パレスチナでとうとう生きた人間をブービートラップの盾にしているという記事を見て、毎日毎日ひどいのによくぞここまで手を尽くして非道を尽くせると思う。
パレスチナの人を非人間化して正当化しているけど、それはネタニヤフやイスラエル軍・政府がどんどん非人間化することでしかない。それを支持する人たちも。もう本当に怖い。
https://www.haaretz.com/israel-news/2024-08-13/ty-article-magazine/.premium/idf-uses-gazan-civilians-as-human-shields-to-inspect-potentially-booby-trapped-tunnels/00000191-4c84-d7fd-a7f5-7db6b99e0000?utm_source=App_Share&utm_medium=iOS_Native
https://www.asahi.com/articles/ASS8F0GWLS8FUTIL008M.html
今回の騒動で最重要記事だと思う。井谷さんはもちろん、インタビュアーの方も問題をよく理解された上でインタビューしているのが伝わってくる。
専門家でも何でもない、単に"一家言ある"だけのヘイターを連れてくるんじゃなく(ましてそれで雑誌まで作ってしまうんじゃなく)、こういうレベルの報道や論考がもっと必要。
環境正義/気候正義を理解していない人が環境正義/気候正義のことを書くと、こういう論調の記事になりますね。いかにも日本ぽい。⇒ 気候革命:「気候変動で失われる命がある」 若者たちが選んだ新しいアクション https://mainichi.jp/articles/20240812/k00/00m/040/145000c #環境正義 #気候変動
被害者が経済的に困窮させられるのに加害者はのうのうと生きてる事にはらわたが煮えくりかえる
明日朝まで無料↓
かさむ治療費、仕事にも戻れず 性暴力の被害者が直面するお金の問題
https://digital.asahi.com/articles/ASS793FKPS79OXIE009M.html?ptoken=01J56Z6VTDV33N9RJA3GB59P72
(あまり内容に関係ない前置き)
誰もがその人の人生をそれぞれやってるんだなと、当たり前のことについて改めて思うってことが、以前より多くなった。「人生はバトルなんかじゃないと常に思って生きていたいが、バトルにならざるを得ない状況もたくさんある」ということについても。
・経緯
2013年に、生まれて初めて乗った飛行機でドイツのベルリンに1か月滞在して、それから1~3か月の滞在を数回した(シェンゲンビザで)。2018年、住民になって、これを書いている時点で6年2か月経過した。フリーランス・芸術家のカテゴリで何回か滞在許可を更新した。大変色んな人のお世話になってしまった。いつも、自分のように勝手で雑な人間に助けをくれたことを数えている。
・雑感
2018年までと違って、住民になってからは毎日やることが多かった。今までの人生が暇だっただけかも。母親にも父親にも、6年間でそれぞれ1度ぐらいしか連絡できていない気がする。ほとんどの日は8時間寝ているので「そういう忙しさ」じゃないけど、逆に言えば、万全じゃないと乗り越えにくい日々が続いてる感じがある。これも、単に今まで自分がそういう状態になったことが無かっただけで、あんまり移住とは無関係かもしれない。でも、たぶん純粋な移住というのはあんまり無くて、どんな人でもその人の持つ固有のテーマと連動して移住が動いていくと感じる。自分の場合は挑戦や加齢などがテーマとしてあったような気がする(後述)。
・学校と漫画
移住して9か月ぐらい語学学校に通った。お金が無い状態で移住してしまったので、すごく安いところに週5で通った。働きながら通学してる人が多くて、健康第一を呼びかけあっていた。「忙しくて宿題ができないことは分かる」とか「軽食をとりながら授業を受けても大丈夫だ」とか、あえて先生がみんなに言ってくれたのが印象に残っている。自主制作の漫画をやっていく予定だったが、声をかけてもらって「ベルリンうわの空」の連載が始まった。「うわの空」は最初、アプリ内の小さな連載(ページ数も少なかった)だったけど、予想外に展開して、移住生活だけでなく人生の計画をずいぶん変えた。
・パンデミックと侵攻
学校が終わって半年後の2020年の3月初め、用事でポーランドに行った帰りの電車の中で、トイレットペーパーの買い貯めの人を見かけた。ロックダウンがあったり、ひどいことも多かった。その2年後にはウクライナ侵攻が始まって、距離が近いので核兵器対策の話も多く見聞きした。特にパンデミックは、語学学校が終わった状態でなかったら、なるべく早いタイミングで帰国していたと思う。パンデミックや、世界中で続く滅茶苦茶な武力行使も、引き続き色んな状況を派生させている。これら2つももちろん、移住生活だけでなく人生の計画をずいぶん変えている。
・挑戦や加齢
移住の目的は色々あったけど、とにかく挑戦してみて、滞在許可が下りなかったりお金が無くなったり体調がダメになったら、中断しようと思っていた。大したことじゃなくても、自分で挑戦だと思えることをできたのが良かった。色んな人の助けやインターネットが無かったら、何か他の挑戦をしていたと思う。体が元気なうちに、という気持ちもあった。実際、30代が終わって、色々だいぶ変わった。初めて来た2013年に31歳だったのが、今42歳だ。
・この6年間
この6年間は、本当に目まぐるしく色々あった。こうやってまとまった文章を書いて一区切りつけておきたい程度には、色々あった。特にパンデミックと侵攻も重なったことで、色んな思いや考えが改まったり、明確になった。大人たちがこれだけいて、こういう状況をこういう風に作っていくんだな、という感じ。物理法則や自然・動物という大前提があって、こんな人類やこんな文明がある。この人類やこの文明が前提にあって、こんな自分が生活している。そういうことについて自分なりに考えて、見たり読んだりしてくれる人に向けて作るのが、引き続き自分がこの人類やこの文明と関わるメインの部分になる感じかと思う。
たぶん火の鳥に出てきたんだけど、確か古代エジプトが舞台で、奴隷が仕事が終わったあとに勉強してるのを見つかって家族共々拷問に遭うシーンがあった。体制側が知恵を付けた奴隷を嫌いなのは今も昔も変わらないんだなと思った。みんな勉強しよう!
若者と仕事感が違いすぎて心配になる。
効果がわかってるからやるんじゃないぞ仕事は。
時間は否応なく経過してその中で可能性は40%になったり60%になったりする。でもそれ自体可能性でしかなくて残るのは結果だけだ。予測はあくまでも予測。
その結果だってたかだかKPI達成率に過ぎなくてそれを元に時間は過ぎていき刻々と次の結果が出続けるんだよ。
仮に非西洋の器物が西洋によって芸術品の地位に格上げされたとしても、それは、その器物を生産した人物を芸術家として認知し、その制作プロセスを芸術作品の制作として認知することを必ずしも意味しなかったのである。プライス(Price 1989)によれば、「未開芸術」の収集家にとっては、作者が匿名であること、つまり、作者が芸術家と自認(自任)していないことが、その作品の価値を増す。また彼女は、収集家が自らの作業を「便器に対するデュシャンの作業」に類したものとみなしているとも指摘する。要するに、非西洋の制作者の意図などどうでもよく、芸術として発見する西洋の創造的な眼だけが重要だとされてきたのである。
まるっきり柳宗悦だった。
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