✏️:
先日発売された馬伯庸『両京十五日』1巻には鄭和さんがちらっとだけ登場するのですけれども、そのせいか、ここしばらく気づくとついニコニコしてしまったりして、メンタルの底上げ効果がすごい。自分がハマっている史実(もしくは歴史もの)の人物が別の作品に出るだけでこんなに楽しくなるとは思わなかったし、三国志なんか関連作品がすごい量あるから、毎日ハッピーで健康に良いのではないだろうか。それとも作品数が多いと解釈違いとか多くなって、むしろストレスになったりするのかな。
ちなみに(これは別段ネタバレにはならないと思うので書きますが)、作中で鄭和さん「その人となりは忠直耿介」云々と評されていて、「…それは史実に根拠あるの…???出典があるなら教えてください!!!」になっていたところ、少なくとも「忠直」部分の出典は見つけたので、この喜びを共有させてください…!!朱瞻基(宣徳帝)が多分鄭和の7回目(最後)の航海の前に賜った詩、らしいです。『両京十五日』はその数年前が舞台だから厳密には史実の先取りかもだけど、まあ普通に考えて、そういう評価が確立していたんでしょうね。そうでないとあんな大金の動きまくる事業(しかも皇帝の目の届きにくい)をあんな沢山任せないだろうし…
(後でさんざん語るかもしれません)
自分的に気に入ったのは、インドのジャラタランガムという楽器です。
「水を入れた中国製のどんぶりを棒でたたく楽器」!!!
https://www.geidai.ac.jp/labs/koizumi/asia/jp/india/jalatarangam/000491.html
東京芸大の小泉文夫記念資料室が「アジアの音楽図鑑」という(子供向けの?)サイトを作っていることに気づいた。これはありがたい。(一時、資料室がなくなるような話があった気がするけど、無事存続しているという認識で良いのかしらん?)
https://www.geidai.ac.jp/labs/koizumi/asia/jp/index.html
📙「三宝太監西洋記」読書メモ:
体調が悪い間に馬歓の「瀛涯勝覧」の古里国(現コーリコード)の章を読み直して、ここだけで短編の二つ三つ余裕で書けそうな情報量…と唸っていた。現地の音楽にも言及あって、ひょうたんの殻で作った弦楽器があって耳傾けさせられる音律と言っているのだけれど、ヴィーナか、シタールか、タンプーラか…?と色々聴き比べたりしている。わからん。それはそれとして、「三宝太監西洋記」で古里国のこと何か書いていないかなと調べてみたら、「瀛涯勝覧」のひょうたん楽器のところなどを取り込んでいて、ほお、そう作りますかと思った。「三宝太監西洋記」の鄭元帥は「逆らうものは攻め滅ぼす!」メンタルの人なので、ここも明の大軍にびびった古里国王が宴会で一同をもてなす場面に化けてしまっているが…
(左が「瀛涯勝覧」、右が「三宝太監西洋記」の該当箇所です)
史実の鄭和さんの地理感覚を把握するための読書ルート、『雲南ムスリム・ディアスポラの民族誌』(最初に読むには難しいので一時中断中)→やまもとくみこ『中国人ムスリムの末裔たち:雲南からミャンマーへ』→高野秀行『アヘン王国潜入記』と来て、これがとても面白かったので同じ著者の『西南シルクロードは密林に消える』を読み始め、一気に読了。講談社のカメラマン氏と別れたあたりから加速度的に面白くなっていった。
張騫が西域で見た四川の布の交易ルートを辿ると称して、中国からミャンマーの反政府少数民族ゲリラの支配域に密入国し、そのままカチン人ゲリラ→ナガ人ゲリラの伝を辿ってインドにも密入国し、最後はカルカッタから何故か無事に強制送還されて帰国するジャングルの旅の記録だが、「自分が旅をした」というより「自分は交易品として人から人へと渡されていったのだ」という実感がとても良かった。貝とは知らずにタカラガイを薬として持っているゲリラのエピソードなども。
