スーパー医療マンガ『K2』が一挙45巻分を無料公開。最新刊46巻の発売&シリーズ通算100巻達成を記念したもので、期間は2024年1月8日までを予定している
https://news.denfaminicogamer.jp/news/231221h
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埼玉の新興住宅地で生まれ育ち、東京にも地方にも特に強い愛憎は感じない中年ことわたくし。
いま話題の鳥トマト先生のマンガを消費する気マンマンで読んだけど、この展開だったら一番の肝であろう「対決と逆転」のフェーズがあまりにも弱くて残念…という感想でした。
東京と地方の対比はテーマでなくフレイバーでしかないと思うので、あんまりそのへんを云々してもなあ…という感じ。
家族から受ける抑圧や、東京者の彼氏の屈託のない感想とは裏腹にしんどい思い出ばかり出てくる描写はうまいし、そこらへんがフックになって多くの人の感情を刺激してると思うんだけど、逆にいえばそこだけ切り取れば用は足りちゃいそうなところがな〜。
あの流れでなんで「この人ならずっと一緒にいられそうだ」になるのかよくわからないんだよね。そのへんの心の動きが肝心なところなのになんかテキトーに見えて、いまいちピンと来ない。
鳥トマト先生のマンガ、ネット受けしそうな味付けが濃いめだから話題になりやすいけど、肝心なところがボヤけてて肩透かしな印象があるなあ。
そういう場所だと自分をコンテンツ化することにも自覚的でないと、とんでもなく喰らっちゃったりするし、ウケるのは「生身っぽさを出しながらほどよくパッケージ化されたコンテンツ」だったりもするから、まあ、難しいよね。
自覚的でうまくやってるつもりでもど下手クソな人だっているし…。
こっちはコンテンツのつもりでやってるんだから生身を出してこないで!みたいのもあるしねえ。「FF外から失礼します」がウザがられるのもそうなんじゃないかな。あれを言わずにいられないのって多少なりとも人間扱いしてくれてるってことでは?って気がするんだけど。まあ、よく知らん人といちいち生身の人として接するのは面倒ではある…人間扱いしてくれる人が「面白い人(SNSゲームのプレイヤーとして)」とは限らないし…。
そういう、生身/コンテンツの匙加減って人にやって無意識に使い分けられてるものだから、どうしたって齟齬は生まれるし、気を使わない方が楽だから、どんどん雑になっていくのは当然の流れっぽいんだよな。
短文投稿系SNSは、ある程度パッケージングしたコンテンツのつもりで発信している場合と、コミュニケーションのつもりで生身の自分を発信している場合があって、その両者は厳密には切り分けられないとはいえ、「他人をコンテンツとして扱う」ことに対して雑で無神経な人ほどバズりやすくて人気者に見えちゃう構造がいろんなキモさを生んでるよな〜と思います。
何かの意見を引用するとき、対話を目的をしてる人ほとんどいないもんね。自分のギャラリーに対してのアピールにしか使われてない。
それで強めでキャッチーなフレーズが出てくるとあっという間に伝播して、それが問題を前景化したり理解させやすくする良い効果もあるんどけど、その反面そのフレーズを使いたいがために引用できるような他人(と書いてコンテンツと読む)を見つけ出して浅い理解で強い言葉をぶつける…みたいな人たちがどうしても出てきてしまう。ギャラリーと同じ意見で盛り上がるのは楽しいですよねわかりますなんだけど、エクストリーム化していくうちにその構造に飲み込まれがちに見えるのが不毛だしおっかないなと。飲み込まれちゃった人、引用先もギャラリーもどっちもコンテンツにしか見えてないっぽいしな。
結局どこのSNSがいいんだい問題、まだ模索中だけどblueskyにいることが多いかなあ。
旧Twitterは本当に厳しくなってきたね。
ちょっとバズった話題のツイートに対するクソリプのつき方が半端ない。
この人無理と思ったのは全部片っ端からブロックしてるけど、それでも無数にわいてくるもんね。
