人の非を探すのは、誰かから教えられなくてもみんな上手くなる。
聖人の聖は"ひじり"と読む。"非を知る"者だから聖人なのだ。
人の非を知り、しかしなおも人に施す。それもまた仏道なのかも知れない。
誰かを非難するよりも、黙って自分はただ人に貢献する。そこにも安らぎがある。人を非難しても仕方がない。自分の非をこそ、先に知るべきだろう。後は黙々と使命をこなす。

良い事が書いてあるね。釈迦の教えを聞き続けようと立ち上がる必要がある。
人はすぐつけ上がって、またやらかす。釈迦の教えを何度も反芻して忘れないようにした方がいい。

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自業自得とは、自分の運命は自分の行いの結果であることをいう

自分の業は自分を縛る
煩悩からくる悪業のために縛られるのだ
良いことをすれば、当然それが実を結ぶだろう

自分のせいではないと思える不幸なことでも、自分にも甘さがあることで、自業自得な部分がある。
因縁のうちの"因"は自分のことをさす。"縁"はまわりの環境条件のことだ
このうちどちらかでも直したり、不幸が起きる前に察知して挫いていけば、事は起こらない

自分の悪い行いや至らなさと、悪い環境や人間関係が噛み合う時に、因果応報の報いの時が来る

廃悪修善。今この時から行いを変えるべし。善いことをしようと思うべし。

仏教では、心から善いことをしようと思うことを重視する。悪いことはやらないからいい、悪口は言わないからいいではない。心から、悪いことは思わないことが大事だ

無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな
───親鸞聖人

阿弥陀如来様の誓いは、無明の苦しむ人々を救う灯火である
今は苦しみから逃れる智慧がなくても、悲しむことはない

無明とは、真理に明るくないこという
無知も含む

知らないが故に、人は無明だ
無明故に、人は三毒にかかる
真理に反する無明のままであるが故に

知れば無明は晴れていく
無明が小さくなれば、苦しみも小さくなっていくだろう
勉強する意味はここにある

迷ったら仏の教えを思い出せばいい

この迷いは妄想であることが分かるはずだ
妄想から瞋恚(憤怒)している自分を、発見出来るはずだ
その瞋恚は、自分の執着心から来ていることを感じ取れるようになるだろう

何にも執着しないが故に、仏は迷わない
だから、どの仏像も安らかな表情をしている
執着を捨てるというのが、仏教の目標のひとつだ

未だに世の中が幸せにならないのは何故だろうか。

実は、経には人が幸せに生きる方法が書いてある。このタグにもそのつもりで方法を書いていくつもりだ

個人的には、各々の業が悪いから世の中全体が幸せにならないのではと推測している。他者への貢献ではなく、自分の欲望の達成だけを優先するが為に、他者が犠牲になる。だからいつまで経っても世の中が良くならない。我々自らが、この無限地獄を拡げるのに加担しているのではないか。もはや人の心に経は届かないのか

もし人類全員が経の内容をすべて踏まえて遂行したならば、世の中はいくらか幸せになるかも知れない。仏教にはそんな可能性を感じる

まず自分がこれを実践するべきなのだろう

仏教は、自分の行動を変えることを促す
自分は今、三毒をしているな…という自覚を持つだけでも内省の姿勢を取ることが出来る

人は歳を取ると、自分を叱ってくれる人が居なくなる。歳を重ねるにつれて、おのずと心がつけ上がるのだ

仏はその悪心を見逃してはいない
悪業は因果律をもって、必ずあなたに返ってくる。内省した時に、正しい方へ方向転換していく選択をするべし

三毒とは、人間が克服すべき三つの煩悩をいう
貪欲(どんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)の三つだ

貪欲は貪る心
もっと欲しい あの人より欲しい 誰よりも欲しい
あの人にはこうして欲しい 振り向いて欲しい
思ったとおりのことをして欲しい
その為なら誰かが傷ついても構わない

瞋恚は怒りの心
あいつは未来永劫許さない 必ず復讐を果たしてやる 小さなことでも許せない 昔された仕打ち、今も覚えているぞ
戦争してでもやり返す

愚痴は無知の心
あいつ炎上してら こいつ浮気してるらしいな
皆が言ってるならそうだろう
推しが言うんだから間違いない
面白いなら真実はどうでもいい

ひとつでも心当たりがあるのなら、自分は三毒していると心得るべし

仏教は他宗教とは違い、神に祈らない
釈迦は因果の道理を明らかにし、人に行いを変えるように説いた

祈祷や呪術や占いに頼るのではなく、因果にもとづいて自分の業(行い)を変えていけば、運命は開けるだろう

八正道の五、正命

正しい生活をするべし

健全な魂は健全な肉体に宿る

規則正しい生活が出来ているか、今一度省みるべし

八正道の六、正精進

努力するべし

正しい努力が出来ているか?方向性を確認することだ。生きる目的に向かえているか?「生きていてよかった」と、あとで思える努力か?

人身受け難し 今すでに受く
我々は苦しむために生まれてきたのではない

八正道の七、正念

正しい信念を持つべし

生きる目的を常に忘れるな
信念に従って生きるのだ

八正道の八、正定

心をしずめて一つに集中するべし

これまでの八正道を総括せよ
さすれば三学への道は開かれん…

八正道ではまず自分を見つめ、自利につとめよう

八正道の一、正見

物事をありのままに見るべし

諸行無常。変わらぬものはない
また、因果の道理は自分のしたことをそのまま示す。これもありのままに見据えるのだ

八正道の初めにして、これが最も難しい
仏の道は長い… まず自分をありのままに見つめるべし

八正道のニ、正思惟

正しい考え、正しい意志を持つべし

自分の煩悩を発見し、欲や怒りや恨み妬みから離れよ
自身の三毒と向かい合い、認めることで、始めて正しい意志を持つことができる

苦楽共に強い世の中である
極端な考え方では、人生最後までつとまらぬ
中道で考えるべし

八正道の三、正語

正しい言葉を使うべし

四大悪口雑言
綺語 …心にも思ってないお世辞
両舌 …あの人にはこう言う、この人にはこう言う二枚舌
悪口 …SNSでよく流行る誹謗中傷
妄語 …SNSの悪い業者の得意な嘘

優しい言葉を自分が使い、自ら人に温かくするべし

八正道の四、正業

正しい行いをするべし

生き物への無為な殺生
少しはいいだろうと思って人のものを盗む
欲望のままにまぐわう邪淫

これらをやらないのは当たり前のことだと思うだろうが、人は意識していないと忘れて、悪いことをしてしまう生き物だ

業とは行いのことだ
悪いことはするな

八正道とは、釈迦が最初の説法で説かれた八支分の聖なる道をいう。一切の苦を滅に導く、八の実践項目だ

極端な苦楽を強いられる世の中である
八正道を意識して実践し、まず自利のために中道を進むべし

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