ということで、引き続き、上田信『東ユーラシアの生態環境史』の再読(私的この地域の原点)、ワ州の話があることに気がついた安田峰俊『独裁者の教養』(どうかなと横目に見ながら10年ぐらい積んでいる)、東方見聞録の雲南行以降などを読んでいく予定。
🚲親父のブログを本にする:その6
昨日はオンライン作業会テレッテレーの日だったので、去年の夏に、もう20年近く前に父が自転車で奥の細道巡りをした時に書いていたブログをうすい本にしてあげるよと安請け合いしたきり、校正の途中で止まっていた作業に久しぶりに取り組んだ。過去の自分が期待していたほど進めていなくて少し慌てる。横書きから縦書きに直すのに色んな記号を置き換えたり、中途半端な横棒を全角ダーシに置き換えたりする作業なんだけど、とにかく面倒くさい。でも、来週末にはめんどくさ校正も終わる筈なので、またInDesign契約して版組を考える。どうも私のInDesign操作にはまだ再現性がないので、この機会にきちんと基礎から習熟したいところ。
…しかし紙のサンプル眺めていると自分の本も(というか自分の本を)作りたくなって困る。印刷所は、本文にカラー写真がほぼ毎ページ入る仕様などから、ほぼSTARBOOKSさん一択なのだが、まず自分の本作ってみてイメージ掴むとかありかな…?(それ自分の本だけ完成するパターンだからね…)
📽TAAF2024の第1弾チケット発売開始!
不思凡監督の「ストーム(原題:大雨)」は3月8日(金)夕方回と3月9日(土)午後回の上映です。楽しみだ〜
https://animefestival.jp/screen/list/2024feature3/
元ネタの「デデ・コルクトの書」もかなり気になってきた。「吟遊詩人デデ・コルクトが狂言回しとなって」とか「口承伝承が凝縮された稀有の書」とか、私のアンテナがぎゅるぎゅる反応する宣伝文だ…
https://www.heibonsha.co.jp/book/b161772.html
📚積読書:カマル・アブドゥッラ『欠落ある写本:デデ・コルクトの失われた書』(水声社)
タイムラインをどんぶらこと流れて来たのを見つけた。メインタイトルと、「デデ・コルクトの書」って確か東洋文庫に入ってなかったっけ題名だけは聞いた覚えがあるというのと、アゼルバイジャンの小説家というのに興味を惹かれて、帯のアオリに文字通りあおられて買った。オルハン・パムク(『わたしの名は紅』の)、イスマイル・カダレ(『誰がドルンチナを連れ戻したか』『夢宮殿』の)、ミロラド・パヴィチ、ウンベルト・エーコなどの名前を思い浮かべ、期待を高めている。いつ読むかはわからないが、自分の勘が当たっているといいな。
続き。「天灯」の構造のネタバレをするので一応伏せ。
成功しているかは別として、「天灯」の設計図はこんな感じで考えていました。中秋の夜の思い出話をBにするAの語りと、その後のどこかの時点で、Aの語りを踏まえつつ中秋の夜の出来事をモチーフにした食籠の図柄を第三者に語るBの語りが交互に来る構造で、Aの語りだけ読んでも、Bの語りだけ読んでも、ABを順に読んで行ってもそれぞれで話が通じるようになっている筈…!です。Aが呂颯でBが鄭和さん。
何でそういうややこしい構造にしたかと言うと、一つは呂颯が極めてプライベートな打ち明け話を始めてしまったので、その聞き手が必要になったこと、その際にアウティングみたいなことにはしたくないなと思ったこと。もう一つには、呂颯の語りを契機として鄭和さんが一人称の語りを獲得していく、みたいな話にしたかったから。現存する鄭和さん関係の碑文をはじめとする文章、とにかく個性が全然感じられなくて非常に歯痒い思いをしていたので、「いつも三人称ですかしてないで、たまには一人称で語ってみろよ」と。なので食籠の説明で三人称で語っているあたりも一応鄭和さんの語りのつもりです。成功しているかは別として…(正直、あまり自信はない…)
(今日はここまで!)
