子「浦島太郎読んで」
親「昔々あるところに……」
子「もっとフォークト=カンプフ検査っぽく」
親「君は海辺にいる。砂浜を歩いていて、ふと波打ち際に目を遣ると……」
子「どこの砂浜?」
親「どこの砂浜だって違いはない……これはお話なんだから」
子「だけど、なんで僕はそんなとこにいるの?」
親「人生に飽きたか、自分で望んだか、どうだっていい……で、波打ち際に行くと、ウミガメがいる。そいつは子供たちにいじめられていて……」
子「ウミガメ? 何だそれ?」
親「カメは知ってるだろう?」
子「もちろん」
親「同じようなやつだよ」
子「でも見たことないよ、いや、言いたいことは分かった」
親「君は近づいて、そのカメを助けようとする」
子「パパがその質問を作ったの? それとも、その本に載ってるの?」
親「君はカメを逃がしてやるよう言ったが、子供たちはいじめるのをやめない。そこで君はカメを助け、海へ逃がしてやった」
子「どういう意味? 僕は助けるの?」
親「言っただろ、君は助けるんだ!助けるのは何故だ?」
内部通報制度がザル運用で告発者が首を吊るケースが出てるのを「仏作って魂入れず」と表現しているトゥートを見たんだけど、残念な事に現実はずっと悪くて、制度を作った人間に必要だったことは民主主義国家としての体裁を整えることだけだったので、実際の運用が告発者を保護しないことは、制度設計者・運用者の思惑通りなんだろうと考えられるんだよね。
だって連中は
「内部告発する様な人間は「大きな目で見れば」社会に有害であるから罰されるべきだ」
位の気持ちでいるもの。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ。それも嫌なら・・・」
ネット右翼諸氏の愛用する台詞みたいだが、攻殻機動隊を読んだことが無いので「そういう政治思想が下敷きの作品なのね」と思ってたんだけど、どうもそういう訳ではないみたいね。
スポーツ産業と、競技スポーツと、楽しみやヘルスケアとしての運動を出来るだけ別けて考える必要があると思っている。
例えばトランス女性のスポーツ参加で話題に上るのはいつも国際大会やプロの話だけど、米国ではそのような論調を利用して学生スポーツに大きな影響が出ている。子どもたちが学校や地域のクラブで運動を楽しんだり、競技スポーツを通して交流するような道を絶たれている現実がある。
あるいはオリンピックに異常なまでの予算をかけ社会に負担を強いる一方で、障害者などのマイノリティや貧困層が運動をするための障壁は物理的にも社会的にも以前として大きい。
本来、権利として保証されるべきは健康維持や余暇としての運動や競技スポーツで、スポーツ産業はそれこそ"自己責任"でやるべき範疇のものだが、現実の支援策は優先順位が逆転している。
そして競技スポーツ=スポーツ産業の対象となるような階層の競技スポーツだと思い込まされているために議論が不足しているように思う。
@mellifluousbox ついに実生活でマストドンの人々に会えて。マストドン財団の@mellifluousbox CFOが東京オフィスを訪問します。
分散型ソーシャルネットワークの将来について議論しました。Threads、分散型ストレージ、暗号化、イーサリアムなど。私たちは、ますます多くの人々が分散型ソーシャルネットワークに移行すると信じています。🐘🐘
Pawooが怪しくなってきたので、避難所的にこちらにアカウントを取らせてもらいました。
PIXIVでは駄文書きをしてます。(かなり不定期に)
https://www.pixiv.net/users/2217356