やっぱり収益化できるようになってから気持ち悪さが加速していますよね。
インプレッション目当てのクソツイートも表示したくないし、なんかもう人間のいる場所じゃないな気がしてきました。
mastodonは悪くはないけど今のところリアル友達があんまりきていないので、優先順位がちょっと下がるところがあります。
threadsは動いてる人が少ないので、たまに見に行けば十分追いつけて楽です。
そのかわりあの場所で自分が発信したいことも特にないんだけど。
タイッツーはたまに見るし書くな。いちばん気負わなくていいところではあります。ログボとか所有カードとかよくわかんないけど。
先日のコミティア145で友人と一緒にいしいひさいち『ROCA』原画展を見ていたら記者の方に取材をされまして「埼玉から来た50代女性2人組」としてコメントが載っていました。
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASR9454FZR94UCVL01Y.html?ptoken=01H9QG5TTYH4W8WFNCH1C3R9W9
短文投稿SNSのストックフレーズの応酬にすっかり疲れてしもうたなあ…と最近つくづく。
誰が何を言うかもだいたい予想がついてしまうし、他人の発言を雑に踏み台やダシにした発言でさらに雑な読み方をする人たちの耳目を集めるけど、結局どっかで聞いたような言葉をやり取りしてるだけで対話もなければ思考の深まりもない…というのがエクストリーム化しすぎちゃって、ホント無理になってきた。インターネットの争いを眺めることを好んできたこの好事家をもってしても。
雑…とにかく雑がイヤですね。じっくりじっくり、時間をかけて対話を繰り返して、いろんなことを疑いながら鍛え直して熟成させるような、安心してそういうことのできる場がやっぱりどっかに欲しいなあ。ささいなところで揚げ足取られてばかりではどうにも話が進まない。
なんでも簡単にジャッジを下さないでくれ…それは中立と自称して責任を回避するためではなく…どんなに頑張っったところで全部すくい上げるのは無理だとしても可能な限り取りこぼさない努力をしてから判断をしてくれ…。
そして他人のジャッジをさらに雑にジャッジするのもやめれ…。
真面目に問いを立てて真面目に答えを探そうよ……何が「ハイ論破」だよ、ただの思考停止宣言をありがたがってちゃダメですよ…。
明日(8/25金)もファミマのフラッペが100円引きだよ〜。
ロイヤルミルクティーとかGODIVAのとかヨーグレットとかおいしいのいっぱいあるよ!
店頭のコーヒーマシンを使わなくても自分で🥛注げば作れるから、買い置きして冷凍庫に入れておくのもおすすめだよ〜。
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王様の耳はロバの耳、読んでもモヤるだけなのでスルー推奨🤗
人間万事塞翁が馬……隣の人は何する人ぞ……というビッグイベントが発生して、マジかー、自分まだまだ甘かったなー、と痛感しております。
まあ私自身は傍観者というか、直接何があるって立場ではないのですが……。
でも考えて見れば世の中では結構ありふれた事案なんだよなあ。
おそろしいことです。
くわばらくわばら。
いやー、人ってわからんね。
わからんけど、後になって思い返すと、バチバチ答え合わせできちゃうのが怖いね。
これからどうなるのかなあ。
正直、祭りっぽくなってきている。
祭りにでもしないとやってられん、という感じでもある。
ううーん。
人間って……人間って……。
ハングル検定3級を受けてきたぽよ。
全然勉強してなかったのでもう受けに行かなくてもイイかな〜とまで思ったりもしたけど、とりあえず会場に行ってマークシート埋めてきました。
夕方に公式サイトで正答が発表されるので自己採点。
合格点の60点に4点足りない56点。
思ったより採れてたね!
ていうかあと2問、カンが働いてたら合格だったね!
もうちょい直前の一夜漬け粘ればよかったね!
惜しかった!
