興味深い。日本人の気候変動問題への無関心さは科学的リテラシーの欠如ではなく、気候変動対策を行うと、今までの生活の質が下がったり我慢を強いられたりするのではないかという「負担意識」という観念があるからではないか、そこへの忌避感や嫌悪感から一部の人は陰謀論・懐疑論に走るのではないかと著者は推定している。自分の考えもこれにかなり近い。
何故このような認識になるのかというと、環境問題構造やシステムの問題でなく、「一人一人の意識の問題」だと捉えるという、日本独自の良くない観点が関係しているんじゃないか。例えばテレビの番組なんかを見ていると、「地球を守るために何をしますか」という質問に対して多くの人が、「マイバッグを使う」「食べ物を残さない」などと回答している。つまり個人の問題に矮小化している。だからこそ、環境保護のためには自分の生活を変えなければならない→なんか面倒くさそうという認識になるのではないか。
なぜ日本人は気候変動問題に無関心なのか?
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/83aba01a3b3e7aca73735384bcffc15afd8935d4
20↑🏳️🌈🏳️⚧️トランスジェンダーでノンバイナリー。Aジェンダー。ゼノアイデンティティ。クィア。🟨⬜🟪⬛お絵描きが好き。うつ病持ち。
種差別反対。全ての差別、搾取、暴力に反対できるように。