この数日間、我が家におうちカラオケブームが来たことにより、自分の歌声としみじみ向き合っていわけですが、どうしたら歌ってうまくなるんですかね。
採点機能によるといつもだいたい平均点くらいで、なんとも面白みのない結果ばかり。
採点機能で100点取ればすなわち歌がうまいとは言い切れないかもしれないけど、平均点程度(80点台後半)というのは決してうまくはない…どちらかといえばヘタクソ寄りなのは厳然たる事実であって。
しゃくりとかこぶしとかビブラートとかどうすればいいのかよくわからないよ〜。
やったつもりもないのに勝手にカウントされてたり、意識しても全然判定してもらえなかったりする。
自分の発声が平板なのはわかる。
いかにも素人がカラオケで歌っていますよという典型的な歌声。
ボイトレ系のYouTubeとか見てみても、頭ではわかっても実際にどうすればいいのかはいまいちピンと来ず。
練習してうまくなるものならうまくなってみたいんですが。
いっそレッスンでも受けに行こうかしら。
ちなみにうちは家族全員こんな感じで歌のうまい人がひとりもおりません。
ナチュラルに歌がうまい人って何がどうなってんだろうな。
うらやましい限りです。
Twitterはクソ、とはいうけれど、メインとは別にダイエット用に作ったアカウントのタイムラインは、食べたものや運動の報告、励まし、おすすめのエクササイズ動画、間違ったダイエット方法に対する注意喚起などで構成されており、まったくもっておだやかでやさしい世界なのであった。
昨年の春頃から、軽い運動を少しと、夜はしっかり湯船に浸かるのと、なるべく6時間以上はまとまって寝る、というのを習慣にしたら、メンタルが安定して生きる気力が20%増しくらいになりました。
夜中に目が覚めちゃうのも、気力が乏しくなるのも、加齢だから仕方ないわネーと思っていたのが、少しだけ巻き戻った感じ。
以前は献血しようと思っても、事前検査でヘモグロビン不足と出てお断りされることがたまにあったけど、生活を変えてからはそれがまったくなくなりました。
ところが今年に入って夜更かしグセが出てきた途端、昼間に使いものにならず、メンタルも下がり気味になってしまったので、やはり規則正しい生活は大切ということを実感。
体力や英気は養っておくに限りますね。
ごく当たり前のことなんだけど改めて身にしみたわ……。
作り方はこの動画を参照しました。
YouTubeのおすすめ動画に上がってきて、簡単でおいしそうだったので。
できたてを試食した次女も「めっちゃうまい!」と親指立てて、ごきげんでした。
焼きおにぎりを自分で初めて作ってみた。
ご飯が炊けるときも、おにぎりを焼いているときもいい匂いがして、なかなか幸せな作業だった。
これらをラップでくるんで冷凍しておけば、いつでも焼きおにぎりが食べられる。
なんて心強いんだ。
市販の冷凍焼きおにぎりもおいしくて便利だけど、1個が小さいし値段も高いしゴミが出るから、自分で作っちゃったほうがいいね。
今後も定期的に作っていこうと思う。
SNSで可視化された何か、で私の中で印象深かったのはコロナ禍の初期。
政府が布マスク2枚配布とか言い出して「ハァァァァ????」となっていたときに
「マスク二枚給付、無駄なく現金給付を行うための布石という説を聞いてなるほどと思った。振込口座を提出してもらうより、マスクを受け取った「ちゃんと人がいる」住所に改めて現金給付を行う、そうでないと大量の金がどこかに消えてしまうからだと。それが本当ならすごい発想だと思う。」
というツイートがバズっていたことで、「それが本当なら」と留保してはいるものの、何がなるほどなんだよ馬鹿かよ秒でありえないとわかるだろがよ、という内容なのに、数万単位でそれにいいねをつける人たちがいたというのはなかなかの衝撃でした。
ものを1ミリも考えない人がこんなにもおるんや…知りたくなかった…と心底思った記憶。
あの話をなるほどと思うのも、わざわざツイートするのも、それにいいねをつけるもの、ツイート主がバズったことに乗じて自著の宣伝をぶらさげるのも全部、心の動きが全然わからなくて怖かった。
私この話、何度もしてるんだけどさ、本当にいま考えても全然わからんのよ。マジで。
どうしたらそこまでものを考えないことがありうるんだろうって、ずっと不思議なまんま。
もしSNSがない時代を生きてたらどうしてたんだろうな。
個人的に使用を控えたところで、世の中の方が商品のヒットや世論の形成なんかですでにSNSありきになってるから、何の影響も受けずに生きることは難しいよね。
どんなアレな人でも、等しいフォーマットでたいしたコストをかけずに発言できるSNSの仕組みがもたらしたことの影響は、良くも悪くもすごいことだ。
クソもミソも見かけ上は同じフォーマットに乗っかるので、必要以上に同等に扱われる中で、情報に飲まれないでいるのって大変。
人は意外と文章を読めていない。読んでいてもきちんと理解できているかどうかは別。目立つ言葉を拾って勝手に脳内で書かれていないことを組み上げて理解したことにしちゃう人、すごく多い。
どんなにクソみたいな(発言者本人ですら信じていないような)意見でも、なぜか一定数は肯定する人がわいてくる。
誤解の間を埋めるのは対話しかないけど、高いスキルと膨大なコストと最低限の誠実さが必要で、SNS上で衆人環視の中、そこまでやれる人はなかなかいないわけで。
こういう世の中では、どこかにひとつ安心して対話ができる場を確保しておくことが重要な気がします。
コミュニケーションと似て非なるSNSの党派性ゲームに飲まれて人間不信になるのはあまりに不幸すぎるので。
14歳と12歳の姉妹のカーチャンにして偏屈な中年。キョロキョロしながらいろいろなかたをフォローさせていただいております。