……とかいう人がヌルっと受かっちゃっても検定試験の意味がないので、よかったといえましょう。
これなら多少勉強すれば11月には受かるはず。
そもそもが落ちる人の方が少ない試験ですし…。
受験料も安くはないので、真面目にやってさっさとケリをつけたいところです。
そういえばリスニング問題やってるときに地震があって、そのときの問題だけやり直しで計2回流されるというちょびっと有利なアクシデントがありました。
でも自己採点ではその問題、間違ってました。
亀の歩みで韓国語勉強中🐢
目標を定めずにいるとちっとも進まないので、6月のハングル検定試験(3級)を受けることにしました。
しかし昨年6月に4級を受けて受かったはいいけど、そこからなーんも勉強してないので、あと1ヶ月と少しで間に合うのかどうか。
なんなら4級の内容すらだいぶ忘れてきてる。
ヤベー。
と思いながらおそるおそる参考書の模試に手をつけてみたところ、当てずっぽうのまぐれで9割取れてしまいました。
これはよくない、油断して慢心してツメが甘くなって失敗するやつや。
とはいえ、まったく歯が立たないってこともなさそうなので、あと1ヶ月と少し、真面目に頑張ってみようと思います。
(ちなみに3級の合格率は55%くらいなので、受かる人のほうが多いです)
だからあんまり真に受けちゃいけないと思うんですよね。
その言葉に本当の目的なんか乗っかってないんだから。
「こっちを見て」以上の意味なんかないんだから。
それなのに目先のごまかしや言い訳やすっとぼけをいちいち大げさに取り沙汰して、どんどん本質から逸れて、「何かを言いたい」という意志だけが残って、最終的によくわかんないデマに変質してどっかに回収されていく。
すっかり変質しきったそれがまた取り出されるときには「何かを言いたい人にとって都合のいいツール」のひとつに過ぎなくなっていて。
ワー、虚無。すんごい虚無。
恥知らずだけが勝つ仕組み。
真に受けちゃうからこうなるんだよ!!!
……と言うても詮無い話だ。
だってみんなさびしいんだからなー。
さびしい人はやさしいものに惹かれちゃうからなー。
今いちばん人にやさしいものが現実じゃなくてデマだってことだ。
飲めは飲むほど喉が渇く塩水みたいなやさしさよ。
さびしさは正直でしか解消できないのになあ。
そろそろ正直が流行ってもいいと思うんだけどなあ。
でも自分の心に正直になるってめちゃめちゃ高等スキル。
自分は自分にすらウソをつくからね!
(だからデマにだまされる)
せめて建設的に、荒みを見たら、どうしたらここから正直と親切を引き出せるかを考えてみるとしますかね。
Twitterの荒みっぷりがやべーやべー。
最近のあの荒み、なんか個々のトピックにさしたる意味はなくて、みんなそろって「私にやさしくしてよ」「さびしいのはいやだよ」といってるように見えるんですよね。
ずいぶん雑に何か言ってるようで何も言ってない括り方すんじゃねーかって感じだけど、そこまで的外れではないと私は思っています。
私にやさしくしてといえないから攻撃する。
さびしいから党派性に安易にのっかっちゃう。
自分の中の本当に言いたいこと言うべきことを掘るより前に、何か言いたい、これなら言える、って、どっかで見たようなロジックを借りてきて140字映えする強めの言葉で言い散らかして仲間にアピールする、みたいな。
なんだっけ、人がいちばん自信を持って言えるのは人から聞いた話だ的なことをどっかで見た気がするんだけど、まさにそれだなと。
自分の言いたい言葉(それは本当に言いたいことではなはなく、どっかで拾った「言ってみたい言葉」)が映えるシチュエーションを投影して、借り物を自信満々にぶん投げて、本質がないままTwitter構文でイメージ合戦をする。
そんなだからまあ勇み足も多いし、敵は増える一方だし、そもそも無意味なのに、ただめんどくさくてギスギスしてうんざりするようなものだけが残るっていう。
大変だこりゃ。
14歳と12歳の姉妹のカーチャンにして偏屈な中年。キョロキョロしながらいろいろなかたをフォローさせていただいております。