賛同した。
障害者の就労について、「働けないのではなく働かせてくれないが現状だと強く感じています。」というのは、本当にその通りだと思う。
僕はたまたま障害に関係なく働けているけれど、これはいろいろな偶然の積み重ねであって、生活の基盤としては非常に脆弱なものだという意識が常にある。もし怪我や病気で1度失職したら、あるいはもう少し年齢が高くなって雇ってくれるところが減ったら、B型就労とかも視野に入れないといけないことになるのだろうと思うけど、それで今のような自立した生活が成り立つわけがないので、事実上選択肢にはならない。
誰だって障害者にはなり得るのに、そうなったら最後生活が成り立たないというのでは、安心して暮らせない。
こういう状況は変えないといけない。
https://www.change.org/p/日本の-障害者就労は労働ではなく作業賃-を賃金に変えたい-厚生労働省と全ての自治体に改正を求めます?utm_content=cl_sharecopy_35910720_ja-JP:6&recruiter=86035378&recruited_by_id=a983595b-936b-45d1-8072-ac310129de4f&utm_source=share_petition&utm_medium=copylink&utm_campaign=psf_combo_share_initial&utm_term=psf_combo_share_initial
不買運動やエシカル消費に関して「このターゲットを100%避けるのは無理や……」「全部代替品に切り替えるのは諸々のコスト的に厳しい……」と悩んだり心を痛めたりしてる人を少なからず見かけるけど、ミートフリーマンデーを提唱したポール・マッカートニーの「7人が週に1日肉食を控えれば1人の完全な菜食主義者に等しくなる」という発想に倣って、n回に1回とかでもいいから気軽に始めて可能な範囲で続ける(休む/再開する)とええよ!と思っている。なんせ0と1/nは劇的に違う。ほんで筋トレと一緒で慣れてくると強度上げられたりもするし、まずは1回、1つ始めるのが大いなる第一歩というか。全面不買が強力なのは確かだけど、願掛けの断ち物とか山籠りの修行とかではないのだから部分的な不買でも失敗じゃないし諦めることはない。
昨日は、35年ぶりに会う友人と晩飯食った。
最後に会ったのは当事留学してたアメリカから帰国する飛行機で隣に座った時だった、と友人が言っていて、そう言われてみればそんな気がする。
その後、帰国直後にたぶん短い電話での会話が2・3回あったけどそこから没交渉、そして3年くらい前にひょんな事から連絡先を知ってメールでのやり取りを数回した、というくらいだったんだけど、東京に遊びに来るついでに飯でもどうかと思って連絡くれた。
当事、ものすごく仲が良かったというような感じでもなかったので、こんなに間が開いて話すことあるかなあという不安が少しあったけど、完全な杞憂で、なんか楽しかったなあ。
さすがに友人も同じ不安が少しはあったようで、僕の名前で検索して出て来たと思われるネタを時々持ち出してきたりしてたけど、結果としてやたらと昔話をするでもなく、35年分の自分語りをするでもなく、それなのにずっと話してた。
今の仕事とかに関係ない人で、それなりに話しやすい関係性がある人とどうでもいい話をするのは楽しい、という結論。
元入管職員の弁護士渡邉祐樹さん
”日本人にだまされてオーバーステイになってしまう方などもいます。
例えば、外国人を雇っていたある建設会社の話があります。日本に到着したら雇い主が最初にパスポートを回収し、外国人に自分が代わりにまとめてビザの更新をすると伝えます。しかし実際は更新せずに、半年ぐらい働かせた後、少し遠くの現場に行くと言って外国人をバスに乗せて、入管に連れていきます。「入管さん、みんなオーバーステイなので捕まえてください」と。入管にしてみれば、パスポートを見たらオーバーステイなので、全員収容することになる。そして外国人は泣き寝入りせざるを得ないんです。
市民に「在留資格がない方=犯罪者」じゃないともっと知ってもらう必要があると思います。”
確定申告終わった。納税も終わった。俺の財布も終わった。。。
この連載読むと、パナソニックやソニーみたいな所で働いてみたくなる。
パナソニックはダイバーシティーを意識した取り組みに力を入れてるし、
この連載には出て来ないけどソニーはアクセシビリティーに本気で取り組む組織になってる。
「アクセシビリティーやって金儲かるのか」みたいなことを言ってる段階は過ぎてるんだよな、こういう会社は。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC171110X10C24A1000000/
数年前に稲田朋美の本を読んだら、やたらと「多様性」とか「寛容」を唱えて、そのへんをウリにしたいんだなということがよくわかったが、結局は「では、私は何を守るのか。日本の国柄をなす、圧倒的に美しい伝統だ」「その根底に流れているものは2000年以上続いてきた皇統」「お父さんをたどれば神武天皇まで続くという、世界で唯一の圧倒的な系譜の重み」……というところに収まっているという、〈天皇の下での多様性〉だった。
これを『臣民の道』(昭和16年)では「萬民各々その所を得る」と表現している。こういう理屈を歴史的に見てきているので、「多様性」「寛容」というワードがありさえすれば「おっリベラル?」ってならないようにしよう。
25年くらい前の同僚となぜかお茶してて、「2年くらいを目処に仕事辞めるんだって?」と聞かれ、「ううん、いろいろ行き詰まっててねえ。去年だったか博士課程も単位取得退学したんだけど、やっぱりなかなか進めるのは難しかったんだよねえ」みたいな会話をした、というのをぼんやり思い出してたんだけど、よく考えると俺そもそも博士課程入ってないし、あああれ夢だったか、と気づいた。
ってことはあの元同僚にも25年前以来会ってないわけで、ううん、元気かなあ。当事は世話になったよなあ。などと思ったのであった。
中年に突入した、男、全盲、下手の横好き。
ICTのアクセシビリティーに関連することに取り組んだり取り組まなかったり。