兵庫県知事選挙は、「話題の中心が斎藤元彦」になったことも斎藤氏が勝った要因の一つだと思います。「斎藤元彦アリかナシか」という構図なら、「斎藤さんは何と戦っているのか」という情報を流通させることにより、「斎藤さん悪くない」「斎藤さんいい人」「むしろ悪いのは向こう」と思わせて勝つことができます。
稲村さんを勝たせたいはずの人たちの発信において、稲村さんの影が薄くなってしまっていなかったか振り返りが必要でしょう。反斎藤のメッセージに稲村さんのハッシュタグをつけるだけでは稲村さんの宣伝として効果的ではありません。
稲村さんは何と戦ってきたのかなど、稲村さんを強く肯定的に印象付ける発信、稲村さん良いなと思ってもらえる発信をもう少し分厚くできたらよかったなと反省しています。
“ガーディアンは「BLACKPINKの曲が英国チャート40位内に8曲も入ったにもかかわらず、いまだに一部では同グループが英国フェスティバルの大きな舞台に上がったことに驚いている」”
でも結局前の記事には名前が出てこなかったYGの #BLACKPINK なんだよトップランナーは。
英紙「K-POPガールズグループが英国を征服…若い女性たちを引きつける連帯感」 : 文化 : ハンギョレ新聞 https://japan.hani.co.kr/arti/culture/47685.html
英米圏で現地化したK-POPグループ、順調なスタート…残された課題は
https://japan.hani.co.kr/arti/culture/51648.html
国民民主党や今回の兵庫県知事戦の流れを既得権益や「既存エスタブリッシュメント」への反発という文脈から解釈する流れが多いのですが、背景にあるのは、社会構造の劇的な変化(グローバリズムの進展による格差化、産業構造の変化、移民など)による相対的剥奪感に加えて、パンデミック以降のインフレなどによる生活苦が乗っかった形で、既存の政治勢力への反発は、あくまで背景要因のぶつけ先がそこになっているだけ、と考える方が妥当だと思います。
一次要因の社会構造の変化に対して、対策を打ち出せない既存統治システムへの怒りが噴出していることが原因とするならば、対策として、言論によって包摂するのはほぼ意味がなく、一次要因への対策になります。
しかし、これは大きな社会構造の変化にともなうものですから、実効的な対策をとるのは非常に難しく、ほぼ誰にとっても無理ゲーである、とも思います。
要するに、当座、打つ手はない、と思うのですが、ここで問題を「言論」にあるとみなして、左派リベラルがー、と言い出すのは、言論好きの人の趣味の領域でしかなく、現実にはなんら関係がないと思います。
では、泉前明石市長が稲村前尼崎市長を支持できるかと言えば、稲村氏は維新顔負けの政策を尼崎市長時代にずっとやってきた人で、子ども医療費の無料化拒否、公立学校の統廃合、市役所の窓口業務のパソナへの委託など住民向けの行政サービスを次々に削り公務員の非正規化を進めてきたような人で和泉市長が絶対にやらなかったと公言していることを数多くやってきた人なので、これは何があっても稲村氏を応援できるはずがない。
いろんなことが重なっての今回の選挙結果だったのかなというのが私の分析。次こそは稲村氏ではない住民ことを考えて仕事をしてくれるような人が誰か立候補して当選することを期待して、まずは文書問題についての百条委員会、第三者委員会での調査をしっかりおこなってもらい、選挙中の刑事犯罪についてはしっかり捜査してもらい、斎藤元彦新兵庫県知事にはできるだけ早く二度目の不信任が出されることを期待している。
例えば1980〜90年代ぐらいまでは、漫画本やロックのレコードを自主制作&自主流通するようなことも、大資本に占有されたインフラ状況へのカウンターパンチになり得た。しかしプラットフォーム資本主義以降は、インディレベルで既存インフラに対するカウンターを仕掛けることが、とても難しい。
どんなアクションも、大資本が用意するプラットフォーム上のいち商品としてしか成立し得ない。インフラレベルでカウンターを仕掛けること・既存状況を否定することの難易度が、果てしなく上がっていく。表現のレベルでカウンターであっても、インフラのレベルでは大資本の論理を飲むしかなくなっている。
スケールすることこそが正義という感覚は、ビジネスのレベルだけでなく文化表現のレベルにおいても、この10年ほどで深く再強化されたと思う。自立性や個人主義的思考は、どんどん蔑ろにされていっている。
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