✏️創作の余談雑談:

「天灯」の参考に読んでいた呉存存『中国近世の性愛』に、馮夢龍の「情史」には同性愛者を扱った章もあると紹介されたので、「ひょっとすると、同じく馮夢龍が編んだ、「男女の恋愛を大胆に歌った民謡アンソロジー」という触れ込みの「山歌」にもあるのでは?」と読み返してみたら、数首並んでいるのを見つけた! 元祖馮夢龍推しの大木康先生は、同性愛については積極的にマーカー引いてくれる訳ではないので、自分の目が節穴だと見逃してしまう。

ということで、「三十年経った古米はただのカスだし、三十年経った家具は役立たずだし、三十年経った尻でどうしてやれるだろう」というしょーもない歌と、「この歌を「三十歳になって味わいが完全になった」と言っていたやつが聞いたら「尻を馬鹿にするものだ」と言っただろう」という馮夢龍のしょーもないコメントを味わいつつ、この良さをどうやって語ろうかと考えているうちに一日が終わってしまった。しょーもないけど、こんな短いのに、若くない同性愛者(特に受)への世間の侮蔑と、冗談まじりながらそれへ反論するコメントで多角的に状況を描いて一瞬で構造を見せるキレキレぶりは健在だと思うし、「天灯」書いた後で読んだけど答え合わせ的なことができて良かった。

(出典は大木康『馮夢龍『山歌』の研究』p568)

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ちなみにこの歌とコメント、 

「羽振りのいい若衆達に妓女達が嫉妬する歌」「男好きの書生が結婚するがつい妻とも肛門性交してしまう歌」「元の孌童が結婚したら痩せてしまったので「夫をするのは大変だろう」と手紙を出す歌」「女が夫を男に寝取られる歌」と(これまたしょーもない)数首をかけて同性愛者と周辺の人々の半生を点描してのこの〆なので、いや馮夢龍、本当に構成と編集が上手すぎるな?になってしまった。

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