あとこの失道の前に「飄風」の言葉が悪い支配者の喩えとして出てきた
…飄風も朝を追えず、驟雨も日を終えず、たれか此れを為す者ぞ、天下なり。
旋風(飄風=暴政)も朝から晩まで吹いているわけでもなく、暴雨(驟雨=暴政による重税や労役)も一日中降るわけでもない。だれがこれを為すか、天地だ。
この前に、道は自然体で得られる、という文があって、
→暴風雨は続かない→天地ですら長く続けられない→人ではなおさらだ(荒れた政は続かないだろう)
からの、
道と人は一体である→失道の危険性→支配者には誠実さが必要(信足らざれば、信ぜられざること有り)
という論理展開らしい。暴政止めようね、ではなくて天も飄風は続かないんだから、人(王)なら長続きするわけないよ〜というあたりが、こう、観測者っぽいというか…
第50章
人は生まれ出て、そして死んでいく。生をまっとうする者が十分の三、早くに死ぬ者が十分の三ある。そして…生きることに執着し、みだりに行動して死地に向かう者が、また十分の三ある。
この割合は老子の体感だろうけど、紀元前100〜200年くらいの世の中はそんなもんなんだなーという指標にはなるかもしれない
ぐぐったら、古代中国の平均寿命は30〜50歳くらいらしい。で、これは10歳未満の幼児期の死亡(死亡率50〜70%)を抜いた数字。この幼児期の死亡率が老子の体感でいう30%なら、残り60%が平均寿命にあたる?
孔子とかの文人で、特別長寿な人が平均60歳弱くらいらしいので、それが残りの10%ってことかな…?
先に巻末の解説から読んでる イメージ湧かないと飽きるので…