インド出身の亀田製菓の社長の「日本が今後生き残るために海外からの人材の受け入れを積極的に行っていくべき(要約」って発言に、ここ数日、Twitterの回がルーツのアジア人へのヘイトが凄くてうんざりしてたけど。
興味見かけた「インド人が日本を語るな(件の社長はインド出身であって日本国籍だけど)日本から出ていけ」系の発信に対して。
鎌倉や奈良の大仏もインド人やで…ってつっこんでるのは「たしかにねw」って思っちゃった。
(厳密にはインド人じゃないって注釈書いてる人もいたけど)
うちの集落で、過去帳で遡ることが出来る一番古い御先祖さんというのが、去年300回忌の法要を営まれた人なんです。
https://kotobaphil-mtdn.eu/users/softark/statuses/111165655374713357
そのころに、全ての人がどこかのお寺に所属して御先祖を祀る、という檀家制度が農村において確立されたんだね。「家」制度(家父長制)の確立、葬式仏教とお祭り神道を中核とする日本的共同体的家制度的宗教の確立と言って良いかも知れない。(用語はテキトーです)
自然発生的なものじゃないですよ。徳川幕府の政策によってそうなった。そのことはももしきや?さんが言っている。
https://mastodon-japan.net/@100/111165584369853770
この政策は大いに成果を挙げたと言って良いでしょう。なかなか良く出来ていて手強いということは認めなければならないと思う。 [参照]
「日本の伝統」と呼ばれているものでも、詳細に跡をたどってみると、明治時代に始ったものが結構多い。特に神道に関連する「伝統」は政策的・意図的に再創造されている。
うちの集落にある神社は、名前を「五霊神社」と言って、五柱の神を祀るものなんです。それぞれ「うんたらのみこと」とか「かんたらのおおかみ」とか(テキトーです)名前が付いていて、へー、と感心したら、村の爺さんから「けっ、そんなもん、明治の初めに東京から来た学者が適当に付けた名前や。それぐらい知っとけ」と嗤われました。高校生ぐらいの時だったかな。
じゃあ、その前は、というと、これもせいぜいのところ、江戸時代中期ぐらいまでしか遡れない。
一昨年と昨年、村で京都府立大学文学部歴史学科のフィールド・ワークが実施されて、神社の建築の様式とか、いろいろと調べてくれた。近隣の神社のそれとの比較も含めて、非常に面白かったのだけれど、一言で感想を言うと「なーんだ、その頃の流行に合わせて、これがかっこ良いと思ってそうした訳だ」です。
『刑務所ごはん』が今をときめく週刊文春で紹介されました🍚
あっさりとした紹介だけど嬉しい。
刑務所の食事情は愕然とするほどのひどさ。この本を作るに際しては受刑者たち(大半が長期)の肉筆の手紙を数百通も読みまくったのだが、その間はさすがに、いろんな意味で気分が落ち込んだ。犯罪もひどいし食事もひどい。犯罪を生み出す社会もひどい。どこの国でもそうなのだろうが、刑務所そのものもひどい。ひどい本ばかりの本です(笑)
あと誠品書店日本橋も誠品選書として取り上げてくれていた🍚 謝謝
ポン酢で鶏つみれ鍋食べてるけどめちゃくちゃ美味しい!TLで聞いたことのあるポン酢はお高くて手が出なかったけど、これもだいぶ美味しい!
聖護院かぶらのもみじおろしぽん酢
https://www.somi.co.jp/product/vinegar/momizioroshi-ponzu/
なんとびっくり。世界一大きいパレスチナのポスターコレクションは東京にあるのですって!PLOのオフィスが東京にあったので、そこから譲り受けたもののようです。杉並区高円寺北3-1-2にあるSUBストアというカフェで保管されているそうです。カフェのご主人はジャカルタ出身のムスリムのかたで、ポスターを保存し、デジタル化なさったそうです。次回に東京では絶対に行ってみたい!
https://substack.com/@ameer/note/c-79226640?r=1s6ohy&utm_medium=ios&utm_source=notes-share-action
エアリパー。
わたしはここにいるよ。she/her
野良の古物商₹˝ャʓ。民芸、古道具、古美術、骨董、面白ければ何でも好き。前世は狸。
自由に発言します。そもそもの性格が微悪です。基本フォロー返しはしておりません。フォローもリムーブもご自由にどうぞ。