続き。
・ちなみに、馬歓と同様に鄭和に随行した費信の『星槎勝覧』のモルディブ章にはタカラガイの記述はない。馬歓くんによると「モルディブは小さい国で、宝船も1、2隻しか行かなかった」そうなので、実際には鄭和さんモルディブには行ってないかもしれない。馬歓はひょっとすると自身が行ったのかもしれないし、何だったら鄭和からタカラガイの話を聞いていたので特に書き留めたぐらい想像を逞しくしてもよかろうと思う。
なお、「タカラガイ 腐らせる」でぐぐって見つけて参考になった記事はこちら。殻を残すか身を味わうか、根源的な問題だ…
https://dailyportalz.jp/kiji/takara-gai-sagashi
・ついでに脱線すると、費信の報告は割とちゃんと報告報告していてあんまり「あれが可愛い、これが美味しい」を熱弁することはないのだが、馬歓が詳述している上に費信も珍しく言及している数少ない物産がドリアンです。多分、鄭和艦隊の上層部みんなで食べて、美味しいと評価が一致したのだと思う。
(まだ続く)
✏️創作の余談雑談:
ちょっと疲れて来たので「天灯」の鄭和さん関係のネタ語りをします。
・子供の頃の鄭和さんがタカラガイで買い物した話は、上田信先生の『シナ海域蜃気楼王国の興亡』で「少年時代の鄭和もそうしてたかも」と書いていたのを全面採用。なお、鄭和自身も建立に関わった鄭和の父を顕彰する石碑で、父の子は男二人、女四人とあり、鄭和さんには文銘という兄がいるまではわかっているけど、女きょうだいが妹かはわかりません。そこは私の好みを優先させました。末っ子で可愛がられ慣れている鄭和さんの図も、それはそれでアリだが…
・鄭和さんにお小遣いくれたの、最初はお母さんにしていたのですが、最終的に祖父にしたのは、鄭和さんの祖父と父はハッジの称号を持っているので、メッカに巡礼したことがあるらしいから。「この貝は南の海からはるばるもたらされたのだよ」とか旅の話と一緒にしてくれる。
・タカラガイを浜に積んで腐らせる話、ここで読んだと思った本に載っていなくて焦りまくったが、ふと思いついて馬歓の『瀛涯勝覧』を見たら、モルディブの章に言及があったのでそれを根拠にしました。サンキュー。馬歓くんの観察眼にはいつも助けられている。
(続)
✏️創作の余談雑談:
「天灯」の参考に読んでいた呉存存『中国近世の性愛』に、馮夢龍の「情史」には同性愛者を扱った章もあると紹介されたので、「ひょっとすると、同じく馮夢龍が編んだ、「男女の恋愛を大胆に歌った民謡アンソロジー」という触れ込みの「山歌」にもあるのでは?」と読み返してみたら、数首並んでいるのを見つけた! 元祖馮夢龍推しの大木康先生は、同性愛については積極的にマーカー引いてくれる訳ではないので、自分の目が節穴だと見逃してしまう。
ということで、「三十年経った古米はただのカスだし、三十年経った家具は役立たずだし、三十年経った尻でどうしてやれるだろう」というしょーもない歌と、「この歌を「三十歳になって味わいが完全になった」と言っていたやつが聞いたら「尻を馬鹿にするものだ」と言っただろう」という馮夢龍のしょーもないコメントを味わいつつ、この良さをどうやって語ろうかと考えているうちに一日が終わってしまった。しょーもないけど、こんな短いのに、若くない同性愛者(特に受)への世間の侮蔑と、冗談まじりながらそれへ反論するコメントで多角的に状況を描いて一瞬で構造を見せるキレキレぶりは健在だと思うし、「天灯」書いた後で読んだけど答え合わせ的なことができて良かった。
(出典は大木康『馮夢龍『山歌』の研究』p568)
マキノヤヨイです。創作集団こるびたるの中のひと(もしくは外のひと)。ここは、主に創作活動のゼミ発表的な使われ方をしている場です。