ふと、以前『両京十五日』での鄭和評「その人となりは忠直耿介」に触発されて書いていた「鄭和「忠直」考(初稿)」を読み直していて今更気づいたんですけど、『両京十五日』を経由すれば朱瞻基自身の経験として、鄭和に「汝は忠直」と呼びかけることができるのでは…?
史書(明実録とか)を読む限りだと、私はどうしても「朱瞻基、祖父に向けられた忠直を横取りしてねーか…?」という気持ちになってしまって微妙なのだけど(求めるものはほぼ常に得られる生まれながらのお坊ちゃんが割と自分に都合のいい時だけ手のひらクル〜してる感じがある)、『両京十五日』が間にはさまるなら全然そんなことないですね。実際身をもって鄭和の「忠直」を経験してるものね、朱瞻基。馬伯庸天才か…
(まあ、『両京十五日』の鄭和さんの役どころは「いられると主人公が活躍できないから消えてもらう、本来その事件に関する責任と権限を持った大物」以上ではないので、そこは話の本筋では全くないです)
#鄭和さんの話
https://crepu.net/post/5887470
🗒WIP:鄭和さんの話(仮)
話の構想を練るのに参考文献と年表を整理しないとにっちもさっちもいかなくなって、この週末は、1年越しの懸案の情報整理をやっていた。Scrapboxという自分用wikiを作れる的サービスで各年のページを作って、対応する明実録の各巻のリンク先を貼り付けたり。単純作業なので過集中入るといつまででもやってしまって良くない。
とりあえず永楽帝のあたりを一通り眺めていたが、
・翌年のカレンダーは毎年11月に陛下に報告される。それを文武百官にも配布するみたいなのだけど、印刷なんだろうか。
・毎年2月に孔子を祀るっぽい。
・大体年末の記事に「この年の天下の人口はいくらで税収はどんだけ」みたいな記事がある。
・東南アジア方面からの朝貢は季節風使ってるから、各国大体同じ時期に団子で来るっぽい。朝鮮琉球占城は割と年中来ている。
・9月くらいに到着した南方の使節について、晩年の永楽帝が皇太子に「これから寒くなるから南から来た者たちをちゃんと慰労してやれよ」と指示してるっぽい記事がある。
・晩年の永楽帝、出歩きすぎ。「車駕がどこそこに」とあるのが出掛けてる記事だと思うけど、出征先で亡くなった後は「車駕」が「龍輿」になった。ほーん…
・洪煕元年(両京十五日の年)は南京揺れまくってる。
🗒WIP:鄭和さんの話(仮)
水都百景録の二次創作の鄭和さんを書いているうちに、史実の鄭和さんについての歴史小説を書いてみたくなって、今年に入ってからあれこれ調べたり構想練ったりするのだけれどうまく進まなくて、
「こういう風には書きたくないってこと?」
「うん」
「じゃあどんな話を書いてみたいの?」
「ぶっちゃけ鄭和という人物は実在しなくて、実は単なるプロジェクトの名称でした〜ジャーン!みたいなエンタメ?」
「そんならいっそ、一度それで書いてみなよ」
からの構想練り直し、史料読み直しで、やっぱりどんな人物であれ、これはとにかく居たわ、これをいなかったと言うのは、何かのエンタメにはなるけど歴史小説にはならないわと腹を括ったので、改めてWork in Progress立項して、ゆるゆる呻吟していく予定。
ということで、訳のわからんゼミ発表している人みたいな感じで緩く眺めていただけるとありがたく。とりあえず2〜3万字の短編13作くらい書くつもりでいけば完成するんじゃない? と私の中のお調子者が囁いている。いやいやいや…
マキノヤヨイです。創作集団こるびたるの中のひと(もしくは外のひと)。ここは、主に創作活動のゼミ発表的な使われ方をしている場です。