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少なくない数のブクマカが

「明示的に許諾された二次創作作品以外は全て不法な存在であり、公開を絶対に自粛、乃至は公権力によって禁じられるべき」

と考えているのが伺えてゲッソリしている。

フリーレンの同人がFANZAで取り扱いNGになった件、理由が推察されているが二次創作は権利者がダメと言ったら理由も聞かずに辞めるのが大事
b.hatena.ne.jp/entry/s/togette

カリフォルニアの"San Jose"はサンノゼである! って日本人多いんだけど、辞書でも発音記号は sæn hoʊˈzeɪ だし、ググって発音をあれこれ聞いても、ほとんどは「サンホゥゼイ」って言ってるんだよな。
wikipediaのノートには「サンホゼと言うのはスパニッシュ系だけ。英語話者は全部サンノゼと発音する」みたいな与太を自信たっぷりに断言してる奴もいて、まあwikipediaなのでしょうがないんだけど、同じノートで「そこに住んでるけどサンノゼって発音する奴見たことないが?」と突っ込まれてた。
でもまあ、海外特派員経験者も多いはずのマスコミでも「サンノゼ」なのは一体どういうことなんだろうと長年疑問に思っている。

とあるSNSにはBANがない。

その代わりに「地獄」と呼ばれる閉じたTLにアクセスできるグループに落とされる。

地獄に落ちた者は地上のTLを見ることだけは出来る。
地獄のTLは地上(ノーマルなTL)の引用はできるがリプライは出来ない。
Twitterの引用リツイートみたいな事も出来ない。

地獄のTLは地上のTLから切り離されており、地獄に落ちた者しか見ることが出来ない。
地獄に落ちた者から地上の者にメッセージや通知を送ることは出来ず、逆もまた出来ない。
地獄のTLを複アカを使って地上のTLにコピペした場合、書き込みは直ちに削除され、複アカも同時に地獄に落ちる。

みたいなサービスないかな?w

どんなに馬鹿でも、どんなに心の卑しい人間でも「堂々と匿名で下劣な事が書ける」ってのがネット社会だけど、これは「望ましくないのでバランスをとる」事よりも、腐った連中の下劣さに耐えて自由を守るべきだって思うのである。

とあるゲーム情報サイトみてたんだけど、インタビューしてる記事はほぼ広告企画で、基本的にコタツ記事に特化したサイトみたいね。

公式サイト情報や公式関係者のSNS情報、一般ユーザーのSNS書き込み、記者の考察(往々にして妄想)でほとんどが出来ていて、つまりPC(もしかするとスマホ)の前から動かずに仕事が完結すると思われる。

これでちゃんと稼げるなら取材なんかに出かけるはずがなく、既存のマスコミ屋もじきに同じ様な体制になっていきそうな気がする。

そういう意味では積極的に取材や「お外の企画」をやってるデイリーポータルZって、かなり昔気質なのではないかって言う気がするが、多分気のせいだと思うw

「命の電話」の番号だけ取ってつけたように足しておけば自殺報道はOK! みたいなニュースばかりになってきたな。

まあマスコミ屋は自殺報道ガイドラインを守りたくないので形骸化するだろうし、そもそも自殺者が増えることもあまり気にしてなかろうなと。
(無論、形式的には「重大な問題ですね」とか言う)

政府による自殺予防の手引きって、本当に顧みられていないのな。

mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite

ジャーナリズムというのは民主主義社会にとって絶対に必要な存在で大事であるが、本質的に下劣で因業な商売で、そうでなくなると社会的使命を果たせないという難儀な商売だなといつも思う。

俺が最初に買ったPCってMacSEだったんだけど、system7が出る頃にはそういうAppleの支配欲やS.Jobsのクソ野郎っぷりが大嫌いになり「MSの方がだいぶマシだわ」ってなってDOS/Vや98に切り替えたんだったな。

Appleって、大昔にMacのCMでIBMをビッグブラザーに擬えてDisった過去があるんだけど、どう考えてもビッグブラザーはAppleで、IBMはせいぜいゴールドスタイン位だよなと思う。

もちろんAppleは1984年のオセアニア政府よりも、ある意味で民主的で洗練された支配を実現していて、賢明で寛大な君主-Appleが臣民の安全と幸福を保証してくださるための支配、って体であり、実際にそれを受け入れているマカーが大勢いる。

