SNSで可視化された何か、で私の中で印象深かったのはコロナ禍の初期。 

政府が布マスク2枚配布とか言い出して「ハァァァァ????」となっていたときに

「マスク二枚給付、無駄なく現金給付を行うための布石という説を聞いてなるほどと思った。振込口座を提出してもらうより、マスクを受け取った「ちゃんと人がいる」住所に改めて現金給付を行う、そうでないと大量の金がどこかに消えてしまうからだと。それが本当ならすごい発想だと思う。」

というツイートがバズっていたことで、「それが本当なら」と留保してはいるものの、何がなるほどなんだよ馬鹿かよ秒でありえないとわかるだろがよ、という内容なのに、数万単位でそれにいいねをつける人たちがいたというのはなかなかの衝撃でした。

ものを1ミリも考えない人がこんなにもおるんや…知りたくなかった…と心底思った記憶。

あの話をなるほどと思うのも、わざわざツイートするのも、それにいいねをつけるもの、ツイート主がバズったことに乗じて自著の宣伝をぶらさげるのも全部、心の動きが全然わからなくて怖かった。

私この話、何度もしてるんだけどさ、本当にいま考えても全然わからんのよ。マジで。
どうしたらそこまでものを考えないことがありうるんだろうって、ずっと不思議なまんま。

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よく考えたらありえないようなことを信じてしまうのはわかるけど、これはよく考えなくてもありえないことなので、まずそれを信じちゃうのが衝撃で。
しかも素直でのんきな人が深く考えずに信じてつぶやいちゃったとかではなく、自分は人より深い考えのできる賢い人間だという自意識をダダ漏れさせてる人のつぶやきだったので。
その自己認識とのギャップに「えっ、この人、どうやって生きてんの???」という超デカい疑問とヤバみを感じてしまい、だから忘れられないんだと思う。

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