岩波ブックレットの「ナチスは良い事もしたのか」に対して

「この本と同じ「オリジナルじゃないから悪」「目的が悪だから悪」というルール」

みたいなブコメを目にして思ったのは

「元々リベサヨが嫌いで、それが批判しているナチズムに対しても、その悪は理解できているつもりになっているが、リベサヨ批判のためには『良い所もたくさんあった。リベサヨは思考が浅くてダメだ』とやっつけてやりたい願望が強い連中」
と言うのが本当に多いなと云うこと。

具体例を豊富に引いて平易に書かれた良い本なんだけれども、まったく読まずに批判しているのかと疑いたくなる 「オリジナルじゃないから悪」「目的が悪だから悪」 みたいな読み方をする人間に対する啓蒙としては、残念ながら無駄な努力に終わったと思うし、そういう連中はこれからも

「ナチスには良い所もいっぱいあった。 全面的否定をする奴等は近視眼的。 俺は賢いからそういう所もわかってる。 これって清濁併せ呑むってやつ?」

みたいな連中は減らないんだろうなと思う。

言葉を巧みに操る高学歴で知性の高い差別者だと、自分の言論は「一見差別に見えるが本当はそうではなく」むしろ批判者の言辞が「本当の意味での差別である」みたいな話もできる。

差別者の言辞には二種類あり、むき出しの憎悪や嫌悪を工夫なく叩きつける種類のもので、多くがヘイトスピーチに分類できるもの。

もう一つは、ヘイトスピーチであると端的に示せる言葉やアイデアは避けるが、文脈自体としては差別思想の肯定であるもので、形式的な民主主義思想は内面化されているので「差別は許されませーん」くらいの事は言う差別者の差別的言辞は、大体はこの形をとる。

「減価する貨幣」って要するに制度組み込みのインフレだろと思ったのだけれど、似ているが違うらしい。

つまり、減価する貨幣(ある種の地域通貨とか)で給料をもらった時、その地域通貨はもらった時点では額面通りの価値を持っているけれど、インフレで価値を減らした法定通貨の場合は、もらった時点でインフレ分の価値が減ってしまっている。

まあこれは賃金が毎月インフレ・デフレの修正を受けて上下する会社に勤めているのであれば、一定の価値の給与をもらえるはずだけど、そういう会社は滅多に無いのでw

ジャーナリズムに関して期待していること。

「ジャーナリストは下劣でなければ生きていけない。されど誠実でなければ仕事を続ける資格がない」

「ジャーナリストの敵はジャーナリスト」

福祉、とりわけ生活保護の存在理由って、自分の住む社会がどの様であって欲しいかという理念の反映だと思っている。

どんなに褒める所の無い人間であっても、その結果として惨めにのたれ死ぬことを残念に思い、可能性には期待できなくても再起を願って生活の保護をする社会であって欲しいと思うから、生活保護制度があるのだろうと思う。

翻って、その生活保護制度に対して強い否定的感情を持ち、制度の存続に疑問を呈したり実際の運用を不当に厳しくすることで、実質的に保護をしないというやり方を支持する人間が多い日本という祖国について、暗い気持ちを抱かざるを得ない。

災害時における自助・共助・公助というのは、発災直後に必要な自助、発災後から行政の援助=公助が入るまでを繋ぐ共助、最後に公助の順番で機能するので、どれ一つ欠けてもいけないものなんだけれど、自助共助を強調すると行政の無責任をいきなり言い出したり、公助の充実を主張する人をフリーライダー呼ばわりして叩く連中がいるが、どちらも有害な存在だと思っている。

自助と共助に関しても、その組織化や啓蒙、資材準備の補助などについては行政の責任が大きく、広い意味においては自助共助も間接的には公助の一部に含まれる面があるが、行政による啓蒙などまで責任逃れとみなして攻撃するやり方は、人民の損害しか生まないだろう。 そうすることで政治的得点を得る連中もいるのだろうが。

大阪のF1の件、例によって維新が後ろにいる感じなんだが、地理的に鈴鹿とかち合う感じもあるし万博は文句言われても気にせず開催するんだろうしで、反対が強くなって流れるんじゃねえのと思うんだけど、そうなったらなったで維新としては「これも何でも反対の左翼の妨害。だから日本の閉塞感が云々」とか言い出すことで実利がとれそう、とか考えてそうだよなw

まあ、ブレイバーンのキモさはそれだけじゃないと云う気はするがw

「淘汰する」って物言いはアレだよな「無能を殺して取り除く」の婉曲表現なんだよな。
まあ全然婉曲じゃないと云う気もするけどな。

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